14.視察
その後数週間、何事もなく過ぎていった。
俺としては日々、驚愕し赤面、又はオポッサム化する事態が起こっていたのだが──セルサスはどうやら人恋しいらしく、二人きりになるとスキンシップが多かった。まあ、なんだ。おはようとおやすみのキス等々、主にベッドにいる時がほとんどだったが。そのたびに上記の状態になった──世間では平和そのものだった。セルサスに危害を加えるものも今の所、出ていない。
テロリストたちも鳴りを潜めた。
それまで頻繁にセルサスのゆく先々で事件を起こしていたようだが、それがピタリと治まったのだ。
取り締まりが強化されたせいもあるのだろうが、小さなテロさえ起こらないのは逆に気になる。大人しくなりすぎだ。
このまま沈静化するならいいのだけれど…。
が、こういう時こそ油断ならない。俺はセルサスの愁いとは裏腹に、その盾になる意思を日々強くしていった。
セルサスの一日は多忙だ。
このひと月、傍につきっきりでいて実感した。身体が一つではもたないだろう。
小さな打ち合わせから始まり、各地の問題の報告にその後の経過に。裁可を求められる案件も多々ある。
それらをエルの助けも借りながら自身で調べ、優秀な部下の話しを聞きつつ議論をまとめ、実際に現地に赴いて判断していく。
いままでは父ラファガが独裁を敷き、すべて彼の独断で決められていた。
報告も情報もろくに確認せず、賄賂や金に群がる亡者のような連中の甘言に乗り、すべて判断していたのだ。とにかく金儲け第一で。どんなにいい事業の提案でも、金にならないのならすべて却下だった。
が、セルサスの代になってからは全て変わった。
周囲の者たちも着実に忠実なもの、誠意を持って務めを全うする者が増えていった。
そうは言っても、まだまだラファガ時代の者たちは力を持ったまま。彼らをどうするかが悩みの種でもあった。それでも、わずかな光は見え始めている。
しかし、そうしてセルサスが着実に自身の足元を固め出した矢先、それは起こったのだ。
◇
「明日は南東の市へ視察でしたね?」
「そうだ。イムベル。治安はあまりよくないな…」
俺は夕食後のコーヒーを淹れるため豆をミルで挽く。ごりごり音を立てさせながら、明日のスケジュールを思い返していた。
イムベルはアストルム帝国の南東に位置する市だ。もとは二十万ほどの人口の小都市だったが、田舎の所為もあって中央の目が行き届かず、早くに自治領の様な地帯になった場所だ。
マフィアがその土地を治めているが、テロリストも頻繁に出入りしているらしい。彼らとのつながりも深いのだとか。
なぜ、そんな危険な場所へと赴くのか。それは、目を光らせているのだと分からせるパフォーマンスに他ならない。
イムベルにも形ばかりの市長はいる。彼を訪問し、人々にその姿を見せることで、こんな荒れた地方にも、総帥は目を光らせているのだと知らせる必要があったからだ。
突然、こんな荒れた土地を取り締まるような乱暴なことはしない。だが、徐々にそう言った態度を示すことで、総帥の意思が形ばかりではないと知らしめるのだ。
気の弱い連中はそれだけで尾尻を振って来るらしい。現に他の荒れた都市に行って同じ行動を示した後、その土地を根城としていたマフィアが会いに来たのだと言う。
その都市はかなり無法地帯となっていたのだが、自分はラファガに言われて無理にそうしてきたのだとうそぶいた。
すでに調べ上げているセルサスらは、彼らの言葉を易々とは信じない。逆に悪行の数々を暴き、足を洗い大人しく言うことを聞くようなら、そのまま放逐したが、改心の見えないものは二度と日の当たる場所に出ることはできなくなった。
また放逐と言ってもまったく無罪放免ではなく。かならず監視が付き、言ったことを正しく行っているかを調べた。
そんな地道な作業だから、遅々として進まないが、それでも数十年たてばそれが反映されていくはず。それを信じて、セルサスは突き進んでいた。
同じ様にイムベルにも行動を起こせば、動きがあると見込んでいる。
こちらにこびへつらってくる連中はまだいいが、大人しい振りをして後々抵抗する連中もいるだろうとされていた。それにテロリストも黙ってはいないはず。何らかの行動は起こすと予測していた。
特にイムベルはラファガとのつながりが強かったらしい。その部下であった秘書が頻繁に出入りしていたと言う。治安はかなり悪い。
俺は引き終わった豆をドリッパーに移し、とんとんと中身を軽くゆすって整えた。コーヒーのいい香りが部屋中に漂う。
「装備はしっかり整えますね。身体はいいとして頭は守れませんから。そこは警護で守ります。他の警備隊員とも連携はとれていますが、指示以外の場所には絶対いかないようにお願いしますね」
本当なら、頭からすっぽりフルフェイスのヘルメットをかぶせたい所だ。それだって万全ではないのだが。すると、セルサスは苦笑を漏らし。
「すっかり、警護官だな?」
「だって、そうですから。セルサス様がなんとおっしゃられようと、俺はその為にいると思っています。話し相手だけなんて、それだけじゃ俺が傍にいる意味がありませんから」
「…その為だけのつもりなんだが」
ポツリと漏らしたのを、俺は聞き逃さない。
「いいえ。それだけなんてありえません! セルサス様サポーターズクラブの会員代表としても、断じてありえません! 命に代えてもお守りするのがお役目です!」
俺の鼻息は荒い。縄張りを守る猪のごとくだ。しかし、セルサスは。
「…そうだな」
何か言いたげな目をしてそう返す。
いつもそうだった。この話題になると、そうなる。やはり納得はしていないのだ。
けれど、命を張るのをやめるつもりはなく。
俺はセルサス様を命に代えても守る。
こればかりは、俺も譲れなかった。
◇
「おはようございます…」
朝、俺が小さく鳴らすアラームを止めて起き出すと、必ずセルサスも目を覚ます。
薄暗い中、すんません、すんませんと心の中で唱えながら、小さくなりつつもそもそとベッドから起き上がった。
「…おはよう」
それでセルサスは俺の腰あたりに回されていた腕を解く。たまに手を握られていることさえある。
ああ、なんてこった。
過去の俺、喜べ。今の俺はこんな事になってるぞ。まさに天国。幸せの極み。抱き枕化万歳。
セルサスはそのまま、俺のいなくなった後に移動し寝続ける。
俺、臭くないだろうか。
思わず自身の身体をくんくん嗅いでみた。
セルサスは当たり前の様にいい匂いをいつもさせているが、職務上、俺は香水をつけないし、つけるような香水も持っていない。
ただ、最近はずっとセルサスと共にいるせいで、その香りが移っていることがままあって。
たまに香ると何処かにセルサスがいるのかと、首を左右に振ったりもする。それが自分からだと気づいて、思わず顔を赤くしたりして。
はぁ。俺って幸せもの。
起きて自室のシャワーを使い身仕度を整え、先ほど運ばれてきた朝食をリビングのテーブルに整える。
スープは温め直して出し、トーストも食べる直前に焼く。サラダはそのまま、添えられる副菜類も、食べる直前に温め直す。
今日の出発時刻は早い。九時前には出られる様にしないと。その頃にはエルも迎えに来るはずだ。
「おはよう」
身支度を整えたセルサスが顔を見せる。今日はいつもより早い。席に着いた所へ、直ぐに温かいスープを差し出す。
「はい。今日はカボチャのポタージュですね。んー、美味しそうです…」
甘い香りを放つ濃いクリーム色のそれは、入れたてのクルトンとパセリが彩りを添えていた。
ここの料理人はかなり腕がいい。妙にお上品すぎる味付けや盛り付けではなく、きちんと美味しいと心から思える料理を出してくれるのだ。ご相伴にあずかれる俺は幸せ者だ。
そうこうしていれば、トーストが焼きあがる。皿に乗せて自身も席につく。もう、遠慮はしないようにした。俺が席に着くと、セルサスはようやく食べだすのだ。
俺はもくもくとパンを咀嚼しながら、セルサスを見つめた。セルサスはスープにスプーンを入れゆったりとした動作で口に運んでいる。
この関係をどう言えばいいのだろう。
親子でも兄弟でもない。先輩後輩でも無く。友人同士──に近いのか? でも、添い寝はしないだろう。
そうなるとやはり元の従者と主、だろうか? けれど、従者は一緒に食事はとらない。
なぞだ。なぞ。
なにかの型には当てはまらない関係、と言う事か。特別枠の俺と総帥の関係、という事にしておくしかない。
「どうした? 考え事か?」
「──いいえ。その、今日向かう南方は熱いでしょうから、身に着ける装備は薄手になりますが、危険地帯なので、もう少し重装備がいいかと思いまして」
俺は思っていたことは別の案件を述べる。けれど、これも実際悩んでいたことで。
今日向かうイムベルは平均でも三十度はある地方で。薄いジャケットを身に着けることになるが、そうなると下に身につけられるものは最低限になりそうだった。
厚い防弾チョッキなど身につければ熱いし、いかにもで格好悪い。見た目より命だが、いかにも怯えているように見えては、訪問の意味がないのだ。エルもそう言っていた。
「最低限でいい。後は自分で守れる」
「それは俺の役目ですから。装備は薄くなっても、警護は厚くします。とにかく、目を光らせます」
セルサスは薄着だろうが、俺はそれなりに重装備で行くつもりだ。いざと言う時の盾にならねばならない。すると、セルサスはため息を漏らし。
「セトは外に出ると人が変わるな…。なかなか狂気じみた目をしてるぞ」
そう言って笑う。からかっているのだ。
「いいじゃないですか。気合が入っている証拠です。怖いのがいれば、気の弱い奴なら手を引っ込めるかもしれませんから」
「怖い、か」
そう言ってまた笑う。
俺と『怖い』は結びつかないのだろう。
分かっている。俺のみてくれはそこまで怖くない。だからこそ、目には気合を入れるのだ。ギンと瞠って睨みつける。
はたから見ると俺が一番危険に見えるらしい。いつか、画像に写りこんだ俺を見て、昔の仲間が連絡をよこしたことがあった。『お前が一番危険人物だ』と。
俺は慌ててその映像を見返したが、確かに俺が警護官だったら、即別室へ退場してもらう手合だろう。
いいんだ。言いたければ言え。
それで守れているのだからいいのだ。
それがセルサスには面白く目に映るのだろう。確かにセルサスは自身の身は守れるようだった。一緒に逃げた時にも思ったが、どうやらそれなりに場数を踏んでいるらしい。
エルがいつか学生時代は無茶ばかりしていた、と言っていたがただの無茶ではなかったようだ。
エルの話によれば、父親の悪政を暴くため、あちこち調べ回っていたらしい。危険地域にも足を踏み入れ、それなりに危ない橋を渡ってきたのだとか。
エルが、休憩中に話してくれた。
◇
「いい迷惑でした。ほんと…。学業どころじゃないですし。おかげでこっちも鍛えられましたけど…」
エルはそれまで文学青年で通してたらしいのだが、巻き込まれたお陰で身体を鍛え上げ、それなりに戦闘もできるよう訓練したらしい。
「おかげで射撃の腕はかなり上達しました。これは、セルサス様も舌を巻きます」
ふふんと鼻先で笑って見せる。
セルサスの友人らはそうやって鍛えられて行ったらしい。けれど、件の青年──撃たれて亡くなった──は、それらが不得手で、いつもセルサスが守っていたのだとか。頭脳は明晰で置いて行くことはできない。
「そうそう、当時の画像が残っていますよ」
エルがそう言って見せてくれたのは、七、八人ほどの仲間と並んで写したものだった。
どこかの玄関先に座って、和やかな様子。セルサスは中央にいた。その傍らにすらりとした青年が寄り添うように座っている。
線は細い。揃った前髪が眉毛のすぐ下で揺れている。瞳は大きく澄んでいた。緑色だ。髪は鳶色。可愛い。
すげーかわいい。
男の俺が見たってそう思う。
目がデカすぎるんだな…。
なぜ、言われもしないのに、件の青年だと分かったのは、セルサスの腕がその腰に回されていたからだ。普通、友人にそうはしないだろう。
思った通り、エルはその青年を指差し。
「ええと、これがアレアシオン。皆、アシオンと呼んでいましたね。──セルサスの当時の恋人です。──と、私たちはそう思っていましたが…」
「思ってったって…?」
「お互い好いているのは分かっていましたから、てっきりみんなそう言う関係だと思っていたんです。けれど、そこまで突っ込んだことは聞けずにいまして…。でもこうして親し気ですし。──ここだけの話しキスも目撃されていましたからね。恋人ならずとも互いに思いあっていたことは確かでした」
「それが…」
「セルサスはあなたに話したとは聞きましたが──」
「はい。聞きました。銃が暴発して亡くなったって…」
「…そうなんです。不幸な、とても悲しい出来事でした…。防げたかもしれないと誰もが思いましたが──まあ、後の祭りですね…」
エルは悲しく悔し気な表情を見せた。やりきれない。
切ないぞ。これは。
思いは伝え合えたのだろうか。恋人になるかならないか、微妙な関係だったのだろうか。
最後に話せなかったって、言っていたな…。
思わず涙がこみ上げそうになって、鼻をすすることで誤魔化した。
「お、俺。ぜったい、セルサス様を守りますから! この人が命を懸けた相手をバカげたことで失わせませんから!」
ぐっと拳を握り締めそう口にすれば、
「…そうですね。そうなりますよね」
「エル?」
「二年も前の話です。セルサス様も、もう前を向いているとは思っていますが──」
「いや。たった二年ですよ? まだまだ過去にはならないです。好いた相手なら尚更、思いは深いですから…」
セルサスの様子からも、気にかけているのは分かっていた。その心にずっと住んでいるのだろう。その写真をロケットにしまって終始肌身離さず持っているくらいに。
「そうでしょうか…」
「そうですって。恋人と周りが思うくらい、仲が良かったんでしょう?」
「まあ、そうなんですが…。なんとも煮え切らない所がありましたからね。──私はてっきり、もう吹っ切れていたから、あなたを傍に置いたと思ったのですが」
「は?」
俺は聞き返す。
「それまで、なんどか警護や従者をつけろと言っていたんですが、なかなか色よい返事がもらえなくて。アシオンの件が後を引いていると思ったんです。そこにあなたの件があって…。あなたが生きていると知って、ここで雇うと。自分の傍に置くと決めたんです。──ですから、少なからずあなたに好意があって、あなたをここへ呼んだと思っていたのですが…」
好意。しかし、それはない。
もちろん、親愛の情を感じてくれてはいるのだろうが。
「って、その。俺、言われていますから。俺はそう言う対象じゃないって。それはもう、はっきりと。単に人恋しくて、人畜無害な俺を傍に置いているんです。俺なら面倒な事にはならないですから。──俺は役に立てるなら嬉しいですし。この役回りには十分満足しているんです」
「そうですか…」
エルは納得が行かなそうに首を傾けたが、
「他に相手がいるっていってましたし。だいたい、あのセルサス様が俺をそう言う目で見るはずないですよ。マスコットキャラと一緒です。いくら可愛くても恋愛対象にはならないんですって。て、俺が可愛いって言ってるわけじゃないですけど…」
「…納得いきませんが、セルサス様がそう言ったんですね?」
「はい。まかり間違っても、恋愛対象にはなりませんね」
俺は胸を張ってみせたのだった。
ま、おかげで俺は余計な気は使わなくてすんでるしな。
ほとんど素でいる。格好つける必要はなにもない。恋愛対象にならない相手と過ごすのはなんと気楽な事か。
俺が尊敬し、憧れるのは変わらない。そんな相手の傍にいられるだけで俺は幸せで、それ以上望むのはどうかと思うのだ。