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残影の中の手がかり (1)

 ハンターズギルド本部の研究室には、慌ただしさの中に微かな緊張感が漂っていた。


  カルマとアイデンは、アルの体に刻まれた符紋を慎重に調べながら、アレスが遺した手がかりを解読しようとしていた。


 アルは静かに座り込んでいた。

  すでにこの長引く検査には慣れた様子で、特に嫌がるそぶりも見せない。


  しかし、その瞳は時折カルマの方へと向けられ、まるで彼女の無事を確かめるように、瞬きしていた。


 少し離れた場所では、リアが黙々と書類を整理している。

  彼女の手元にあるのは、アレスに関連する研究資料の束だった。


  数名の研究員たちと低い声で言葉を交わしながら、情報を的確に分類していく。

  彼女の落ち着いた動きが、研究室全体に規律と秩序をもたらしていた。


 一方——

 部屋の隅で腕を組みながら立っているエンは、退屈そうにその様子を眺めていた。

  わずかに眉をひそめる。


(こういう分析や研究ってのは、どうにも性に合わねぇな……)


 自分が役に立てるわけでもなく、ただ待たされるだけという状況に、どうにも気が乗らない。

 ぼんやりと視線を巡らせるうちに、彼の目はカルマの姿を捉えた。


 アイデンと並び、符紋の構造について真剣に話し合っている彼女。

  普段の気ままな態度とは違い、そこには強い集中力と探究心が滲んでいた。


  その真剣な横顔には、普段とはまた違った印象がある。

 ——いつもより、大人びて見える。


 ふと、エンの胸の奥に、説明しがたい親しみのような感情が込み上げてきた。

 彼自身、これが何なのかは分からない。


  ただ、その姿を見ていると、不思議と視線を逸らせなくなっていた。

「まだまだ時間がかかりそうだな……」

 エンは独り言のように呟き、無造作に机の上の資料を手に取った。


  だが、ただの時間潰しのつもりで開いたはずの紙束も、彼の集中を引き寄せることはなかった。

 胸の奥に、漠然とした不安が漂っている。


 理由は分からない。

  だが、何かが引っかかる。


 そんな彼の様子に気づいたカルマが、ちらりと視線を向け、口元に軽い笑みを浮かべる。

「待ちきれないの? 退屈なら、先に戻ってもいいのよ」


 エンは肩をすくめ、苦笑しながら答えた。

「誰がこんなに長引く仕事になると思ったんだか」


 アイデンはアルの符紋を指でなぞりながら、考え込むように口を開いた。

「これは単なる魔力の印じゃないな……まるで情報を伝える装置のようだ。

 アレスが仕掛けた……メッセージか、それとも何かの警告かもしれない」


 リアも同意するように頷き、落ち着いた声で言う。

「ええ。ただの符紋じゃないわ。幾重にも魔力層が重なっている……

 恐らく、アレスが闇紋会あんもんかいで行っていた研究と何かしら関係があるはず」


 カルマは昨夜の情景を思い返しながら、手を止めた。


 その時、エンと帰宅した直後、アルの符紋が異様な光を放ち、まるで何かの記憶を呼び覚ますようだった。


 その光の中で、彼女は父アレスの姿を見た。

 耳元で囁く声は遺言のようで、もし彼女がこのメッセージを受け取っているなら、彼はもう彼女を守れないと告げていた。


 カルマは無意識に視線をアルへ落とす。


 昨夜の光と父の声が脳裏を離れない。

 だが今、どれだけ触れても符紋は沈黙したままだった。

 まるで幻だったかのように。


 アイデンはアルの符紋を真剣な表情で見つめ、口を開く。

「これは単なる記憶の投影じゃない。

 特定の条件下でしか起動しない、一度限りのメッセージかもしれない。

 時間帯、感情、周囲の環境——何か昨夜と異なるんだ。

 あるいは最初から“一度きり”の設定だった可能性もある。」


 カルマはアルの背を静かに撫でながら眉を寄せる。

「条件か……父さんは何を伝えたかったの?」


 エンは彼女の横顔を盗み見る。

 昨夜、カルマがアレスの言葉にどれほど心を揺さぶられていたかを彼は知っている。

 あの遺言は単なる別れではなく、深い意図を秘めている。彼女自身も薄々気づいているはずだ。


 カルマは小さく息を吐き、再びアルに手をかざす。

「頼む、もう一度だけ……」


 指先が符紋に触れるが、光は現れず、アルはただ目を細めるだけだった。

「……やっぱりダメね。」


 彼女はがっかりしたように呟き、アイデンを見上げる。

「符紋が反応しないのは発動条件が厳しいからだろう」


 アイデンは考え込む。


「構造も精巧で、層が重なっている。単なる記録や封印とは違う性質だ。高度な儀式や契約に関連している可能性がある。もっと資料が必要だな。」


 タイミングよく、リアが数枚の資料を手にアイデンに渡す。

「最近ギルドが集めた情報よ。似た符紋の記録はあるけど、アレスのものとは背景も目的も異なるみたい。アレスに関する詳しいデータがないと、本当の意味を解くのは難しいわ。」


 エンは静かに会話を聞きながら、昨夜の光景を思い返す。


 あのメッセージはただの遺言ではなく、何かの「指示」だと感じていたが、確信はない。

 やがて彼は一歩前に出て、低い声で言う。


「アレスの言葉がすべてじゃない。」

「もしこれが“一片”にすぎないなら、ほかにも手がかりがあるはずだ。お前の父なら、一度のメッセージにすべてを託すとは思えない。」


 カルマはエンの言葉を噛みしめるように黙り込む。

 確かにその可能性はある。


 父が本当に伝えたかったことがあるなら、それはまだどこかに隠されている。


「……そうね。」

 彼女は目を閉じ、再び開いたとき、瞳に決意の色が宿っていた。

「ここで立ち止まるわけにはいかないわ。」


 エンはそんな彼女を見つめ、口元を緩める。

「よし。次の手がかりを探すとしよう。」


 カルマも小さく頷き、言葉を継ぐ。

「これほど再現が難しいなら、父さんの意図は単純じゃないはず。」


 アルの符紋をめぐる謎は深まるばかりだったが、その答えを求める旅が、カルマ自身の道を切り開く第一歩となるのかもしれなかった。


 研究室の中では、カルマやアイデン、そしてほかの研究員たちが次々と分析を進めていく。

  だが、エンはただ黙ってその様子を見つめるだけだった。


 ──ここにいても、俺には何もできない。


 そう思ったとき、ふと脳裏に浮かんだのは、アレスが最後に儀式を行った場所。

  人里離れた、謎めいたあの場所だ。


 もし、ここでは手がかりが見つからないのなら──

  いっそ、直接そこへ向かったほうがいいかもしれない。


 エンがそう考え始めた瞬間、アイデンが何気なく口を開いた。

「どこかに行くなら、ギルドの車を使うといい。移動が楽になる」


 エンは一瞬、驚いたようにアイデンを見た。


 ギルドの車を使えば、確かに移動は楽になる。

  だが、その分、監視されるリスクも格段に上がるだろう。


 ──けれど、あの儀式の場所は人里離れた辺鄙な土地にある。

  時間を無駄にしないためにも、車を使うのが賢明だ。


 もし、何も見つからなかったとしても……それならそれで問題ない。

  ギルドが追跡するほどの価値もない場所のはずだから。

 しばらく考え込んだ後、エンは静かに頷いた。


「……借りる。」

 短くそう答え、決断を下すと、彼はカルマへと軽く視線を向ける。


「気をつけて。」

 カルマはエンの意図を察したのか、それ以上は何も言わず、ただ小さく頷いた。

 簡単な別れの言葉を交わし、エンはすぐに出発の準備に取りかかった。

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