6.ヘブン
俺は天国で目覚めた。
そうか、ここが天国か──。
藁の混じる漆喰の塗られた天井に、露出しススで真っ黒になった大きな梁。その天井には空気を攪拌するための扇風機が、時折きしんだ音を立てながら回っている。
……なんだか、思っていたのとちょっと違うな…。
もっと、神々しい世界かと思ったが、意外に庶民的だ。というか、どこかの民家みたいだぞ。いい匂いもしてくる…。なんだろう、玉ねぎを煮込んだ匂い?
ああ、お腹が減った…。
天国でもお腹が空くんだな。ぐう、と自身の腹の音が聞こえた所で。
「あ…! 起きた!」
子どもの声がする。と、俺の視界に次々と子どもの顔が飛び込んできた。日に焼け土に汚れたその顔は屈託ない笑みを浮かべ、こちらを見下ろしてくる。
天使か? にしては──。
申し訳ないが、こ汚いぞ。天使っていうのは、こう一点の汚れもなく真っ白な羽を生えさせた金髪幼子のはず。
なのに、まるっきり逆方向だ。土ぼこりですっかり汚れ赤茶けた黒髪にソバカスの浮く日焼けした顔。それにこいつらには見覚えがある。
そうだ。セルサス様の為に、服と酒を調達した時に声をかけたあいつらだ。あいつら、天使だったのか…。
「父ちゃん! 起きたよ!」
その声に誰かが反応した。
「おお、起きたか? 今、母ちゃんが飯を持ってくる。まだ寝てていいぞ。お前ら、水を飲ませてやれ。一気にやるんじゃないぞ? そっとな?」
「まかせとけ!」
子どもらは俺がやる、俺がやるよ! と言い争いながら、その役を勝ち取ったらしい、年長の子どもが水差しを手に、俺の眠るベッドの傍らに乗り上げて。
「はい! 水。ちょっとずつ飲んで」
その飲み口を口元に持ってくる。
「──ん…」
ほかの子どもが、身体を起こすのを手伝ってくれた。俺はなんとか身体を起こそうとして──。
「?!」
びきっと、身体に走った激痛に悶絶した。伸ばしかけた腕をひくつかせる。すると、子どもらの父親が、
「まだ傷が塞がってねぇ。急に動くとさわるぞ? ゆっくりな」
コクリと頷く。
痛い。ものすごく、痛い。
それを先に言って欲しかった。だが、これは生きている証。無事なのはきっと誰かが助けてくれたおかげで。俺は顔をあげると。
「…俺は、どうやって助かったんだ?」
親父は得意げな顔をして。
「俺が見つけたんだ。仕事の帰りでな。ヘリが何台も来たから何事かと思って車で行ったら、あんたが倒れてた。それで家に連れ帰って医者を呼んだんだ。すぐにここで手術さ。弾は全部取り出したって言ってたよ。ただ、ここは田舎で都会の様な設備もない。できる範囲でだったらしいが──助かって良かった」
「ありがとう…。本当に何からなにまで…」
「いいさ。気にするな。あんたには息子らが世話になった。あんな粗末な服にたいそうな金も払ってくれたしな? もう、他人じゃないさ」
男は人のいい笑みを浮かべて笑って見せた。暫くすると、妻も姿を見せ、作りたてのスープを運んできてくれた。まだ、固形物は無理だからと汁だけだ。
でも、美味しい。
猫舌の俺がフーフーしながら食べていると、子どもたちが笑った。和やかな空気に俺はようやくほっと息がつけた気がした。
◇
俺は手術後二週間、寝続けていたらしい。
その後、俺は暫くその家で厄介になり、身体が動くようになると、家事や仕事を手伝った。
手術費用や薬代その他、かかったであろう代金を払おうとしたが、この家の親父が受け取らなかったからだ。仕方なく労働力で返すことにした結果で。
家族は羊、ヤギを飼い、麦の畑を持っていた。羊は羊毛、ヤギは乳。麦は勿論食用だ。
働かざる者食うべからず。牧羊犬よろしく家畜を追い回し、乳を搾り毛を刈る。時には出産にも立ち会った。ホカホカした生まれたての羊やヤギは非常にかわいい。無事生まれると涙さえ零れた。
その間、麦を刈り脱穀する。麦の収穫は機械でやってしまうから、風情はないがあっと言う間だ。金色の麦畑は風に揺れると黄金の海原の様で綺麗だが、葉や穂はチクチク刺さるのが厄介だった。
滞在は数か月にのぼり。気がつくと、すっかり馴染んでしまっていて。
親父とは毎晩酒を酌み交わし、奥さんとは台所で食事の支度の手伝いをしながら、世間話をするのが常になった。子どもらは俺をまるで新入りの犬のごとく、連れまわし追い回し。いい様に遊ばれていた。
放っておくと、このままここで生涯を終えそうな勢いだったが、俺はまだ帝国の兵士だ。辞めていない以上、勝手に人生を選択はできない。
意識が戻ってすぐ、軍には連絡を入れてあった。休養の許可が下りたため、ここでゆっくりすることができたのだ。
俺一人、いなくなろうが屁でもないのは承知している。ただ、生存の情報に直属の上司や仲間は喜んでくれた。俺は死亡したことなっていたらしい。
どうやらその後、軍は俺を探しにもう一度戻ってきたらしいのだが、血だまり以外、見つけられなかったのだと言う。
その時、俺はこの家族に拾われていたのだが、そんなこと軍が知る由もなく。そのまま行方不明となり死亡扱いとなったのだった。
とにかく、一度戻らないとな。
身体はずいぶんよくなった。これも、この家族と医者のおかげだ。
左肩と胸と右脇腹には穴の後が三つ残っている。助かったのは、身に着けていたアンダーウェアのおかげだったらしい。それが緩衝材の役割を果たし衝撃が幾分弱まったのだとか。
でなければ、即死だったと医者は笑った。笑い飛ばせて心底良かったと思う。
傷痕はかなりのモノだが、それも箔がついてカッコいい。なんせ、これは俺の勲章だからだ。セルサスを守った証。
俺はこれを生涯宝のようにして、時にはこっそり仲間に自慢して過ごすのだろう。最終的に、昔自慢ばかりする、鬱陶しい老人になることだろう。
それでいい。
これからも、そうやってひっそり、ささやかにセルサスを誇りに思い生きていくのだ。もう、あんな晴れ舞台は二度とないだろうことは分かっている。
『セト──!』
必死なセルサスの顔は俺だけの宝物だ。
◇
俺は家族同然となった一家と涙ながらに別れ、軍へと戻った。
涙の乾ききらないまま、仲間らの元へ戻ると、彼らは喜んで出迎え、派手な快気祝いをしてくれた。
あの村の人々と暮らす日々も悪くなかったが、やはりここが俺のホームグラウンドだ。命の危険に晒されようと、戻ることに異論はなかった。
「おい、アキバ」
ようやく任務へと復帰した初日。隊長に別室へと呼び出された。
「お前に直々に異動の辞令があった」
「い、異動?! 俺、なにもまずいことは──」
長期休暇がまずかっただろうか。冷や汗が額に浮かぶ。
「どうやら、そう言うわけじゃないらしい…。お前が復帰したと報告したら、この辞令がおりてきたんだ」
そう言って、高級そうな白い厚紙を俺に渡してきた。金箔に縁どられたそこには帝国の印章と共に、セルサスのサインまで入っていた。
てか、直筆?!
二度見した俺はまじまじと辞令を見つめる。こんな下々の辞令に、高級紙で金箔付き、セルサス総帥自らがサインなどすることはまずない。
「な、何があったんですか? これ、間違いじゃないんですか?」
何度も辞令と、それを伝えた隊長を見返しながら問う。
「俺だって何度も見直して、聞き直した。絶対ひと間違えだとな。賭けてもいいと言ってやった。…だが、向こうはかたくなに間違ってないとの一点張りだった…」
がっくりとうなだれる。
隊長、そこまで言い張らずとも。
隊長は脱力したように、
「とにかく、行ってこい。向こうもお前を見れば、間違いにようやく気付くだろう…」
「はい…」
そして、快気祝いの後は、笑いの渦の起こる送別会となり、仲間は俺を盛大に送り出した。どうせ間違いですぐに戻って来ると思っているのだ。
何処へって? それは──。
「で、でかい…」
アストルム帝国の首都グラナード。
そこには総帥の住まう総帥府が置かれていた。とにかくバカでかいビルだ。いったい何人が仕えているんだろうか。
よく映像で見ることはあったが、間近で見るとその巨大さに恐れをなす。超高層の強化ガラス張りのビル。
俺はその威厳に満ちた建築物に思わず後ずさっていた。今まで辺境の土レンガ造りの小屋で生活していたのだ。
あまりにかけ離れている。どうして俺がここへ呼ばれたのか、さっぱり分からない。
ちなみにここへ来るにあたって、迎えの車がよこされた。大慌てで部屋の荷物をまとめ、引っ越し様についてきたトラックへ放り込み、俺は用意された高級車に乗り込み今に至る。
──間違いだ。どうあっても間違いだ。
同姓同名の、似たような容姿の奴がいたに違いない。そいつはかなり優秀なはずだ。だって、抜擢されたのは──。
「貴官がセト・アキバか」
「は、はい…」
受付でしどろもどろになりつつ、受け取った辞令を手に名乗ると、直ぐに上級士官と分かる男が下りてきて、俺を別室へと連れて行った。
尋問でも受けるのかと思ったが、あいにく、吐ける話しは何もない。セルサスの直筆辞令、サポーター垂涎ものを手に、上目遣いになって士官を見上げた。
明るい栗色の髪をオールバックに撫でつけた無表情の士官は、かけた眼鏡をキラリと光らせながら告げる。
「私は総帥付第一秘書官、エーリノスだ。本日より、貴官はセルサス総帥の護衛及び従者として、その任についてもらう。詳しい説明は別室にて行う。その前にセルサス様直々にお言葉があるそうだ。失礼のないように」
は、はぁ?
そう。辞令には、総帥付護衛官及び従者として記載があったのだ。
いや、まず。俺か? 俺なのか?
「あ、あの…」
「なんだ?」
「…その、俺で…間違いないんでしょうか?」
「なぜそう思う?」
「いや。俺はまだ兵士になりたてでして…。しかも今まで下級兵でした…。どう考えても、こんな大役に任じられるような覚えはありません…。何かの間違えじゃ──」
「お前の上官もそう言っていたな…」
エーリノスはそこでようやく人らしい表情を見せると。
「──しかし、間違いはない。同一人物も帝国軍に存在しない。総帥が貴官を指名した。それとも、貴官は総帥を疑うと?」
「い、いいえ! そんな、滅相もない!」
「なら四の五の言わずに、言われた通りにすることだ。──以前、総帥を助けたと聞いた。縁がないわけではないだろう?」
「は、はい…」
いや。あれは偶然で。俺がたまたま居合わせて、俺しかいなかったからああなっただけで。
俺が格別優秀なわけじゃない。
しかし、総帥がそんな俺を覚えていて指名してきたと言うのなら、間違いではないのだろう。
でも、護衛官兼従者って…。
いや、もちろん、命を張って守る。身の回りのお世話もする。それは断言する。──けれど、俺より適任がわんさといるのでは? そう思えた。