15.イムベル
朝食を食べ終わり、身支度を整え出す。
ベッドに並べた衣類の前に仁王立ちして考えている俺の横にセルサスも立って、俺と同じようにそれらを眺めた。
「えーと。身に着けるのはこの薄い防弾防熱素材のアンダーシャツに、下も同じものを。通気性はかなりいいはずですから。これならシャツを上に着ても違和感ないですね」
薄い黒地のそれは、シャツを着ても目立たないように作られている。サイズもセルサスに合わせられていた。
俺が以前身に着けていたものより数段高機能で。通気性もいいのに、ナイフなど鋭いもので刺されても直ぐには突き通さない。
銃弾についても同じで、衝撃を吸収するようになっている優れものだ。撃たれても内臓に到達できないくらいの素材にはなっている。
うーん。流石。
俺たち下級兵士には、ただもう、分厚くて重い防弾チョッキしか支給されていなかったのに。もう少し上の階級になると、こういった高機能な素材の防具が支給されるのだ。あとは特別な行事がある時のみ。
以前、セルサスが拉致された時がそうだ。あの時も警備を強化する為、俺たち下々にもそれなりの物資が支給されたのだ。
それ以外はぞんざいな扱いだ。それも仕方ない。俺たちはまだまだ使いもになるかならないかの瀬戸際の連中で。使い物になるまで残っているかわからない連中だ。金はそこまでかけてはいられないのだろうことは分かっている。
しかし、幾ら高機能と言えども、これで頭を覆うことはできない。頭部に対しての攻撃を防ぐには、とにかく周囲を注意しているしかないのだ。
セルサスはそれを見て眉をひそめる。
「…動き辛そうだな」
「それでもかなり伸縮性はありますよ? ほら、こんなに伸びる──」
そう言って、下に履くタイツのようなそれの裾を引っ張って少し伸ばす。確かにやや固くはあるが、この程度なら動きに変化はないはずだ。
「──仕方ない。これを着ないと君が落ち付かないのだろう?」
「そうです。着ないとおちおち外にも出せません。──今日は特に気をつけないと」
それだけ危険な地域なのだ。
セルサスの周囲はがっちり固められる。守備に就くのは本当に信頼のおける護衛官のみ。それはセルサスの周囲に、二重三重に配置される予定だ。
「市長と会談する会場までは車での移動になりますから、それほどではないですが、降りてから会場に向かうまで、会談中と終了時の移動が危険ですね。とにかく、敵地に飛び込むのも一緒ですから。重ねてになりますが、指示通りに動かれるようにお願いしますね」
「ああ。分かっている…。何かあっても、君の指示通り動くさ」
「よろしく頼みますね! ぜったい、俺が守りますから!」
「…頼む」
セルサスは目を細めて笑んだ。
◇
そうして、イムベルまで軍用ジェット機で飛び、空港へと降り立った。
空港は周囲の荒廃と比べて、奇異に映るくらいかなり近代的で整備されていた。荒れていると言っても、そう言った設備にはかなり金をかけているらしい。ここだけ見れば、国から置き去りにされた地域とは思えない。
市長がさっそくタラップを降りた所で出迎える。
「ようこそ。イムベルへ、遠いところお疲れでしょう?」
年の頃は六十代後半、もとは金髪だったであろう白髪頭を撫でつけ、ひとのいい笑顔を浮かべる市長だが、この市長はお飾りで、実際はこの都市を牛耳るマフィアが実権を握っているのだとか。
「いいや。こちらこそ、出迎えご苦労だった」
かるく挨拶に答えると、セルサスはすぐに移動の為に軍が用意した車へと乗り込んだ。
そこから会談会場となる市庁舎までは車で十分ほど。会場には何事もなく到着できた。
先に到着した市長の案内で中へと入る。
市庁舎もかなり近代的な建築物で都会にあったとしても遜色ない。空港といい、箱物にかける金はかなりのものに思えた。市や国からの援助のみで建てられたとは思えない。
エルが言うには、やはりマフィアを通して市へ金が流れているらしいとのことだった。
会場は賓客をもてなすためにあつらえた応接室で、成金趣味に近いキンキラで豪奢な内装に思わず後ずさりそうになる。この市長の趣味らしい。
天井も高く、広さは奥行き数十メートルほど。巾も広く入口から向こうの窓際まで十メートルはあった。舞踏会でも開けそうな広さで、床は大理石が用いられている。
俺はとにかく視線を忙しなく周囲に走らせた。一般市民は会場の外のスクリーンでその様子を観覧する予定だ。会場内に入れるのは総帥をもてなすために呼ばれた来賓のみ。関係者以外、いないはずだった。
身なりも皆整っているが、中にはいかにも──な連中も混じっている。マフィアの幹部だ。一般人とは目つきも雰囲気も違うからすぐにわかる。どんなに質のいいスーツを着こなしていても分かるものは分かるのだ。
会談の行われる場にはこれまた豪奢な革張りの椅子が置かれている。背もたれやひじ掛けの細工が金に輝いていた。
その向かい、距離をおいた場所に客席があった。呼ばれた来賓は順番にそこへ腰かけて行く。
「…結構、いますね」
マフィアらしき人物の数だ。マフィアにも派閥があるらしく、大小様々なグループに分かれているらしい。その全てをまとめる人物がいるのだが、今日は来ていないとのことだった。
俺は舞台袖で会場内を見渡しながら、傍らのエルに囁いた。
セルサスは会見準備の為、同じく舞台袖で関係スタッフに囲まれている。エルも頷きながら。
「ええ。様子見でしょうが。油断は禁物です…」
会場内は、当の本人以外、皆緊張した面持ちでいた。市長でさえ表情がこわばっている。
そんな中、準備が整い両者の会談が始まった。斜めに向かい合うように並べられた椅子に座ったセルサスは、ゆったりとかまえている。
会談はあらかじめ決められたシナリオ通りに進んでいった。会談の内容はすべて放送されている。
今の所、動きの怪しい奴はいないか。
会場内の人数は百人にも満たない。見渡せばある程度行動は分かった。インカムで連絡もしあっている。周囲に配置された警護官の目にも不審者は映らないようだった。
もちろん、会場に入る前には銃器の所持はしていないか、検査を受けている。が、中に内通者がいないとも限らない。
会談は和やかに進められ、最後には硬い握手で終わった。これからも、セルサスはこのイムベルを支援していくと宣言して。
会場内からは拍手が湧く。あまり快く拍手をしないものは、マフィアの関係者だろうか。互いに耳打ちなどして、会話している姿が見て取れた。
セルサスは終始、穏やかな笑みを浮かべ余裕の表情だ。普段よりより怜悧に映るのは、わざとそう構えているからかも知れない。マフィアに対して屈しないと意思表示しているのだ。
強いな。──とても。俺たちのセルサス様は。
まだ年若いと言うのにひるまない。毅然として美しい。凛とした空気を纏っていた。
この勇姿。皆、見ているかな?
皆とはサポーターズクラブの会員を指す。以前の俺だったら、部屋のモニター越しに感嘆の息をもらし、見入っていたことだろう。
が、今は目の前にその本人がいる。
この人は絶対に生かさないといけない人だ。
強く思った。
◇
その後、会談が終わり会場内からの拍手に送られて、セルサスはそこを後にする。
車に乗り込み、来た時と同じ道を走り出したその時、それは起こった。
高架下、道路わきに火の手が上がったのだ。
しかし、良く見れば道路ではなく、そこに隣接した施設が炎上しているようだった。
消防車がでているのか、赤い点滅が見える。セルサスの乗る車からは離れていた。ぼやのようにも見えたが。
「火事か?」
運転していた士官が呟くが、助手席に座っていたエルは冷静に、
「止まらずに行ってください。速度も落とさずに──」
しかし、黒煙があがる。その煙が車のゆく手を遮った。はからずとも、車は速度を落とさざるを得ない。その時、上空から爆音が聞こえてきた。
「まずいな…」
セルサスが小さく呟いた。俺はそのセルサスをはっとして見るが、
「ヘリです!」
運転手が声を上げる。それはまっすぐセルサスの乗る車目掛けて飛んできた。途中、護衛車が爆撃を受け炎を上げる。
「エル!」
俺はセルサスと素早く視線を交わしたあと、後部座席のドアに手をかけた。このままここにいては爆撃の餌食になる。前方に座っていたエルはこちらを振り返ると、
「そのまま飛び降りてくださいっ! 迎えに行きますから!」
その間も爆撃が止まず迫ってくる。次々に前方を走る車が炎を上げ急停車した。
「セルサス様──!」
「ああ!」
セルサスの腕を掴もうとすれば、逆に俺の肩を抱き込む様に掴んだ。そのまま速度を落とした車から、セルサスと共に飛び降りる。
衝撃と共にアスファルトに転がり、止まった所で直ぐに立ち上がり壁面に身を隠した。ヘリがサーチライトで追って来る。
「──セルサス様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。セトは?」
「大丈夫です…」
ちなみに、転がり落ちた時、やはりいつの間にかセルサスに庇われていて、結局、セルサスの腕の中で顔を上げることになったのだが。
壁面に身をよせ、ヘリの動きを見る。
乗っていた車はすでに炎上していた。
エルは逃げただろうか。
心配だが今は逃げることが先決だ。セルサスは俺の腕を掴むと。
「ここは危険だ。走るぞ。その先に下へ降りる階段がある」
「はい…!」
俺ではなくセルサスが指示していた。しかし、ここで今四の五の言っている場合ではない。俺は懐から銃を取り出すと、セルサスと共に駆け出した。