夢幻の追憶 (7)
その日から、少年はより深く闇紋会の調査にのめり込んだ。
昼は学業に身を投じ、人の目を欺きながら身を潜める。
夜はアレスを追い、闇紋会の動きを探る。
そうして、限界を超えた日々を繰り返した。
——だが、人間の体はそう長くもたない。
疲労は着実に蓄積し、やがて彼の肉体を蝕んでいった。
そして、ついに。
数日後、少年の体は限界を迎えた。
視界が揺れる。
足元が定まらない。
頭の奥で鈍い痛みが響き、全身から力が抜け落ちる。
ベッドに横たわりながら、少年は唇を噛みしめた。
こんなところで倒れるなんて——。
情けない。無力だ。こんなはずじゃなかった。
彼は真実を暴くつもりだった。
なのに、こんな形で足を止められるとは——。
苛立ちと悔しさが、冷たい汗と共に滴る。
アレス……
瞼を閉じると、闇の中にアレスの姿が浮かぶ。
あの揺るぎない瞳。
符紋に魅入られ、後戻りできなくなった友の姿。
どこで、何をしているのか。
どこまで、堕ちていくのか——。
「……くそっ」
少年は拳を握りしめた。
焦るな。今は、動けない。
だが、諦めるつもりはない。
必ず戻る。必ず、真実を暴く。
そして、アレスを——。
冷えた夜風が窓の隙間から吹き込む。
少年の体温を奪うように、静かに、冷たく。
それでも、彼の心は冷めなかった。
時間だけが過ぎる。
病に伏せる間にも、闇紋会は動き続け、アレスはさらに深く沈んでいく。
いてもたってもいられなかった。
回復を待つ時間さえ、惜しい。
だが——今の自分では、何もできない。
焦燥と葛藤の中、少年はゆっくりと目を閉じる。
意識が沈む、その刹那。
——次に目を覚ます時、俺はもう、止まらない。
◆ ◆ ◆
数日後。
夜の帳が街を包む頃、少年は静かに立ち上がった。
体はまだ完全ではない。
だが、もう待てなかった。
夜空を見上げる。
冷たい月が、闇の中で一筋の光を落としていた。
まるで、その道を照らすように。
——行くぞ。
少年は、懐に短剣を収める。
符紋が刻まれた刃が、かすかに光を宿した。
その光は、誓いの証。
そして、決して折れることのない意志の象徴だった。
◆ ◆ ◆
夜の闇を歩きながら、少年の脳裏にはアレスの冷たい眼差しがこびりついていた。
戦場を共に駆け抜けた日々。
背中を預け、幾度となく死線を越えた記憶。
それらが幻のように蘇るたび、彼の胸を鋭く締め付けた。
——アレス、お前はどこへ向かおうとしている?
闇紋会——それはただの集団ではない。
力を求め、秩序を壊し、自らの理想を押し付ける危険な組織。
アレスを止めるためには、この闇の奥を暴かなければならない。
少年は決意を固め、彼が頻繁に出入りする倉庫へと忍び込んだ。
◆ ◆ ◆
倉庫内は薄暗く、魔力の残滓が空気に漂う。
乱雑に散らばる研究資料。
壁に刻まれた不完全な符紋陣。
どこか不吉な雰囲気が漂っていた。
少年は慎重に歩を進め、ある一室の前で足を止めた。
重い扉をゆっくり押し開ける。
——そして、目の前の光景に息を呑んだ。
血の滲む手術台。
分解された魔物の死骸。
拘束されたまま動かない人間たち——
恐怖と絶望が凝縮されたその空間に、彼の胸中にあった僅かな希望が鋭く揺らぐ。
——これが、アレスの進む道なのか?
拳を握る少年の視線は、部屋の片隅で止まる。
そこにあったのは、いくつかの試験管——
その中には、見覚えのある魔力の痕跡が残っていた。
僅かに揺れる液体の中、封じ込められていたのは——アレスの血肉。
「……ッ!」
思わず息を呑む。
これは、ただの研究ではない。
アレス自身が、自らの血を提供し、何かを成そうとしている——?
まるで信じたくなかった。
だが、証拠は目の前にあった。
この組織のために、アレスは自らの身すら差し出している。
——いや、それとも彼自身が望んでいるのか?
考えれば考えるほど、胸の奥が冷えていく。
◆ ◆ ◆
家へ戻った少年は、書斎の椅子に座り込んだ。
机の上には、一振りの短剣が置かれている。
アレスが贈った短剣。
刃に刻まれた符紋が、僅かに光を帯びていた。
少年は静かにそれを手に取り、指先で紋様をなぞる。
あの日、アレスは何を思ってこの短剣を渡したのか——。
彼の本心は、まだこの刃の中に残っているのか?
もし、そうなら。
少年の目が決意に満ちた光を帯びる。
「アレス——どれほど遠くへ行こうと、俺がお前を連れ戻す。」
静かに呟いた言葉は、夜の闇へと溶けていった。
短剣の符紋が、一瞬、儚げに輝いた。
まるで、その誓いに応えるように——。




