27.セルサスの回顧 1
セトとの出会いは、出会いなどと簡単に呼べるようなものではなかった。
ヘリを爆破されテロリストに拉致され。薬をかがされた挙げ句、意識を失いテロリストのアジトに着くまで目覚めることがなかった。
目覚めれば目覚めたで、薬で視力を奪われろくに視界の利かない中、男達に襲われそうになる。
父ラファガの行いのつけを、払わされた、と言うことか。
とんだとばっちりだ。
父の様に生きるつもりは毛頭ないと言うのに。
とにかく、ここをどう切り抜けるか。今はそれが最優先事項だった。こんな下衆な連中に、好きな様にされるつもりはない。
視界さえきけば──。
まったく見えないわけではない。物の形がはっきりと判別できないだけ。相手の位置は十分わかる。やってやれないことはなかった。
どうやって倒すか算段していれば、そこへセトが現れたのだ。
まだ年若い青年の声。その時は村に住む子どもだと思っていたのだが──。
セトが現れたことで、いったんこちらから注意がそれる。セトは自ら酒を注ぎ機嫌を取るが、男達の相手をさせられそうになっていた。
気がきでない。こんな乱暴な奴らに襲われたとあれば、幼い身体も心も傷つくに違いない。
やはり、やるか──。
細かい動きに対応出来ないのが不安要素ではあったが、このまま黙って見ているつもりはなかった。
しかし、セトが手を出されそうになった矢先、突然、背後にいた男が倒れたのだ。
しかも次々と。撃たれた訳では無い。最後に残ったリーダー格の男も結局は倒れた。
セトはざまあみろとばかりに、その男の頭部を蹴って昏倒させたよう。
セトは帝国軍の兵士だと名乗った。偶然、セルサスを発見し、追って来たのだという。
セト・アキバ。
小柄な青年だと言うことは分かった。男たちには睡眠薬を使ったのだと言う。正直、セトが現れなければ危うかっただろう。
その後、セトに連れられそこを脱出した。
セトは小柄だったが、体力はある。それに気も回り賢かった。
逃げる間も俺に怪我をさせまいと、完璧に案内してみせる。お陰で藪が足を打ったり、枝が頬を叩くことも無く。
けれど、自分が負わなかった分を、セトが負っているのだ。セトが本気で自分を守ろうとしているのがわかった。
彼の様な人間を傍に置きたい──。
そう思った。丁度、護衛官兼従者を探していたのだ。
まだ帝国の中には信頼を置ける者が少ない。身近で仕えるエーリノスくらいだ。彼には負担をかけている。その負担を軽くするためにも誰かが必要だった。
実はその役目を担っていた友人がいた。しかし彼は、不幸な事件により二年前に亡くなっていて。その友人の代わりになる者は早々見つからず。
けれど、セトなら──。
あと少しで逃げ切れる、そう思った矢先、追ってきたテロリストの凶弾にセトが倒れた。セルサスを庇ったのだ。
──また。
手を伸ばすが、ヘリから降りてきた隊員がセルサスを引き上げる。伸ばした指先が微かに彼の髪を掠めた。背後に倒れるセト。
その時初めて彼の顔を見た。ようやく薬が切れたのだ。
凶弾に倒れ、すでに意識が遠のくセトは微かに笑んで見えた。
セト──!
ヘリはセルサスを収容しすぐに飛び立つ。
いったんは飛び立ったものの、直ぐに引き返させ、セトの姿を追った。だが、そこに彼の姿はなかったのだ。
その後、調査した隊員から、セトの死亡を知らされた。
姿は見つからないものの、大量の出血の跡があり、到底生きているとは思えない、と。
いったい、彼はどこに行ったのか。
連れ去られたのだろうか。せめて遺骸でも見つかれば諦めもついたのだが。
──諦め。
セルサスは胸元にあるロケットを握り締めた。
そこには、半ば崩れかけ木片と化しているお守りが入っている。セトが自身のものをセルサスへと託したのだ。
これは、本当にセトを守っていたのだな…。
ロケットを開けると、三つほどに割れた木片がある。微かに香木の香りがした。
また、失うのか──。
頬を一筋、滑り落ちていくものがある。
僅かな間、過ごしただけだと言うのにすっかり、セルサスの中に居場所を作っていたらしい。
最後に見せたセトの笑顔を、当分忘れることが出来そうになかった。
◇
それが、生きていたのだ。
エルから報告を受け、すぐさまセトの状況を探らせた。
どうやら地元の村人に助けられていたらしい。一命をとりとめ、そこでしばらく療養していたのだとか。
それを知って、セルサスは安堵とともに笑みを浮かべると。
「エル、護衛兼従者をみつけたぞ」
「…セルサス様?」
「セトを置く」
「彼を、──ですか?」
「そうだ。彼以外にいない」
それで決まりだった。
成人した青年に向かって使う言葉ではないのかもしれないが、セトは正直、かわいかった。
本人にその意識はないのだろうが、行動の一つ一つがまるで小動物のそれのようで。
それに、思っている事、考えていることがすべて表に出ている。表と裏の顔を使い分ける──そんな器用なことはできそうにない。
それがまた、セルサスには好ましく思えた。
それまで誰かの存在が、自身の心を明るくさせる、そんな状況になったことがなく。
気の置けない友人でもあったアレアシオンにでさえ、そんな感情を抱かなかった。
共に過ごせば心は和んだが、いないときも思うだけで心が軽くなる──そんな相手ではないことは確かで。
アシオンには好意を寄せられ告白もされたが、返事はあいまいだった。それでもいいからと、好きな様にさせていたが。
けれど、セトは違った。
一緒にいることで、心が穏やかになり、明るく照らされる。
彼に出会って気がついたのだ。自分はアレアシオンを友人としては好いていたが、それ以上の感情は抱いていなかったのだと。
彼は──幸せだったのだろうか。
自分の気持ちに気づいてから、特にそう思うようになった。
自分を庇って命を落とした青年。
セトはそれでもきっと、彼はセルサスの幸せを願うだろうと言ってくれたが。こればかりは、本人に聞かなければ分かりようもない。
それから、より強く思うようになった。自分に思いを向けてくれたものを、二度と失いたくない──と。
しかも、セトに対して特別な感情を抱きつつある。──ずっと、傍にいて欲しかった。
緊張し警戒するセトを、なんとか懐柔しようと嘘もついた。他に付き合っている人物がいると。
セトはそれを聞いて安堵した様子。それ以降、余計な緊張を見せなくなった。
作戦は成功したが、心は晴れない。セトには誤解されたままだったからだ。
それでも、行動にはついそれが現れた。想いの発露は止められない。セトへの態度は、部下へのそれではなかったはず。
だいたい、ベッドの中に連れ込むなど、普通ならあり得ないだろう。だが、セトは疑うことも無く、セルサスの言葉を信じ切っていた。
おかげでそれまで続いた不眠症もすぐに治った。
重い荷を背負い、日々重圧と戦う自分に、セトの存在が癒しとなったからだ。
本当はセトを危険な目には遭わせたくない。護衛の役は外したかったが、そうすれば、代わりに誰かその役の為に雇わなければならなかった。
けれど、セト以外を傍に置きたくはない──。
結局、護衛の役は彼に任せた。けれど、本心では彼を守るつもりでいた。
二度と目の前で亡くしはしない。──大切なものを。
倒れるセトをヘリの上から見送ったときの眺めが、ずっと心の傷として残っていた。
しかし、セトはそれを許さない。
当たり前と言えばそれまでだが、セルサスはどうしてもセトを失いたくはなく。まして自分のためになど、考えたくもなかった。
セトの手前、不承不承、頷いたが、ずっと守るつもりでいた。
◇
実際、セルサス自身も数々の危険を潜り抜ける中で、相当鍛えられてきていた。
その力は鍛え抜かれた兵士と同等と言えるほど。
もともと、そう言ったセンスもあったのだろう。銃撃の腕前も、体術も剣術も、指導した師匠を追い越すほどになっていた。
国を追い出されたのが良かったのだ。おかげで好きな様に生きられた。
身体を鍛え準備が整うと、父の悪行を暴くため、各地へと潜り込み実情を探る。
その中にイムベルもあった。アストルム帝国南部の都市。
かなり危険な地域で、女子供が日中でも一人で出歩くことなどできない。隙を見せれば、襲われ身ぐるみはがされることなど日常茶飯事だった。
そこで、カラザとも顔を合わせることになる。あまりに嗅ぎまわりすぎたために、危険人物と思われたらしい。正直に潜り込んだ事情を話せばすぐに開放された。
マフィアとされているが、実際はここをまとめる首長のような存在らしい。
面倒ごとがあれば、彼がすべて上手く治めてくれる。物事の善悪を見極め、一方に処罰を与えることもあれば、喧嘩両成敗の時もあった。地域の住民には頼られ慕われる存在だったらしい。
そのイムベルを総帥として訪れる機会を得る。
重点的に治安の悪化した都市を回っていた、その中にイムベルも含まれたのだ。
が、イムベルの市長との会談後、テロリストに襲われた。
ある程度予測していたこととはいえ、やはり手順通りにはいかない。
セトと共に市中に放り出される。
この地域はくまなく探っていた。ある程度、地理にも詳しい。何とか逃げおおせるかと思ったが、追手は手強かった。
それで、逃げ切るのは不可能だと判断したのだ。狙われているのはセルサスのみ。捕まれば、用のないセトは始末される可能性が高かった。
セト──。
傍らを走る青年を失いたくはなかった。
そこで、改めて自分がセトを愛しく思っているのだと気づかされる。
なんとかセトを無事に逃がした所で捕まった。そのまま、追手のアジトに連行される。
テロリストのリーダーは、四十代後半の男だった。
リーダーはセルサスにとある提案をしてきた。もとより生きて返すつもりはないが、僅かなチャンスをやろうと。
ここにある闘技場で勝ち抜けば、生かして返すことも考えなくはない、と。
嘘だとは思った。だが、ここで捕らえられているより、逃げ出すチャンスを伺える可能性がある。セルサスはそれを受けた。
五回戦い勝ち抜けばいい。だが、対戦相手はかなり悪行を重ねてきた連中ばかりで。刑務所で服役しているものもいた。
彼らもまた、勝ち抜けばその罪を問わない、と言われているらしい。俄然、戦闘にも力が入ると言うものだろう。
連れて来られた闘技場は熱気に包まれていた。汗と埃と血の匂い。ムッとした臭気がある。
セルサスに与えらえたのは、大ぶりのナイフのみ。相手の得物と比べるとかなり劣ったが、それを訴えた所で対応するはずもない。最低限の準備を整え闘技場に立った。
もとより覚悟はしていたが苦戦した。それでも、四人目を勝ち抜いた所で、会場内に思ってもいなかった人物を見つける。
──セト?
喧騒に包まれる会場内。その特別にしつらえられた観覧席に見知らぬ男と立っていたのだ。
──いや。あの男は見覚えがある。
忘れるはずもない。カラザだった。実質、イムベルを治める首領。
どうしてセトが件の男といる?
しかし、大体の想像はつく。
セトのことだ。自分だけ逃げることをよしとせず、セルサスを助けるため、ここへ舞い戻ったのだろう。そして、件の男に偶然出会った。
そんなところだろう…。
予想はついていたとは言え、改めてセトを危険から遠ざけるのは難しいのだと思った。
ただ、あの男は悪には染まっていない。だから、セトを問答無用で命を取るようなことはしないだろう。
──出会ったのが彼で良かった。
しかし、カラザはこちらに気づくと薄っすらと笑みを浮かべて見せた。まるで挑発するような笑みだった。
なにかと思えば、そのまま傍らにいたセトへキスして見せたのだ。
こちらに視線を落としながら、執拗にセトにキスを強要する。放っておけば、そのままそこでセトをものにしそうな勢いだった。
あの男──。
こちらを煽り怒らせようとしてい魂胆が見え見えだった。それは半ば成功しただろう。
──許さない。
セトはひとりの人間だ。
なにかの駒でも、商品でもない。その思いを無視して勝手をさせるつもりはなかった。
それに──。
セルサスにとって、セトはすでに特別な存在だった。それを他人に汚されるのは許せるものではなく。
セトはカラザを振り払い、格子を掴みこちらを見下ろしてくる。必死な表情だ。
セトの中でセルサスは守られるべき存在なのだ。それが危機的な状況にさらされているとあっては、いてもたってもいられないだろう。
──なんとしても勝ち抜いて、セトを取り戻す。
カラザの思惑に乗せられたからではない。セトを危険から遠ざけたかったのだ。
セルサスは試合開始の準備が整うまで、貴賓席を睨むように見つめていた。