曖昧な鏡像 (2)
朝の街はまだ静かで、車の往来も少なかった。
アイデンは順調にハンドルを切り、目的地であるハンターギルド・レジデンスへと車を走らせた。
この高層ビルには、ギルドのハンターたちだけでなく、彼らのパートナーやギルド職員も住んでいる。施設全体には厳重なセキュリティが施されており、安全面でも申し分ない。
駐車場に車を停めると、後部座席で眠っていたカルマとリアがゆっくりと目を覚ました。少し休んだおかげか、二人とも顔色はだいぶ良くなっているようだった。
リアは炎とカルマを見つめ、わずかに微笑みながら小さく礼を言った。
「……ありがとう。」
アイデンは一足先に車を降り、軽く頷いた後、そのままギルドへ連絡を取るために少し離れた場所へ向かった。スマホを片手に細かい交渉を進める彼の横顔は、どこか鋭い緊張感を帯びていた。
駐車場に朝の光が差し込み、柔らかな色合いで辺りを照らしている。
炎、カルマ、リアの三人は車の横で静かに待機していた。
炎の視線がふとリアに向かう。
彼女はまだ少し憔悴した様子で、か細い肩をわずかに縮めながら、両腕を自分の体に回していた。
まるで無意識のうちに、どこかに安心感を求めているようだった——。
リアの長い緑の髪は細く柔らかく、朝の風に揺られながら肩にそっと落ちる。
その髪は朝日を浴びてほのかに光を帯び、彼女の青ざめた顔色と微妙なコントラストをなしていた。
しかし、何よりも目を引くのは、彼女の背にあるたった一枚の翼——
純白で柔らかい羽が片側だけに広がり、もう片方には何もない。
その不完全な翼は、まるで彼女の心の奥に抱えた傷を映し出しているかのようであり、孤独を物語っていた。
カルマはその片翼を見つめ、複雑な表情を浮かべる。
そこには同情だけでなく、どこか言葉にできないほどの敬意も滲んでいた。
(この子は、一体どんな過去を抱えているんだろう……?)
リアは周囲を見回し、ハンターギルドの環境にどこか落ち着かない様子だった。
彼女は小さく肩をすくめ、俯きがちに視線を落とす。
その仕草には、余計な注目を浴びることへの不安が滲んでいた。
そこへ、アイデンが電話を終え、軽い笑みを浮かべながら戻ってきた。
「手配完了だ。リアには静かな部屋を用意してもらった。休養するには十分な環境だし、他の連中に邪魔されることもない。」
リアは顔を上げ、かすかに目を瞬かせた後、静かに呟くように言った。
「……ありがとう。でも、どうやってお礼をすれば……?」
その声には疲れがにじんでいたが、感謝の想いは純粋で真摯なものだった。
アイデンは軽く手を振りながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「まずは自分の身体をしっかり休めろ。それからだ。」
そう言いながら、彼は視線を炎とカルマへと向け、意味深長に続けた。
「俺たちにはまだ調べなきゃならないことが山ほどある。これが、ほんの始まりに過ぎない。」
炎とカルマは目を合わせ、黙って頷く。
彼らも理解していた。今回の件で明らかになったのはリアの過去だけではない。
その背後には闇紋会の深い闇——影幕の真の目的、アレスの過去、そしてギルドの裏に隠された陰謀が渦巻いている。
朝の光がゆっくりと廊下に差し込み、柔らかな輝きが床に映る。
四人は静かに、しかし確かな決意を胸に秘め、次の行動を模索していた。
公会が用意した部屋へと足を踏み入れると、そこは静かで簡素ながらも、休息には十分な空間だった。ベッドが整然と並び、窓から差し込む光が室内を優しく照らしている。その落ち着いた雰囲気に、四人は僅かな安堵を覚えた。
そんな中、アイデンの視線が炎の肩に留まる。包帯越しに滲み出た血が赤く浮かび上がり、傷口の悪化を物語っていた。
アイデンは軽く眉をひそめると、新しい包帯を手に取り、炎に向き直る。
「傷が開いてるな。巻き直すぞ。」
アイデンが包帯を取り出そうとしたその時、リアがそっと前に出た。
「私にやらせてください。」
彼女の声は静かだったが、その言葉には不思議な力強さがあった。
カルマが小さく首を傾げる。彼女は、リアがただ包帯を巻き直そうとしているのだと思い、少し身を引いて手伝いやすいようにする。
しかし、次の瞬間、リアの掌がふわりと淡い緑の光を纏った。
まるで春の朝日に包まれるような、柔らかく暖かい輝き——その光は、静かに炎の傷口へと伸びていった。
カルマは目を大きく見開き、驚きに満ちた声で囁いた。
「……お前、治療できるの?」
リアはふわりと微笑みながら、小さく頷いた。
彼女の手がそっと炎の肩に触れると、柔らかな緑色の光がゆっくりと傷口へと染み込んでいく。その光に包まれるにつれ、炎の痛みは和らぎ、傷口はまるで時間を巻き戻すかのように、目に見えて癒えていった。
アイデンはその神秘的な光景に息を呑み、目を凝らしながら低く呟いた。
「……こんな治癒能力、聞いたことがない。特に、悪魔の血を引く者が持っているなんて……リア、これは生まれつきのものなのか?」
リアは視線を伏せ、そっと頷く。その表情には多くを語らぬ静けさがあり、微笑みがどこか神秘的な雰囲気を帯びていた。
「……だから、闇紋会はお前を手放そうとしなかったのか。」
炎が低い声でそう呟くと、リアは一瞬驚いたように目を瞬かせた。しかし、すぐに苦笑し、再び治療に集中する。
だが、その瞬間——
リアの表情がわずかに曇った。
彼女の指先から広がる癒しの光の中に、何か異質な力が紛れ込んでいることに気づいたのだ。
それはただの魔力ではない。
もっと深く、もっと静かで——それでいて、どこか神聖さを帯びた、不思議な気配だった。
リアはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、驚きと、かすかな畏敬の念が宿っていた。
「……お前の中に、何か別の力があるように感じる。」
リアはそう呟きながら、畏敬と戸惑いの入り混じった眼差しで炎を見つめた。
炎はわずかに眉を上げたが、特に問い詰めることはしなかった。
そんな二人の様子を見ていたカルマが、ふと考え込むように尋ねる。
「……リア、お前は一体何者なんだ?」
「これほどの治癒能力を持ち、さらに他者の力まで感じ取れるなんて……」
リアはわずかに俯き、どこか遠くを見るような静かな口調で答えた。
「……たぶん、少し特別な事情があるから……他の人よりも敏感なのかもしれない。」
それ以上の説明はなく、その声にはどこか神秘的な響きが宿っていた。
アイデンは静かにリアを見つめながら、心の中に淡い感情が芽生えるのを感じた。
そして、低く穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「……それが、闇紋会に囚われていた理由なのかもしれないな。でも、今は俺たちがいる。お前はもう安全だ。」
リアはそっと微笑み、小さく頷く。その瞳には、一抹の信頼が宿っていた。
自らの過去を語ることはなかったが——
少なくとも今、彼女の胸の内にあった不安は、少しずつ和らいでいくのを感じていた。




