暗流の幕開け(4)
夜の帳が降りる中、二人は素早く目的地へと向かった。
狭い路地をいくつも抜け、ついに黒燈会の拠点へと辿り着く。
近づくにつれ、異様な魔力が空気を満たしていた。
濃密で、どこか禍々しい。
まるで見えない手が喉を締めつけるかのような、息苦しい気配が漂っている。
カルマが眉をひそめ、低く呟いた。
「……この魔力、普通の召喚術じゃないわね。
何かを活性化させようとしてる……。」
「どんな術式だろうと、止めるしかない。」
炎は冷ややかに言いながら、銃を構えた。
符紋の刻まれた弾丸が装填されていることを確認すると、カルマに向けて小さく頷く。
合図は不要だった。
二人は影のように気配を殺し、建物内へと忍び込む。
そこには、広々とした地下空間が広がっていた。
儀式陣の周囲に、数人の黒衣の男たちが佇んでいる。
陣の中心には蒼白い炎が揺らめき、その煙の中で、形を成しつつある魔物の輪郭が浮かび上がっていた。
「……急ぐわよ。」
カルマが低く囁くと、両手に猛る炎を宿す。
次の瞬間、轟音とともに紅蓮の焔が術式に向かって放たれた。
──ドンッ!
爆発音が響き渡り、黒衣の男たちが驚いて散り散りに退いた。
「侵入者だ!」
叫び声が上がると同時に、敵が反撃を開始する。
しかし――
彼らに応戦する暇などなかった。
カルマの焔は的確な軌道を描き、敵の攻撃を封じる。
それと同時に、炎が疾駆する。
彼の動きは、まるで影のように素早かった。
符紋銃を構え、迷いなく引き金を引く。
──シュンッ!
青白い閃光が闇を裂く。
符紋の弾丸が敵の防御を貫き、直撃した瞬間に微かな光を放ちながら炸裂する。
敵が一人、また一人と倒れていく。
炎の動きには、無駄がなかった。
滑るように敵の間をすり抜け、確実に銃弾を撃ち込む。
リロードの隙さえも、攻撃のリズムに織り込んでいる。
まるで、戦場に溶け込む亡霊のように。
火の閃光と符紋の輝きが交錯する戦場の中――
炎の表情は冷徹そのものだった。
その双眸はまるで刃のように鋭く、敵を逃すことなく捉える。
彼の動きには、一切の無駄がない。
すべてが、彼の掌の上にあるかのように。
放たれた銃弾は、一発残らず狙い通りに敵の急所を撃ち抜いていった。
黒燈会の構成員たちは、次々と崩れ落ちる。
戦況は、炎の圧倒的な制圧力の前に、完全に崩壊しつつあった。
だが――その時だった。
ズンッ……。
突如として、場の空気が張り詰める。
圧倒的な威圧感が、まるで嵐のように炎を襲った。
直後――
「クク……ハハハハ……!」
耳を劈くような、冷たい笑い声が響き渡る。
それは、あまりにも聞き覚えのある声だった。
「……ここまでたどり着いたか。まさか、儀式を台無しにされるとはな。」
低く、不気味な声が背後から降り注ぐ。
二人は即座に振り返った。
そこに――
黒き長衣をまとった男が、闇の中から悠然と姿を現す。
その顔には、どこか狂気じみた笑みが浮かんでいた。
「……お前は?」
炎が冷ややかに問いかける。
男の双眸は、深淵の闇を宿していた。
まるで、生きたものすべてを飲み込もうとするかのように。
そして、男は静かに名乗る。
「私は夜行者。
彼界への道を拓く者にして、女神の御足跡を辿る唯一の存在だ。」
その声は低く、そして、冷たい。
まるで、絶対的な真理を語るかのように。
闇を纏う彼の掌が、ゆっくりと持ち上がる。
すると、黒き魔力が凝縮し、漆黒の霧となって渦を巻き始めた。
闇の奔流が、彼の周囲に満ちていく。
空気が一瞬にして重くなる。
まるで、この場のすべてが彼の力に屈服していくかのように――。
「……この魔力……!」
カルマがわずかに目を細め、一歩後ずさる。
警戒の色が、その瞳に滲んでいた。
「ただの魔力じゃない……。
これは……禁忌に触れた、異質なもの……!」
彼女は鋭く言い放つ。
それは、ただの悪魔の力ではなかった。
もっと歪んだ、穢れた何かが、その中に混ざっている。
夜行者は、そんなカルマを見て、嘲笑するように微笑んだ。
「……怖気づいたか? だが、まだ始まりに過ぎん。」
そう言うなり、彼は手を振るう。
ゴォッ……!
黒き魔力が奔流となって放たれる。
周囲の空間が歪むように震え、無形の黒き手が次々と伸びる。
それはまるで、見えざる無数の闇の腕。
――炎とカルマを、この場に縛り付けるために。
「気をつけろ!」
炎は冷静に警告を発しながら、素早く身を引いた。
手に握った銃を構え、氷のような鋭い眼光を放つ。
カルマも即座に後方へ跳び、両手を掲げる。
その掌には、灼熱の炎が渦巻いていた。
燃え盛る焔が闇の魔力の奔流を食い止めるように、赤々と揺らめく。
しかし――
「フン……そんなものが、我が力に抗えると思うか?」
夜行者は、まるで取るに足らぬ存在を見るかのように彼らを見下し、薄く笑った。
彼が指をわずかに振るうと、
――ドスン……!
闇の奥から、巨大な影が這い出てくる。
それは、異形の魔物。
黒い霧を纏いながら、獣のように低く唸り、殺意を込めた眼光を炎とカルマに向けた。
次の瞬間――
魔物が、一気に二人へと襲いかかる!
「くっ……!」
炎の指が引き金を引く。
バンッ!
符紋の弾丸が空気を切り裂き、魔物の肉体に正確に着弾する――
だが、
魔物は微動だにせず、僅かに身を震わせただけだった。
そして、再び牙を剥き出しにしながら突進を開始する。
その目に宿るのは、痛覚など持たぬ怪物の狂気。
「……ッ!」
カルマが両手を広げる。
指先から、二本の火蛇がうねり出るように放たれ、魔物を包み込むように襲いかかる――
しかし。
「!? ……消えた……?」
炎のように燃え盛る魔法が、魔物の体表に届いた瞬間――
スゥ……
黒き霧の障壁が、すべてを呑み込み、焔をかき消した。
まるで、最初からそこに火などなかったかのように。
「……この力、どこから生まれている?」
炎は低く呟き、銃を握る手に僅かな力が入る。
目の前の怪物が、ただの魔物ではないことは明らかだった。
彼の視線が夜行者へと移る。
その表情には、嫌な予感が滲んでいた。
そんな炎の反応を見て、夜行者は高笑いを上げた。
「ハハハハハ……!」
彼の手の中で、黒き魔力が旋回し、さらに濃く、さらに圧倒的な存在感を放つ。
「これこそが……女神の遺産。
真なる力よ。」
夜行者の声は、狂気と陶酔に満ちていた。
その双眸には、もはや人としての理性など残っていない。
「この真実を理解できるのは、この私のみ。
貴様ら愚かな虫けら共は、ただ私の掌の上で踊るしかないのだ。」
その言葉に、カルマの眉がピクリと動く。
静かな怒りが、その瞳に灯る。
「……遊びだって?」
彼女は、夜行者を氷のような眼差しで見据えた。
「なら……せめて、痛みを教えてあげるわ。」
その瞬間、彼女の炎が爆ぜた。
バチッ――!
火花が散る。
燃え盛る焔が、まるで意思を持つかのように揺らめいた。
夜行者は、それを見て、にやりと笑う。
「……ようやく、その気になったか。」
黒き魔力が、彼の周囲で渦を巻く。
空気が張り詰める。
次の瞬間――
戦いが、始まった。