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ミッションコード:指名行動 (1)

 

 深夜。


 静まり返った部屋の中、スマートフォンの通知音が響く。


 エンが手に取ると、画面には赤く際立つ特別指令が表示されていた。


「ミッションコード:指名行動」

「指定ハンター——エン」

「対象——行方不明の研究員」

「座標——マッピング済み」


 エンは無言で画面を見つめ、わずかに眉をひそめた。


 ——また、ギルドの命令か。


 気に入らない。

 ギルドの仕事はたまに請け負うが、こんなふうに指名されるのは好きじゃない。まるで鎖で繋がれたかのような圧迫感がある。


 それに、ギルドの内部事情は複雑だ。エンに接触してくる連中も様々で、全員が信用に足るとは言えない。できることなら深入りせず、適度な距離を保っていたい。


 だが、今回は無視するわけにはいかないらしい。

 失踪した研究員は、ギルドの重要プロジェクトに関わっていた。技術流出を防ぐため、一刻も早く救出する必要がある。そして何より——


 研究員が囚われている施設には、「闇紋会あんもんかい」の影が見え隠れしている。

 ギルドが異例の強調をしているということは、それだけの理由があるということだ。


 エンは舌打ちし、スマートフォンの画面をスワイプして通知を閉じると、そのままポケットへ突っ込んだ。

 どうせ避けられないなら、さっさと終わらせるまで。


 コートを肩にかける。ベルトに装着された拳銃を指先で軽く叩き、馴染む感触を確かめた。

 無駄な思考は不要。

 ただ、確実に任務を遂行するのみ。

 静かに扉を押し開け、夜の冷気を迎え入れた。


 ◆ ◆ ◆ 


 エンは静かに夜の闇を抜け、目的の建物へと辿り着いた。


 それは、かつて校舎だったらしき古びた廃墟。

 外壁はひび割れ、崩壊寸前といったところか。突入するなら慎重に動く必要がある。


 割れた窓ガラスの向こうに、崩れた机と椅子が散乱している。物陰には隠れられそうだが、足場は脆い。無駄な音を立てるわけにはいかない——静かに進むしかない。


 ——ここに、例の研究員が囚われている。


 公会ギルドから提供された情報によれば、その研究員は今、何らかの危険な実験を強要されているらしい。しかし、任務内容は曖昧で、研究員の詳細な特徴や目的についての情報は伏せられていた。


 エンは物陰に身を潜めながら、慎重に校舎へと接近する。


 内部はほぼ闇に包まれ、かろうじて朽ちた天井から月明かりが差し込んでいた。壁には薄汚れた符紋が刻まれており、その一部は微かに魔力を帯び、まるでかつてここで何かが行われていたことを物語っているかのようだった。


 異様なほど静かだ。まるで、この空間だけ時間が止まっているかのように。

 足音を消しながら進む。割れた床材が軋まないよう、歩幅を調整する。鼓動の音すら邪魔に感じるほど、張り詰めた空気。


 やがて、彼は薄く光が漏れる扉の前で立ち止まった。

 中から小さな声が聞こえる。

 エンは身を屈め、扉の側に耳を寄せる。


「……ギルドが本当に動くと思うか? 研究は最終段階に入った。我々には、もう少し時間が必要だ……」

 静かだが、どこか落ち着いた男の声。


 ——ギルドの動きを察知しているのか。


 エンは冷笑を浮かべ、音もなく扉を押し開けた。

 室内は薄暗く、机の上には無数の資料が積み重ねられている。

 背を向けたまま、ひとりの男が分厚い書類をめくっていた。


「——ギルドのハンターか?」

 背を向けたままの男が、エンの気配を察知したのか、ゆっくりと振り返る。


 そこには、疲労の色が滲む顔。だが、その口元には、どこか余裕を感じさせる微笑が浮かんでいた。

「来るとは思っていたが……随分と早かったな。」


 エンは軽く眉をひそめ、目の前の男をじっくりと観察する。

 その態度には、緊張感も焦りもない。まるで最初から、この状況を想定していたかのような落ち着きようだった。


 ——本当に"囚われの研究員"か?


 ギルドの情報は断片的で、目標の詳細な特徴は明かされていなかった。

 だが、目の前の男が"救助を待つ者"には到底見えない。


 エンは冷たく言い放つ。

「……そうか? 待っていたにしては、随分と余裕だな。」


 その言葉に、男は一瞬驚いたように目を瞬かせた。

 しかし、次の瞬間——


「ハハッ……まあいい。ギルドといえど、救える命には限りがある。俺のことは、見なかったことにしてくれ。」


 ——言い終わると同時に、男の手が素早く動いた。

 符紋が刻まれた光が手のひらから放たれ、鋭い閃光となってエンへと襲いかかる。


 エンは即座に後退しながら、無駄のない動作で腰の短剣を抜く。


 ——ガキンッ!!


 鈍い音を立て、エンの刃が男の攻撃を弾き返す。


 しかし、それだけでは終わらない。

 エンは間髪入れずに反撃へと転じ、流れるような動きで短剣を振るう。


 男は驚愕しながらも防御に徹するが、わずか数手の応酬の末、完全に追い詰められた。

 最後の一撃を受け、男の身体が勢いよく壁へと叩きつけられる。


 ——ドサッ!


 力なく床に崩れ落ちた男を見下ろし、エンは鼻で笑う。

「……身代わりか。やはり、な。」

 低く呟くと、エンはすぐに部屋の中を見渡し、何かを探し始めた。


 しばらくして——


 奥にある小さな実験室の隅で、エンは新たな人影を見つけた。

 男は机に向かい、何やら装置を覗き込んでいる。


 まるで、ここで起こった騒動など眼中にないかのように——。


 エンはわずかに目を細め、静かに問いかける。


「ギルドの研究員か?」

 足音を忍ばせながら、ゆっくりとその男へと近づいていった——。


 声を聞いた男が、僅かに肩を震わせた。

 ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは厚いレンズの眼鏡をかけた若い男。


 彼の表情には、驚きと戸惑いが混ざっていた——だが、それ以上に強く滲んでいたのは"不満"だった。

 しばらく沈黙した後、まるで観念したかのように、彼は大きく息を吐く。


「……アイデンだ。」

「ギルドのハンターは、いつもタイミングが悪いな。研究が佳境に入るたびに、決まって邪魔をしにくる。」


 エンは無言のまま、その男を冷ややかに見据えた。そして低く告げる。

「ギルドの命令で、お前を救出しに来た。」


 アイデンは微かに眉をひそめ、面倒そうに眼鏡を押し上げる。


「救出? いや、俺は助けなんて求めていないんだが。」

 彼の声には、はっきりとした不満が滲んでいた。


「今の研究は、まさに最も重要な段階にある。こんなところで中断させられたら、二度とこの貴重なデータを手に入れることはできなくなる。」


 エンは冷淡に返す。

「ギルドの指令だ。お前の意思は関係ない。」

 その一言に、アイデンはわずかに目を細める。


 彼はエンをじっくりと見つめたあと、苛立たしげに小さく息を吐き、肩をすくめる。


「はぁ……お前、本当にこの研究の価値をわかってないんだな。」

「ギルドがくれた情報なんて、ここにある研究に比べれば取るに足らない。」

「ここには古代符紋技術の記録があり、魔物を制御する契約の理論も残されている。それどころか、人間と魔物の"より深い関係"すら解き明かせる可能性があるんだ。」


 そう語るアイデンの目は鋭く輝き、まるで狡猾な商人が取引を持ちかけるかのような口ぶりだった。

「これほどの知識、外の世界では手に入らない——お前だって少しは興味があるんじゃないか?」


 だが、エンの反応は冷酷だった。


 彼は視線すら揺らがせず、淡々と告げる。

「……どうでもいい。」


「ギルドはお前の意見など聞いていないし、お前が研究を終えたかどうかも気にしていない。」

「今回の任務は——お前を連れ帰ること。それだけだ。」


 そう言い放ったエンの声には、一切の迷いも、交渉の余地も感じられなかった。



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