暗流の幕開け(2)
いくつかの暗く静かな廊下を抜け、ついに彼らは物置のような部屋にたどり着いた。
部屋の中には、さまざまな書類や器材が無造作に散らばっている。
壁には一枚の破れた地図が掛かっており、黒燈会のいくつかの謎めいた拠点の構造を示していた。
カルマは素早く辺りを見回し、その視線は警戒の色を帯びている。
潜む悪魔や黒燈会の構成員がいないか、念入りに確認してから小さくつぶやいた。
「どうやら、ここの書類には自信があるらしいわね。警備もないなんて。」
その声には、わずかな侮蔑が込められていた。
炎は軽くうなずき、机の上に散らばった書類を手に取る。
一枚一枚に目を通し、素早く情報を読み取っていく。
その間に、アイデンも自分が廃墟から見つけてきた羊皮紙を広げ、得意げな表情を浮かべた。
「これらの符文と文字、どうやら黒燈会が何か未知の研究をしている証拠だ。」
彼は目を細めながら、羊皮紙の内容を解読しようとしている。
カルマはそっと近づき、眉をひそめながら低く尋ねた。
「アイデン、本当にこれらの書類に価値があるの? それともまた好奇心に負けて危険に飛び込んだのかしら?」
アイデンは眼鏡を押し上げ、軽く笑った。
「今回は無駄じゃないさ。この符文は、黒燈会が魔物を操るための呪文だ。
この鍵を見つければ、奴らがさらに多くの悪魔を操るのを防げる。」
炎は無言のまま、書類の細かな部分に目を走らせている。
書かれている内容を一つ一つ繋ぎ合わせていくうちに、ある仄暗い真実が浮かび上がってきた。
黒燈会はどうやら魔物を操る技術を開発しているらしい。
そして、「夜行者」という名が何度も現れるその記述に、不安が募る。
「夜行者……」
炎は、その名を低く呟いた。
僅かに眉をひそめ、胸の奥に押し寄せる不吉な予感を噛みしめる。
カルマの瞳も鋭さを増し、低く囁いた。
「この名前、最近の情報に何度も出てきてる……。魔物の支配技術、黒燈会の動向、どれも奴の狂気じみた計画と繋がってるらしいわ。」
彼女は指で机を軽く叩きながら続ける。
「魔物の操縦や支配に異常なほど固執していて、そのためなら手段を選ばない──そんな噂よ。」
炎は無言で頷くと、視線を散らばった書類の中へと戻した。
彼の指先が、一枚の黄ばんだ紙の上で止まる。
そこには、乱雑な筆跡で魔物を操るための儀式陣が描かれていた。
そして、その横には──
「力の源」
そう書かれている。
「力の源……」
アイデンはその文字を見つめながら、表情を険しくした。
「単なる魔物支配の術式ってだけじゃないな。
黒燈会がここまでして追い求めるってことは、それほど危険な力ってことだろう。」
カルマが考え込むように腕を組む。
「……『力の源』って、私たちが初めて聞いた名前じゃないわよね。」
彼女の瞳に、深い思索の色が宿る。
「これは古い魔力を帯びた存在。
人間と魔物、その両方に共鳴し得る力……
夜行者は、これを使って悪魔の軍勢を従え、果ては人間すら支配するつもりなのか?」
炎の表情が僅かに翳る。
短く息を吐き、低く答えた。
「力の源は、完全に制御するのが難しいと聞いたことがある。
過去に現れた時も、大きな災厄を招いたらしい。
もし夜行者がそれを制御する術を見つけたなら──
もはや単なる犯罪じゃない。
異形の怪物を生み出そうとしている狂気の実験だ。」
カルマは小さく頷き、険しい顔つきで言う。
「……もし奴が成功すれば、人間と魔物の均衡は完全に崩れる。
どんなことがあっても、そんな未来は許せないわ。」
「……誰か来る!」
突然、アイデンが声を潜めて警告した。
三人は即座に書類をバッグへと押し込み、無言で目配せを交わす。
互いに頷くと、迷うことなく部屋の影へと身を潜めた。
微かな灯りの中、数人の黒燈会の黒ずくめの男たちが、慌ただしく部屋へと入ってきた。
手にした懐中電灯の光が、壁や床を鋭く照らしながら、警戒するように周囲を見回す。
「……扉が開いてる。誰かが入ったな。」
先頭の黒衣の男が低く呟く。
その声には、不機嫌な響きが滲んでいた。
「巡回の連中の不手際……じゃないのか?」
別の男がそう言ったが、その口調には明らかな不安が混じっている。
「それはあり得ん。
ここは重要な資料室だ。勝手に出入りできる場所じゃない。」
先頭の男は冷たい視線を部屋に走らせ、静かに命じる。
「部屋の隅々まで探せ。見逃すな。」
黒衣の男たちは即座に散開し、部屋の隅々まで入念に調べ始める。
小さな空間に響く靴音が、息苦しいほどの緊張感を生み出していく。
──静寂の中、炎はじっと息を殺していた。
背を壁にぴたりと寄せ、符紋の刻まれた拳銃をすでに構えている。
視線をすばやく巡らせながら、脳内で最適な脱出ルートを計算する。
神経を研ぎ澄ませ、一瞬の隙も逃さぬように──。
その傍らで、カルマは黒衣の男たちの動きをじっと見据えていた。
彼女の手には、かすかな魔力の光が揺らめいている。
指先にわずかに震える力が集まり、まるで今にも炸裂する雷のような静けさを纏っていた。
──今は、時を待つのみ。
二人は無言のまま、呼吸を静かに整える。
敵が襲いかかるその瞬間に備えて。
黒衣の男の一人が、徐々に二人の潜む暗がりへと近づいてくる。
手にした懐中電灯の光が、壁を舐めるように照らしながら、じわじわと迫っていく。
──見つかる。
その刹那。
シュッ──!
突如として、逆側の影から小さな煙幕弾が投げ込まれた。
「敵襲だ!」
黒衣の男が驚愕の声を上げると、次の瞬間、白い煙が一気に部屋中に広がった。
視界が遮られ、場内は瞬く間に混乱へと陥る。
「今だ!」
炎が低く囁くと同時に、素早くカルマの手を引き、一気に出口へと駆け出す。
アイデンも逆側から飛び出し、三人は煙幕に紛れて黒燈会の包囲を巧みにすり抜けた。
「逃がすな!」
先頭の黒衣の男が怒声を上げるが、広がる煙のせいで視界を奪われ、敵は方向を見失っていた。
炎、カルマ、アイデンの三人は廊下を駆け抜ける。
背後では、黒燈会の構成員たちの足音と叫び声が響き渡る。
必死の追跡を振り切りながら、彼らはようやく一つの破れた窓へとたどり着いた。
「ここから飛び降りるわよ!」
カルマが迷いなくそう言うと、勢いよく窓枠を乗り越え、夜の闇へと飛び込んだ。
炎もすぐに後を追う。
アイデンは一瞬躊躇したが、背後から迫る黒衣の男たちの影を見て、覚悟を決める。
「くそっ……!」
そう呟きながら、意を決して窓の外へと跳んだ。
三人は地面に着地すると、すぐさま夜の闇へと身を潜める。
あらかじめ決めていた退路を辿りながら、敵の包囲網を抜け出していく。
背後では、黒燈会の構成員たちの怒号と足音が響き渡っていたが、すでに彼らの手は届かない。
危険を脱し、安全な場所までたどり着いた三人は、ようやく足を止めた。
しばしの休息。
カルマがアイデンの方を見て、ふっと微笑む。
「へえ、意外ね。そんな便利なオモチャを持ってたなんて。」
アイデンは息を整えながら、得意げに眉を上げた。
「研究員だってさ、最低限の護身手段は必要なんだよ。」
炎は淡々と彼の肩を軽く叩き、短く言った。
「……よくやった。」
その言葉に、アイデンは少し嬉しそうに笑う。
次の瞬間、彼は背負っていたバッグから羊皮紙を取り出した。
「ここまで危険を冒したんだ、少しは成果があってほしいよな。
この資料、できるだけ早く分析しないと。黒燈会の次の動きが読めるかもしれない。」
カルマも小さく頷き、その表情からは先ほどまでの余裕が消え、わずかに真剣さが滲む。
「そうね……早く動かないと、奴らの企みが実行されるかもしれない。」
炎は手元の書類をじっと見つめながら、静かに言った。
「……行くぞ。帰って分析しよう。」
三人は互いに目を合わせた後、夜の闇へと紛れていく。
今宵は危険に満ちた一夜だった。
だが、その中で確かな信頼が生まれ、彼らは黒燈会の陰謀を暴くための、確かな一歩を踏み出したのだった。