暗流の幕開け(3)
住処へ戻ると、三人は集めた資料と羊皮紙をすべてテーブルの上に広げた。
淡い灯りの下、紙面に浮かび上がる奇妙な文字たち。
乱雑に書き殴られた筆跡、複雑に絡み合う符紋、そして古の紋様。
薄暗い光に照らされ、それらはまるで不穏な秘密を宿す呪いのように、静かにその真実を語る時を待っているかのようだった。
アイデンはテーブルの前に座り込み、資料を丹念に整理しながらページをめくる。
指先が符紋の間を滑り、眉間に皺を寄せながら呟く。
「……この符紋の配置、どうにも妙だな……。
強化魔法陣のようにも見えるけど、不安定な要素が混じってる。
こんな構造、正気の沙汰じゃない……。」
炎とカルマは静かに彼の作業を見守っていた。
カルマはわずかに眉をひそめ、炎を一瞥する。
「……こんな複雑な符紋、頭が痛くなるわね。一体何に使うの?」
炎はテーブルに並べられた資料をじっと見つめる。
その翡翠色の瞳がわずかに光を帯び、思索に沈んでいた。
「……単なる魔物の召喚じゃない。
これらの符紋は、おそらく魔物を支配し、さらには強化するためのものだ。
もし黒燈会がこの技術を手に入れたら……その影響は計り知れない。」
カルマは小さく頷きながら、瞳に一抹の不安を浮かべた。
──たとえ魔界であっても、こんな術式は危険すぎる。
下手に扱えば、制御不能の大惨事を招きかねない。
「奴らの狙いは、単なる魔物との共存じゃない。」
彼女は低く呟く。
「魔物を完全なる兵器へと作り替えようとしている。
それどころか……融合させ、新たな生物を創り出すつもりかもしれない。」
その時だった。
アイデンがふと顔を上げ、わずかに青ざめた表情を浮かべる。
「……この符紋、ただの強化じゃない。」
彼は震える指先で、ある一節を指し示しながら、声を潜めた。
「ここに記されてる……黒燈会は、魔物と人間を共鳴させ、生命力を共有させることを試みている。」
言葉を紡ぐごとに、彼の声には明らかな動揺が滲んでいく。
「つまり……彼らは人間と魔物の境界を曖昧にし、融合させようとしているんだ。」
その瞬間、炎の眉間に深い皺が刻まれる。
「……常識的な魔物の支配を超えているな。」
低く呟いた彼の声には、危機感が滲んでいた。
カルマもまた、思わず背筋に冷たいものを感じる。
この融合計画が意味することを、彼女の頭の中で素早く整理する。
「……人間を半魔の存在へと変えるつもり?」
彼女は小さく息をのむ。
「確かに、そうなれば途方もない力を得ることになる……。
でも、それが制御不能な怪物を生み出す危険性を孕んでいることは、言うまでもないわ。」
カルマの瞳が鋭く光る。
「黒燈会の真の目的は、一体何なの……?」
──その時。
アイデンが無意識にページをめくると、そこに記されたある言葉が三人の視界に飛び込んできた。
「彼界への道」
四つの文字。
ただそれだけなのに、まるで形のない重圧が部屋を包み込む。
それを見た瞬間、三人の間に張り詰めた沈黙が落ちる。
炎の瞳がわずかに陰る。
「……彼界への道……。」
その言葉をゆっくりと繰り返しながら、彼は無意識に拳を握る。
ただの言葉ではない。
そこに込められた黒燈会の狂気が、じわじわと部屋に浸透していくようだった。
アイデンは眉を寄せ、思案するように低く呟いた。
「……これが、やつらの最終目標なのかもしれない。」
彼は羊皮紙を指でなぞりながら、慎重に言葉を選ぶ。
「この世界を、未知なる彼界へと繋ぎ、さらにはそこの力を支配しようとしている……。
これは単なる宣言じゃない。むしろ警告だ。」
彼はゆっくりと顔を上げ、険しい表情で続けた。
「もし、黒燈会がこれを成し遂げたら――それは、紛れもない破滅を意味する。」
カルマの瞳が鋭く光る。
その唇から紡がれた言葉には、迷いはなかった。
「……どんな目的だろうと、こんな狂気の実験、絶対に成功させるわけにはいかない。」
彼女の声は冷徹で、しかしその奥には燃えるような決意が宿っていた。
「この道は、やつらの望む未来には繋がらない。」
まるで、断言するように。
炎は静かに頷く。
この戦いの意味は、今までとは比べものにならないほど重大だ。
もし黒燈会がこの技術を完全に掌握すれば――この世界そのものが、破滅へと向かうだろう。
それを止めるには、やつらが計画を完成させる前に、黒燈会の動きを突き止め、叩き潰すしかない。
アイデンは羊皮紙を慎重に折りたたみ、視線を二人へ向けた。
その目には、先ほどまでの迷いはない。
「……この符紋の研究を進めてみるよ。
少しでも奴らを止める手がかりが掴めるかもしれない。」
炎とカルマは互いに目を合わせ、無言のまま頷いた。
心の中には、すでに共通の意志がある。
――この戦いは、今までとは次元が違う。
より強大な敵が待ち受けている。
だが、もう迷っている暇はない。
戦いは、すでに始まっている。
ならば、先手を打つしかない。
アイデンの解析が進むにつれ、炎とカルマは徐々に黒燈会の行動パターンを浮かび上がらせていった。
いくつかの符紋の配置が、特定の地点と関連している。
それらを繋ぎ合わせると、一本の線が導き出された。
──とある、秘匿された場所へと。
アイデンが地図の一点を指さし、声を潜める。
「ここが、次の儀式の拠点だ。」
彼の表情は険しく、慎重に言葉を続けた。
「符紋の配置からして、黒燈会は複数の魔物をここに集め、強化の儀式を行おうとしている可能性が高い。」
炎はじっと地図を見つめ、わずかに頷く。
「……ならば、奴らが準備を整える前に潰す。」
低く、だが確かな意志を込めた声。
その言葉に、カルマが不敵に笑う。
「フン……面白いじゃない。」
彼女は顔を上げ、炎を見据えながら言い放った。
「今回は、どんな手を使おうが絶対に邪魔させてもらうわよ。」
三人は静かに視線を交わす。
言葉は要らない。
──すでに、互いの決意は共有されていた。
これから向かうのは、未知なる戦場。
待ち受けるのは、かつてない脅威かもしれない。
だが――
今さら、足を止める理由などない。
夜の帳が降りる中、三つの影は静かに闇へと消えていく。
そして、新たな戦いの舞台へと歩みを進めた。