ミッションコード:指名行動(2)
アイデンは目の前のハンターを、改めてじっくりと観察した。
——白髪、鋭い緑の双眸、年齢は……自分より若い?
だが、炎の瞳には一切の迷いがない。冷静で、感情の揺らぎがほとんど見えない。まるで、どんな状況でも決して動じることのない氷のような存在。
アイデンは無意識に眉をひそめる。
こんな返答、納得できるはずがない。
「……ああ、知ってるさ。」
低く呟くと、苛立たしげに眼鏡を押し上げる。
「ギルドは、安全さえ確保できればそれでいい。研究の価値なんて、彼らには理解できない。」
小さく息を吐き、まるで自分に言い聞かせるように呟く。
「俺の研究は、既に過去の限界を超えているんだ……。"契約" の強度を飛躍的に向上させる方法も、ようやく掴みかけている。」
「こんな貴重な機会、ここを離れたら二度と手に入らないかもしれないんだぞ?」
炎は静かにアイデンを見つめていた。
この饒舌な研究者の目に宿るのは——"執着" と "葛藤"。
——彼は、本当に『囚われている』のか?
ここでの環境に不満を抱きながらも、"研究を続けられる" という誘惑を振り切れない。
その矛盾が、アイデンの言葉の端々に滲み出ていた。
炎は短く息を吐き、静かに言い放つ。
「確かに、ここにあるデータには価値があるかもしれない。」
「だが、その代償は、お前が"駒"になることだ。」
アイデンの表情がわずかに揺らぐ。
「この連中は、お前を研究者として扱っているわけじゃない。"使い捨ての道具" として利用しているに過ぎない。」
冷淡な声音が、暗い研究室に響く。
「それでも、ここに残る価値があると、本気で思っているのか?」
アイデンの表情が、一瞬固まる。
言葉に詰まり、視線を彷徨わせた後——彼はふっと息を吐き、僅かに視線を伏せた。
——迷い。
しかし、それは長くは続かない。
しばらくして、彼は顔を上げ、苦々しく言った。
「……わかったよ。ギルドがどうしても俺を連れ戻したいって言うなら、従うさ。」
その声には、妥協と苛立ちが入り混じっていた。
けれど、それ以上に滲んでいたのは——"執念"。
「だが、これだけは言っておく。俺は帰ったあとも研究を続ける。この研究を誰にも邪魔させるつもりはない。」
その決意は、揺るがない。
炎は冷ややかにアイデンを見つめ、一言も発さないまま頷いた。
——こいつを今説得するのは無駄だ。
この男の頑固さは、顔を見れば一目瞭然。
「……行くぞ。」
そう言いながら、炎は警戒するように周囲を見回し、低く続ける。
「すぐにここを出る。外にはまだ、俺たちを止めようとする連中がいる。」
アイデンは短く息を吐き、乱雑に数冊の研究ノートを掴むと、それらをバッグに詰め込んだ。
「心配するな、ちゃんとついていくさ。」
「ただし、気をつけろよ。この施設にはあちこちに仕掛けがある。"闇紋会" がそう簡単に逃がしてくれるとは思えない。」
炎は無言で頷くと、アイデンに軽く手で合図を送り、出口へと向かう。
二人は静かに歩を進めながら、物音ひとつ立てずに廊下を抜ける。
——その時。
遠くから、微かな足音が聞こえてきた。
闇の奥から、何者かが確実に接近している。
炎は即座にアイデンへと目をやり、囁くように言った。
「……黙れ。俺の後ろに、静かに続け。」
アイデンも頷き、息を潜めながら背後にぴたりとつく。
二人は静かに、素早く廊下の影へと身を潜めた。
……敵の気配が、すぐそこまで迫っていた。
突如として、数名の黒衣の男たちが行く手を塞ぐ。
冷たい視線が、確実にこちらを捉えていた。
「逃げられると思うなよ?」
先頭の男が嘲笑しながら言い放つと、躊躇なく武器を構える。
——待ち伏せ。
炎はすぐさま状況を判断し、背後のアイデンに低く囁いた。
「戦場には近づくな。隙を見て、すぐに脱出しろ。」
その言葉と同時に、彼は手早く銃を抜き、冷静に標的へと狙いを定める。
男たちがじりじりと距離を詰める中、炎は周囲を素早く見渡し、遮蔽物と最適な攻撃位置を探る。
「壁際まで下がれ。ここは俺がやる。」
アイデンは不服そうに眉を寄せながらも、すぐに壁際へと後退する。
黒衣の男たちは銃口を向けたまま、嘲笑を浮かべた。
「デビルハンターが、俺たちを出し抜けるとでも?笑わせるな!」
その言葉にも、炎は微動だにしない。
むしろ、その鋭い眼光は一層冷たく研ぎ澄まされ——
——刹那。
炎の身体が、影のように動いた。
壁際へと素早く滑り込み、狙いを定めると同時に引き金を引く。
蒼き符紋が銃口を輝かせ、弾丸が一直線に標的へと走った。
ドンッ——!
放たれた一撃は、真正面の黒衣の男の胸を撃ち抜いた。
男は短い呻き声とともに地面へと崩れ落ち、血の匂いが空気に滲む。
それを合図に、残る男たちは一斉に銃を構えた。
「やりやがったな!!」
怒声とともに弾丸が飛び交う。
だが——炎は既に動いていた。
次々と撃ち込まれる弾丸を、鋭い動きでかわしながら、反撃の隙を伺う。
無駄のない動作、迷いのない銃撃——撃てば必ず敵の急所を捉える。
——これが、"デビルハンター"の腕だ。
数度の交戦を経て、黒衣の男たちの表情に焦燥が滲む。
彼らは自分たちの誤算に気付いた。
「……こいつ、化け物かよ……」
低く呟いたその言葉が、炎の耳に届くことはなかった。
戦闘の最中、アイデンは炎の手元に目を向けた。
そこにあったのは、独特な意匠を持つ拳銃——。
銃身には流れるような符紋が刻まれ、淡く光を帯びている。
そして、炎が引き金を引いた瞬間——
青き符紋弾が解き放たれた。
弾丸は一直線に飛び、黒衣の男の肩を正確に撃ち抜く。
命中した瞬間、男の動きが硬直し、麻痺したかのように地面に崩れ落ちた。
それを目にしたアイデンの瞳が、大きく見開かれる。
驚愕と興奮が入り混じる表情で、抑えきれぬ好奇心が滲み出た。
「青い符紋……これは、人間用の麻痺弾か?」
思わず低く呟き、彼の目が獲物を見つけたかのように輝きを増す。
まるで、珍しい宝石を目の前にした学者のように——。
しかし、炎はそんなアイデンの様子を一瞥すると、淡々と釘を刺した。
「研究する時間はない。今は脱出に集中しろ。」
それでも、アイデンは満面の笑みを浮かべ、興奮気味に頷く。
「いやいや、それにしても凄いな。これほど精巧な符紋設計……普通の市場にはまず出回らないだろう。それに、この銃も……」
彼の視線が炎の拳銃に吸い寄せられる。
だが、炎は無言のまま、新たな弾倉を装填すると、躊躇なく次の標的に向けて引き金を引いた。
放たれた青い閃光が、近づく敵を正確に撃ち抜く。
命中した男は同じく麻痺し、その場に崩れ落ちた。
アイデンは炎の冷淡な態度に気付いていたが、それでもなお興奮を抑えられなかった。
「……この符紋設計、実に興味深い……!」
熱を帯びた眼差しで、彼は炎の持つ銃をじっと見つめる。
この符紋技術には、何か秘密がある——
そう確信したアイデンの脳裏には、早くも解析と研究の構想が浮かび始めていた。