暗影に結ばれるもの (2)
ちょうどその時——
アイデンの携帯が突然鳴り響いた。画面に表示されたのは技師からの着信。彼は軽い調子で通話を繋げたものの、次第に表情が微妙に変わり始めた。
「……あ?」
電話越しに技師の説明を聞くにつれ、アイデンの顔から笑みが消え、次第に硬直していく。やがて彼は無言でタブレットを開き、送られてきた請求書を確認した。
そして、その数字を見た瞬間——
「た、高すぎるだろこれぇぇ!!」
思わず低く叫び、眉間に深い皺を寄せる。信じられないといった様子で画面を見つめ、息を深く吸い込んだ。
額に浮かぶ汗が、今の心境を物語っている。
(くそ……どうする……この金額、分割払いとかできるのか……?)
アイデンがなんとか出費を抑える方法を考えあぐねているその時——
炎は無言で手を伸ばし、タブレットを受け取った。
そして迷いなく自分のアカウント情報を入力し、支払いの確認ボタンを押す。
数秒後、画面には「支払い完了」の文字が表示され、電話の向こうから技師の声が一変した。
「アイデン様、お支払い確認いたしました!ご注文品は最優先で仕上げますので、どうぞご安心ください!ありがとうございます!」
アイデン:「……は?」
目の前の光景が理解できず、口を半開きにして炎を見つめる。
「え、いや……は?お前、今……?」
しかし、炎はまるで何事もなかったかのようにタブレットをテーブルに戻し、淡々と一言。
「使えればそれでいい。他はどうでもいい。」
そう言い放った彼の表情は微動だにせず、先ほどの大金の支払いがまるで些細な出費に過ぎないかのようだった。
アイデンはまだ信じられないといった表情で、ちらりと炎を見やる。
「……大金だぞ?そんな簡単に払えるなんて、理解不能だ……」
ぶつぶつと不満げに呟く彼に、隣で会話を聞いていたカルマが首を傾げながら問いかけた。
「アイデン、ボタンを押すだけのことなのに?なぜそんなに大騒ぎするの?」
アイデン:「……は?」
思わず固まるアイデン。まるで“説明を求められるとは思っていなかった”とでも言いたげな顔で、しばし沈黙した後、仕方なさそうに口を開いた。
「……いやいや、俺たち一般人にとっては、金はそんな簡単に出せるもんじゃないんだよ。これは汗水垂らして稼いだ金であって、使うときは慎重になるのが当然だろ?」
カルマは小さく眉をひそめる。どうやら「慎重になる」という部分がいまいち理解できないようだ。
彼女の視線が炎とアイデンの間を行き来し、「金」という概念を何とか理解しようとするように、ゆっくりと口を開いた。
「……つまり、人間は金を大事な資源として扱う、ってこと?」
炎はその言葉に、淡々とした口調で答える。
「そうだ。金は資源。」
「使うべきところで使うのが基本だ。戦闘で魔力を使うのと同じようにな。」
カルマは何か考え込むように小さく頷き、曖昧な笑みを浮かべた。
「……なるほど、お金って、人間世界特有の魔力の一種なのね。」
そう言いながら、彼女はポケットから小さなカードを取り出し、軽く指で弾いた。
そのカードには、無限を象ったシンボルが描かれており、この街の電子決済システムに対応したICチップ内蔵の支払いカードだった。
カルマはそのカードを誇らしげに掲げ、アイデンに向かってにっこりと微笑む。
「アイデン、お金に困る人ばかりじゃないでしょう?」
「例えば、このカード——どこででも簡単に支払えるし、無限の資源が入ってるわ。」
アイデンは一瞬ぽかんとした後、ゆっくりと炎を振り返り、疑惑の目で睨みつけた。
「……エン、お前、」
「……まさかカルマに自動チャージ機能付きの支払いカードを渡したのか?」
炎は淡々と頷き、アイデンの呆れた視線を完全に無視して、さらりと答えた。
「カルマはせいぜい菓子や軽食くらいしか買わないし、大した額じゃない。生活する上で便利だろう?」
まるで「どうでもいいことだ」と言わんばかりの口調だった。
カルマはそんな二人のやり取りを見ながら、小首を傾げる。
「つまり……資源って、限りがあるの?」
彼女はカードを見つめ、不思議そうに瞬きをする。
「私はてっきり、このカードこそが“無限の魔力”みたいなものかと思ってたんだけど……」
アイデンは深くため息をつき、ぼそりと呟いた。
「どうやら、これから君に人間世界の常識をもっと教えないといけないみたいだね……特に、お金に関しては。」
そう言いながら、彼は心の中で獲物を狩るハンターたちの収入をざっと計算してみる。
しかし、どう考えても炎のように、あんな高額な支払いを何の躊躇いもなく済ませるほどの金が入るとは思えなかった。
ギルドの仕事をしている以上、この業界の収入水準はある程度把握しているつもりだ。
確かに、成功報酬の額は悪くないが、それでも炎の金回りの良さには違和感があった。
彼は炎をじっくりと観察しつつ、ふと、この古びた住宅にも目を向ける——
——壁のひび割れ、傷んだ窓枠、所々剥がれた塗装。
どれを見ても、長い年月を経た建物であることは明らかだった。まともに改修された形跡すらない。
「……なあ、エン?」
アイデンは眉を寄せ、何かを考え込むように炎を見つめた。
そして半ば冗談めかした口調で問いかける。
「お前の金って、一体どこから来てるんだ?ハンターの収入だけじゃ、そこまで余裕ないはずだけど?」
炎は無言のまま、アイデンに一瞥をくれる。
しかし、その目には何の感情も浮かんでいなかった。
まるで「そんなこと、どうでもいい」と言わんばかりに。
横で見ていたカルマは、アイデンと炎を交互に見つめ、首をかしげる。
「……え?もしかして、お金ってそんなに簡単に稼げるものじゃないの?」
アイデンは思わず苦笑し、肩をすくめながら言った。
「やれやれ……つまり、君たち二人とも、お金の概念について学ぶ必要があるってことだな。」
「確かにハンターの報酬は悪くないけど……エン、君こそ ‘適切な支出’ ってものを理解するべきじゃないのか?」
しかし、 炎はまるで意に介さず、無造作に肩をすくめる。
「問題が解決すれば、それでいい。」
そんな 炎の返答を聞いたカルマは、ふと何かを思い出したように瞬きをし、首を傾げながら言った。
「そういえば、いつもエンがアイデンの分を払ってるよね?」
彼女の言葉には純粋な疑問が込められていたが、同時に、まるで何かの ‘事実’ を明るみに出してしまったかのような、微妙な鋭さもあった。
アイデンは一瞬ぎくりとし、表情がわずかに強張る。
「……あー、それは、その……まあ、単に、便利だからというか……?」
妙に曖昧な言葉を並べつつ、彼は慌てて話を逸らそうとした。気まずそうに視線をさまよわせ、カルマと 炎の顔を交互に見た後、軽く咳払いをして話題を切り替える。
「ともかく、そんなことはどうでもいいだろ? 今は目の前の問題に集中しようじゃないか。」
炎は特に興味がなさそうに無言で頷き、そのまま静かにアイデンを見つめるだけだった。
彼の目には何の感情も浮かんでおらず、まるで「そんなこと、前から知ってた」という無言のメッセージが込められているようだった。
一方、カルマはまだ納得していない様子でアイデンをじっと見つめていたが、なぜ彼がそこまで動揺したのかは理解できていないようだった。
彼女はしばらく考え込んだ後、ようやくそれ以上追及するのをやめ、話を本題に戻すことにした。
話題が一区切りつくと、三人は自然と次の行動に意識を向けた。
闇紋会の痕跡を追うため、これからどう動くべきか——。
それぞれの視線が鋭さを増し、空気が引き締まる。
彼らは理解していた。
この先に待ち受けるのは、決して平坦な道ではないということを——。