残影の中の手がかり (2)
ギルドの駐車エリアに向かうと、黒いSUVが一台止められていた。
重厚な車体に、無駄のないデザイン。ギルドの車両らしく、堅牢で実用性に優れたものだった。
炎はドアを開け、運転席に乗り込もうとした。
そのとき、ふと後部座席に目を向けると──
すでにいくつかの装備が用意されているのが目に入った。
簡易的な武器、ナイトビジョン装置、応急キット、そして小型の通信機。
まるで「いつでも任務に出られるように」と言わんばかりの内容だった。
──やけに手回しがいいな……
ギルドがこうした装備を積んだ車をすんなり貸し出すとは、炎にとっても少し意外だった。
「これは……信頼ってやつか? それとも別の思惑があるのか?」
炎は冷たく笑い、ギルドの用意周到な計らいに対する疑念を完全には拭えずにいた。
だが、すでに用意された装備を無駄にするのも馬鹿らしい。
彼は車のドアを閉め、エンジンをかける。
低く唸るエンジン音が静寂を破り、車体が滑らかに駐車場を後にした。
ギルド本部がバックミラーの向こうに小さくなっていくにつれ、炎の胸に渦巻いていた疑念も、エンジンの振動とともに次第に薄れていく。
──この先に何が待ち受けていようと、もう覚悟はできている。
◆
ギルドの車両を駆り、炎は曲がりくねった山道をひた走る。
車輪が小石を跳ね飛ばし、狭い道を進むにつれ、周囲の樹木は次第に鬱蒼と茂り、光の届かぬ緑陰が彼の進路を覆い始めた。
ひっそりとした山道は、まるで訪れる者を拒むかのような静寂を湛えている。
やがて、道幅がさらに狭くなり、車での移動が困難になる。
炎は開けた場所に車を停め、残りの道を歩くことを決めた。
◆
昼間の陽光が木々の間から零れ落ち、足元の道をまだらに照らす。
見渡す限り人気はなく、ただ風に揺れる葉音と鳥の囀りが響くだけ。
とはいえ、時折、割れた石畳や崩れかけた石壁の痕跡が目に入り、ここがかつて人の手によって築かれた場所であることを物語っていた。
そして、歩を進めるにつれ、目指す場所がその姿を現した。
それは、森に半ば飲み込まれた古い遺跡だった。
崩れかけた建造物の残骸、苔と蔦に覆われた壁面、無造作に散らばる石材の数々。
一見すると、ただの廃墟にしか見えないが──
炎の表情が険しくなる。
この場に足を踏み入れた途端、空気に染み付いた"何か"を、はっきりと感じ取った。
──圧倒的な魔力の残滓。
それは時間が経ってなお消え去ることのない力の痕跡。
ここでかつて何かが行われたことを、強く主張していた。
炎は目を細め、周囲を警戒しながら慎重に遺跡の中へと歩を進める。
「……やはり、ただの廃墟じゃないな。」
低く呟きながら、彼は遺跡の奥に眠る"何か"を探し始めた。
この場所こそ、アレスの遺した秘密に近づくための鍵となるかもしれない──。
炎は遺跡の縁に立ち、静かに周囲を見渡した。
ここは、かつての戦前施設。
森の奥深くに隠された、忘れ去られた軍事拠点──。
崩れかけた石壁、捻じ曲がった鉄筋。
無造作に散らばる木製の杭や、刻まれたはずの文字すら判別できなくなった古びた石碑。
それらは、過去にこの地で築かれたものの残骸であり、
失われた時代の象徴でもあった。
◆
遺跡の奥へと進むにつれ、炎は異様な感覚を覚え始める。
──重い。
まるで、見えない天幕が昼間の空を覆い隠していくかのような圧迫感。
それは、じわじわと四肢を締めつける冷たい気配を孕んでいた。
炎は足を止め、目を細める。
この場に漂う魔力は、ただの残留エネルギーとは異なる。
単なる霊気でもなければ、ありふれた魔術の波動でもない。
それはもっと根源的で、より深い層に刻み込まれた"痕跡"。
──嵐が過ぎ去った後に残された、消えぬ傷跡のようなもの。
それはただ空間に漂っているのではない。
層を成しながら、絡みつくようにこの場に沈殿している。
この地で、かつて何が起きたのか。
炎は慎重に魔力の流れを追おうとする。
しかし、感じ取れるのは、ただ圧倒的な"何か"の存在だけ。
手を伸ばしても、その核心には届かない。
「……儀式の跡、か?」
ただの呪術とは違う。
ましてや通常の魔法の痕跡とは到底言い難い。
それは長い時間をかけて刻まれた"印"であり、
何らかの"準備"の末に生じたもの──
冷たく、そしてどこか不吉な波動を孕んでいる。
──これは、アレスが残したものなのか?
それとも、この地で彼が制御しきれなかった"何か"なのか。
◆
更に奥へと踏み込もうとした、その瞬間。
圧迫感が増す。
魔力の残滓が、壁のように彼の進路を阻む。
まるで、この先へ行くことを拒むかのように。
あるいは、それ自体が"警告"なのか──。
炎は足を止めた。
目を閉じ、深く息を吸う。
重くのしかかる魔力の気配を、心の奥底に沈めるように。
──確信した。
この場所には、アレスの"秘密"が眠っている。
だが、それを解き明かすには、さらなる"鍵"が必要だった。
炎が遺跡に残る魔力を探る中、突如として背後に異様な気配を感じた。
──強い。
それは冷たく、重く、圧倒的なまでの闇の魔力だった。
まるで、夜の帳が一気に落ちてくるような窒息感を伴いながら、一直線に炎へと迫ってくる。
刹那、本能が警鐘を鳴らす。
「ッ……!」
炎は迷うことなく反転し、銃を構えると同時に引き金を引いた。
乾いた銃声が遺跡の静寂を切り裂く。
──が、次の瞬間。
カンッ!カンッ!
弾丸は、相手の目前で弾かれた。
不可視の障壁が突如として現れ、銃弾を軽々と弾き飛ばす。
まるで、見えない壁が存在しているかのように。
炎の視線が鋭くなる。
「……ッ、チッ。」
相手はまるで何事もなかったかのように歩を進めていた。
余裕の笑みを浮かべながら、じわじわとこちらへ近づいてくる。
その瞳は狂気に満ちており、炎を弄ぶかのような輝きを宿していた。
そして、姿がはっきりと視界に捉えられた瞬間──
炎の瞳が驚愕に見開かれた。
「……夜行者……!」
黒い外套を翻しながら、夜行者はゆっくりと立ち止まる。
薄暗い遺跡の中、その姿は不気味なほど鮮明に映し出されていた。
彼は唇を歪め、愉快そうに笑う。
まるで、炎の動揺そのものを楽しんでいるかのように。
「へえ、随分と久しぶりだな。」
軽く肩をすくめ、胸元を払うような仕草を見せる。
そこに付いた埃など、あるはずもないのに。
「いきなり銃撃とは、またずいぶんと手荒い歓迎だな。
俺たち、そんな殺伐とした関係だったか?」
嘲るような口調に、炎は無言のまま銃を構え直す。
確かに、最後に交えた時──
炎はこの男を"倒した"はずだった。
焼け崩れる遺跡、闇に飲まれ、消えゆく影。
その最後を、自分の目で確かに見た。
──ならば、今ここに立つこの男は、一体何者なのか?
炎の心臓が早鐘を打つ。
だが、動揺は表に出さない。
(こいつは……本当に"アイツ"なのか?)
僅かに眉をひそめながら、夜行者の姿を見つめる。
あの時と、"何か"が違う。
魔力が、違う。
夜行者から放たれる気配は、以前よりも遥かに濃く、強い。
その闇はより深く、より純粋に"異質"なものへと変貌していた。
炎は強く銃を握りしめる。
(……ただの分身だった、ってことか?
それとも──"別の存在"に作り替えられた?)
何にせよ、確かなことがひとつだけある。
──目の前の"夜行者"は、今の炎では到底太刀打ちできる相手ではない。
それでも。
炎の瞳から、決して消えぬ闘志が灯る。
相手が何であれ、迷う理由はない。