禁忌の符紋(9)
奥へ進むほど、トンネルの空間は広がっていく。
だが——
その解放感とは裏腹に、空気は異様なほど重く沈んでいった。
「……感じたか?」
先頭を進んでいたアイデンが、ふと足を止める。
低く、警戒を滲ませた声で呟いた。
「何かが ‘近く’ をうろついてる……。」
炎は微かに頷く。
指先が、腰の短剣の柄へと自然に伸びる。
視線は、闇を貫く鋭い刃のように前方を探る。
その動きに合わせるように、
カルマも静かに後ろにつき、
その手には、かすかな魔力が宿り始めていた。
どこかで、低く響く ‘唸り声’。
遠く——だが、確実に近づいてくる気配。
ただの一匹じゃない。
炎の脳裏に、そんな警鐘が鳴る。
「単独の魔物じゃない…… ‘別の気配’ も混ざってる。」
歩を進めるたび、耳の奥にこびりつくような不気味な音が響く。
時に遠く、時に近く——
まるで、こちらの動きを ‘観察’ しているかのように。
そして——
暗闇の奥で、 ‘赤い光’ が揺らめいた。
——ギラリ。
「……ッ!」
不意に、低く唸るような声が響き、
暗闇の奥から、何かが姿を現す。
それは、巨大な影。
拐角の先から、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ迫る。
「……見つけたか。」
そいつの身体は、闇そのもののように黒く、
異常なほど発達した四肢は、岩すら砕けそうなほどの力強さを誇っていた。
ギラつく双眼。
血に飢えた、猛獣のような視線。
だが——
こいつは、ただの ‘先鋒’ にすぎなかった。
背後の闇の中から、さらに複数の影がうごめく。
大小様々な魔物たちが、獲物を取り囲むように現れる。
その喉から漏れる低い唸りは、
飢えた捕食者たちの ‘狩り’ の合図だった——。
「……どうやら、面倒なことになったな。」
アイデンが、静かに眼鏡のブリッジを押し上げる。
平静を装う声の奥に、僅かな緊張が滲んでいた。
その間にも——
炎は、一切の迷いなく銃を構える。
狙うは、先頭の小型魔物。
——バンッ!
冷たい閃光とともに、
緑色の符紋弾 が闇を裂く。
弾丸は、正確に魔物の胴体へと吸い込まれた。
だが——
魔物は、微動だにしなかった。
わずかに首を揺らしただけ。
まるで、今の攻撃など『存在しなかった』かのように——。
そして、次の瞬間。
ギロリ。
血のように赤い双眸が、じっと炎を睨みつける。
その喉奥から、低く、獰猛な咆哮が響いた。
まるで、怒りを煽られた獣のように。
「……効かないのか?」
カルマが、鋭い視線で魔物を見つめながら呟く。
「試してみろ、新しい弾を。」
アイデンがすかさず声をかける。
その声音には、珍しく焦りが混じっていた。
炎は、迷いなくマガジンを取り出す。
新たに装填されたのは——
‘魔物の血肉’ を練り込んだ符紋弾。
暗い赤色の光を纏い、微かに ‘脈動’ しているようにも見える。
それは、今までの符紋弾とは違う。
異質な魔力の気配を帯びた、危険な弾丸。
「……さて、こいつならどうだ?」
銃口を、再び魔物の要害へ——。
——乾いた銃声が響く。
‘紅い弾道’ が、暗闇を貫く。
弾丸は寸分違わず魔物の体へと突き刺さった。
——ズブリ。
刺さった瞬間、金属を焼き切るような ‘軋む音’ が鳴り響く。
「——ッ!!」
魔物が、苦痛に満ちた咆哮を上げる。
撃ち抜かれた部位から、黒ずんだ灼熱の ‘亀裂’ が走る。
まるで、体の内部から焼かれるように——
その皮膚は焦げ付き、筋肉が弾けるように裂けていく。
魔物は、苦悶に満ちた叫びを上げながら、
よろめき、後ずさる。
そして、その巨体が崩れ落ちるように地へ倒れ——
数回、痙攣したのち、完全に動きを止めた。
「……やったか?」
新型の符紋弾は、確かに効いている。
炎は一瞬だけ安堵を覚え、
そのまま流れるように別の魔物へと銃口を向ける。
だが——
その瞬間、異変が起きた。
——カチリ。
……僅かに、銃身が ‘軋む’ 音がした。
炎の手に伝わるのは、明らかに異常な振動。
違和感を覚え、素早く銃へ視線を落とす。
そこには——
‘細かい亀裂’ を刻んだ、銃のフレームがあった。
「……ッ!」
——微細な亀裂。だが、確実に ‘致命傷’ へと繋がる兆し。
炎の脳裏に、一つの結論が浮かぶ。
この新型の符紋弾は——
「銃の耐久限界を ‘超えている’。」
だが、考えている暇はなかった。
次の魔物が、襲いかかってくる。
銃の異変を一旦無視し、
炎は再び狙いを定め、トリガーに指をかける。
——その時。
別の方向から、凄まじい咆哮が響いた。
次の獲物として選ばれたのは——炎。
その魔物は、傷を負いながらも立ち上がり、
怒りに燃える ‘双眸’ をギラつかせ、一直線に飛びかかる。
「カルマ、右側から!」
炎は瞬時に判断し、カルマへ指示を飛ばす。
彼自身はすぐに後退し、狙いを定め——
もう一発、危険な弾丸を ‘撃ち込む’ 準備をする。
「エン、銃が危ない!」
アイデンの緊迫した声が、背後から響く。
「その弾の威力に、銃が ‘耐えきれない’ かもしれない!」
「わかってる。」
炎は短く返しながらも、冷静に戦況を見極める。
銃は、もう限界に近い。
だが——
目の前の魔物は、常識外れの防御力を誇る。
通常の攻撃では ‘決定打’ にならない。
この符紋弾を使うのは、危険。
だが——今は、それしか手がない。
その時——
「やるなら今よ!」
カルマが、素早く動く。
集束させた炎の魔力を、一気に放出——。
——ゴオォッ!
燃え盛る火球が ‘連続’ して魔物へと襲いかかる。
直撃した魔物の巨体が、攻撃の勢いに押され、
わずかに動きを鈍らせる。
——好機。
炎は、それを見逃さなかった。
狙いを魔物の頭部へ——。
深く息を吸い込み、トリガーに指をかける。
そして——
——バンッ!!
銃口から放たれた ‘最後の弾丸’ が、魔物の頭蓋を貫く。
魔物は、断末魔の咆哮を上げ——
その巨体が、地に沈んだ。
「……ッ!」
その瞬間、炎の手に ‘異変’ が走る。
銃から、嫌な感触が伝わった。
——ピシッ。
「……割れたか。」
銃のフレームに、深く ‘亀裂’ が走る。
このまま使い続ければ、
次の一撃で ‘完全に砕ける’ だろう。
「……撤退する。」
炎は、すぐさま判断を下す。
「この状況は、計画の範囲を超えてる。今すぐ離脱するぞ。」
アイデンは即座に頷き、
躊躇なく出口へと走り出した。
だが、カルマは——
炎のすぐ側で、まだ周囲を警戒していた。
彼女の手には、未だ ‘揺らめく炎’ が宿っている。
次の襲撃に、備えるかのように——。
——走れ!
炎たちは、全速でトンネルの出口へ向かう。
その背後では——
‘巨獣’ が執拗に追いすがっていた。
「エン、右側!」
「わかってる!」
カルマの火炎が、暗闇を裂くように炸裂する。
——ゴオォッ!!
炎をまとった魔力が、巨獣の進路を断ち切る。
しかし——
魔物は、倒されるたび ‘蘇る’。
その体には焦げ跡が刻まれているものの、
燃え尽きる気配は ‘微塵もなかった’。
それどころか——
炎とカルマを睨みつける赤い瞳は、
より ‘怒り’ を帯びていた。
「ちっ……しつこいわね。」
カルマが舌打ちする。
炎は、一瞬の判断で走りながら叫んだ。
「カルマ、足止めは頼む。俺が道を作る!」
彼は即座に駆け出し、
暗闇の中を縫うように動きながら——
カルマの炎が最も効果的に作用するルートへ ‘誘導’ していく。
次の瞬間、
カルマの掌から新たな魔力が燃え上がる。
——ボッ!
空間が一瞬、灼熱の輝きに包まれる。
それは、時間を稼ぐには十分な威力だった。
二人は、その間に一気に距離を取る。
そして——
彼らはついに、トンネルの出口へと ‘飛び出した’。
——だが、魔物はまだ ‘終わっていない’。
暗闇の奥から、獰猛な咆哮が響く。
「まだ追ってくるのかよ……!」
アイデンが振り返りながら悪態をつく。
その視線の先では——
出口の影から、別の魔物が ‘跳躍’ していた。
‘狙い’ は——アイデン。