霧の中の真実と絆(13)
アレスの遺言が、
カルマの心を揺さぶった。
彼女は、決意を込めて口を開く。
「エン……ひとつ聞かせて。」
炎はカルマの真剣な眼差しを感じ、
静かに息を整えた。
「お前の力……その源は、エリヴィアなのか?」
彼女の声は静かだった。
だが、その奥には揺るぎない意志が宿っていた。
炎は、その問いを避けるつもりはなかった。
彼は予感していたのだ。
いずれ、この瞬間が訪れることを──
炎はゆっくりと頷く。
「……そうだ。」
その一言は、
まるで長い沈黙を断ち切るかのようだった。
「エリヴィアの力は、俺の中に残っている。」
カルマは一瞬息を呑む。
やはり──
彼女の胸の奥で、
長らく伏せられていた"何か"が、
音を立てて崩れたような気がした。
「……どうして?」
無意識にそう呟くと、
炎は少しだけ視線を落とし、
静かに言葉を選んだ。
「エリヴィアは、きっと"託した"んだ。」
「この世界のどこかに、
彼女の信念を継ぐ者が必要だった。」
炎の声音は、穏やかだった。
それは、
まるで自分自身に言い聞かせるかのように。
カルマは、炎を見つめたまま、
考え込むように口を閉ざした。
彼の言葉は、
まるで真実を語っているように聞こえた。
だが──
(何かが、違う。)
炎の目には、
わずかな躊躇いがあった。
本当にそれだけなのか?
エリヴィアの力が"宿っている"だけ?
彼の言葉は、
どこか"肝心な部分"を伏せているように感じた。
だが、今はそれを問い詰めるべきではない。
カルマは、
静かに目を伏せた。
「……そう。」
そう呟くと、
彼女は再びアルの毛並みにそっと触れる。
小さな魔獣は、
カルマの感情を感じ取るかのように、
そっと彼女の指に頭を擦り寄せた。
炎は、
カルマの小さな仕草を見守りながら、
心の奥でひそかに息を吐いた。
(彼女は、まだ知らない。)
エリヴィアの力が"宿っている"のではなく──
彼女は今も、俺の中で生きている。
それを伝えるべきか、
否か。
だが、それを知れば、
彼女は父アレスとの関係を、
より複雑に考えてしまうかもしれない。
炎は、その事実を胸に押し込んだまま、
ただ静かに微笑んだ。
カルマの視線が、炎の顔に一瞬留まった。
まるで、
彼の言葉の裏にある"何か"を探ろうとしているかのように。
しかし、彼女はそれ以上問い詰めることなく、
ただ静かに頷いた。
その表情には、
わずかな疑念と、
そして炎の言葉を受け入れようとする理解の色が滲んでいた。
炎は、
彼女の反応にわずかに安堵しながらも、
胸の奥で重たい影を感じていた。
──いつか、この真実が彼女の前に晒される日が来る。
彼はそれを知っていた。
今はまだ、
その時ではないだけだ。
カルマは炎の言葉を静かに受け止めながら、
かつて夜行者が言っていた"エリヴィアの贈り物"のことを思い出していた。
彼女は、それを"呪い"と呼んだ。
かつての彼女にとって、
この力は炎に課せられた束縛にしか思えなかった。
(エリヴィアの力に囚われた彼は、自由ではない──)
そう、彼女は考えていた。
しかし今は──
カルマは、
少しだけ視線を落としながら、
ぽつりと呟いた。
「……たしかに、それは呪いみたいなものかもしれない。」
「でも、同時にエリヴィアが残した導きでもある。」
炎は彼女を見つめ、
静かに言葉を待った。
「もし、この力がなかったら……
私たちは、きっと出会うことはなかった。」
カルマの声音は静かで、
けれどその奥には、
抗いようのない運命を受け入れるような響きがあった。
炎は、ふっと小さく息をつく。
「だからこそ、これは呪いじゃない。」
彼の声は穏やかで、
しかし確信に満ちていた。
「俺たちの前には、予想もつかない試練がある。
だけど、この力は……俺たちを繋げたものだ。」
彼は、そうはっきりと言い切った。
カルマは微笑んだ。
だが、その笑みにはどこか複雑な色が混じっていた。
「……そうかもしれないね。」
「でも、時々わからなくなるんだ。」
彼女は、アルをそっと撫でながら、
自分自身に問いかけるように呟いた。
「父さんの信じたものは、
本当に正しかったのか?」
「私は……それを受け入れるべきなのか?」
炎は黙って彼女の言葉を聞いていた。
そして、静かに答えた。
「今すぐ答えを出さなくてもいい。」
「俺たちは、一歩ずつ進めばいい。」
「そうすれば、少しずつ真実に近づいていける。」
炎の言葉は、
まるで道標のように、
彼女の迷いを照らしていた。
カルマは、炎の言葉を聞いて、
ゆっくりと目を閉じた。
──私は、もう一人じゃない。
父の遺した想い。
エリヴィアの力。
そして、"贈り物"と呼ばれたこの繋がり。
それらすべてが、
炎と自分を結びつけ、
この道へと導いた。
「……そうだね。」
カルマは、
ふわりと柔らかく微笑んだ。
その笑顔は、
まるで"覚悟"が滲んだように、
どこか揺るぎないものだった。
「私たちは、一緒に進んでいく。」
炎もまた、静かに微笑む。
「……ああ。」
夜風が静かに吹き抜け、
重く垂れ込めていた影をさらっていく。
残されたのは、
言葉にしなくとも通じ合う、
静かな誓いと決意。
窓の向こうに広がる夜の闇の中で、
彼らの影は寄り添うように重なり合い、
その内に宿る光は、これまで以上に強く、確かなものになっていた。
──どんな運命が待っていようとも。
彼らは共に歩んでいく。
-第六章:霧の中の真実と絆(完)-