『一日限定の恋人』(下)
アイデンは、どうにか作り笑いを浮かべながら、
ぎこちなく返す。
「え、えぇ……まぁ、一応……友人、というか。」
彼の歯切れの悪い返答に、
令嬢はにっこりと微笑み、次に炎へと視線を移した。
そして——
彼女の表情が、わずかに変わった。
「——まあ。」
彼女は、驚いたように目を輝かせる。
「……こちらの方は?」
炎をじっと見つめる視線には、はっきりとした興味が込められていた。
(——……ふぅん?)
カルマは、その一瞬の変化を見逃さなかった。
彼女の指先が、無意識にテーブルの上の花束を弄る。
「……。」
一瞬、眉をほんのわずかに寄せた。
——ヤバい。
アイデンは、一瞬で危機を察知した。
「えっと、彼は……ただの知り合いだよ!」
彼は、慌てて炎の前に立ち、富豪令嬢の視線を遮るように腕を広げた。
——だが、もう遅い。
彼女の目は、すでに炎へと向けられていた。
令嬢は、じっと炎を見つめ、
その視線が、カルマの手元にある花束へと移る。
「……まぁ。」
彼女は、少し微笑みながら言った。
「お二人も、こちらでデートを?」
「いいですね……」
どこか羨ましそうな声。
そして、彼女はふと、横にいるアイデンへ視線を向け、
わずかに唇を尖らせた。
「……アイデンさんは、私にお花をくれませんでしたけど?」
「……」
アイデン、致命的ダメージ。
彼の顔が引きつり、
ついには額にうっすらと汗まで滲み始めた。
(そりゃそうだろ!!)
(こっちは研究費がかかった食事代ですら支払えないってのに、
花束なんて買えるか!!)
彼は、慌てて手元の伝票をチラ見する。
——支払い済み、確認。
(よし、今が逃げ時だ……!)
アイデンは、完璧な営業スマイルを作り上げ、
さりげなく話題を逸らした。
「……あはは、お嬢様、そろそろ時間では?」
「そろそろお暇する時間かと!」
令嬢は、ぱちぱちと瞬きをし、
一瞬不思議そうに彼を見つめたが——
「……確かに、そうですね。」
彼女は、上品に微笑み、ゆっくりと頷いた。
——だが。
そのまま立ち去るかと思いきや、
彼女は、再び炎の方へ振り向いた。
「……それにしても、あなた——」
彼女は、少し楽しげな笑みを浮かべ、
言葉を続ける。
「とても素敵な方ですね。」
「——とても、お美しい。」
カルマ:「……。」
——ピクッ。
彼女の指先が、
テーブルに置かれた花束を無意識に撫でた。
なんとも言えない、
妙な感情が胸の奥に広がる。
(……何?)
(私、なんか今、イラッとした?)
——ヤバいヤバいヤバい。
アイデンの瞳に、"危険"の二文字が浮かぶ。
(これは……マズい流れだ。)
彼は、僅かに首を傾けながら、
視線で炎に合図を送る。
(おい、何か言え! 何か言ってくれ!!)
("俺には婚約者がいる"でも、"修行の身なので恋愛は興味ない"でも、何でもいい!!)
——だが。
炎は、水を一口飲んだだけだった。
それだけ。
表情も変えず、言葉も発さず。
そして、アイデンへ視線すら向けない。
完全無視。
アイデン:「……」
カルマ:「……」
(……おい!!!!)
「せめて、何か言えよ!!!!」
アイデンの心の中で、大絶叫。
しかし——炎は、本当に何も言わなかった。
まるで、"こんな話題、取り合う価値もない"と言わんばかりに。
アイデン:「……」
(……詰んだ。)
——かくなる上は、撤退あるのみ!!
彼は、どうにか営業スマイルを作り直し、
素早く令嬢の肩に手を添える。
「お嬢様、お時間大丈夫でしょうか?」
彼は、優雅にエスコートしながら、
内心で泣きそうになっていた。
(……研究費って、本当に大変だよな……)
そして、アイデンと令嬢の姿が完全に消えた後——
カルマは、腕に抱えた花を撫でながら、
満足げに椅子に身を預けた。
「……あー、これは良いディナーだった。」
彼女の顔には、最高に愉快そうな笑み。
——悪戯好きの悪魔にとって、最高の"デザート"がついた食事だった。
炎は、静かに水を置くと、
淡々とした声で、ただ一言。
「……ああ。」
カルマ:「……?」
彼の反応は、実にそっけないものだった。
だが、どこか引っかかる。
「何よ、アンタもアイデンのこと面白かったわけ?」
彼女は、笑いながら問いかける。
——しかし、炎の答えは違った。
「いや。」
彼は、フォークを置き、
淡々とした口調で言葉を続ける。
「ただ……この手のバレンタインのデートってのは、
思ったより、悪くないなと思っただけだ。」
「——。」
カルマの笑みが、一瞬だけ固まった。
「……は?」
彼の声には、特に意味深な色はなかった。
ただの事実を述べるような、
いつもの静かな語調。
だが。
その"間"が、妙に気になった。
(……ちょっと待って。)
(今の言い方……何か変じゃない?)
彼女は、一気に視線を炎へ向ける。
「……ねえ。」
警戒するように、じっと彼を睨む。
「今の、どういう意味?」
——だが、炎は答えない。
まるで、そんな問い自体に意味がないとでも言うように、
ただ淡々と食事を続けるだけ。
カルマ:「…………。」
なんか……妙に、嫌な予感がする。
(……私の"ゲーム"のはずだったのに。)
(いつの間にか、"立場"が逆転してない?)
——この悪戯。
思ってた以上に、危険だったのかもしれない。
◆ ◆ ◆
ディナーを終えた後——
炎とカルマは、並んで夜道を歩いていた。
街にはまだ、バレンタインの華やかな空気が満ちている。
至るところで、手を繋ぐ恋人たちの姿。
そして——
"成功した" 告白の瞬間。
「……ふふっ。」
カルマは、ふと微笑んだ。
そして、腕に抱えた花束を見つめながら、
思わせぶりに言う。
「ダメダメ、まだ終わりじゃないわよ?」
炎:「……まだ?」
彼が、疑問を含んだ視線を向けると——
カルマは、意味ありげに花束を揺らしながら、いたずらっぽく笑った。
「バレンタインってさ、最後までロマンチックじゃないとダメでしょ?」
「昼からずっと"デート"してるのに、こんな中途半端に終わるなんて、もったいないじゃない?」
炎:「……。」
カルマは、彼の沈黙を気にも留めず、
さらに言葉を続ける。
「たとえばさ、今の時間なら——」
「普通は、男の方が女の子を家まで送って……」
「最後に、心臓がドキッとするような一言を囁く。」
「それで、完璧なバレンタインの締めくくりってわけ。」
炎:「…………。」
カルマは、わざとらしく首を傾げ、
挑発的な笑みを浮かべながら、炎を見上げる。
「——どう?"最後"までちゃんと付き合ってくれる?」
カルマは、炎が困惑するか、
もしくは、冷たくあしらうだろうと予想していた。
(絶対、「くだらない」とか言って終わりでしょ。)
そう思っていたのに——
彼は、ふと足を止めた。
「……?」
カルマが怪訝そうに彼を見ると——
次の瞬間。
炎は、わずかに身を傾け、
すっと、彼女の顔に近づいた。
「——っ?!」
思わず、心臓が跳ねる。
距離が、近い。
そして——
「……今日の君は、いつもより綺麗だ。」
——。
「……っ!!」
カルマの目が、一瞬にして見開かれる。
(……な……)
何を言った、今???
「な、何……!?」
彼女は、思わず後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って!?」
(今の、絶対に聞き間違いじゃないよね!?)
「……なんて言った?」
炎は、変わらず静かな表情のまま、
淡々とした口調で繰り返す。
「お前が望んだことだろ?」
「…………。」
「…………。」
——なんか、空気が変だ。
カルマは、花束を抱えたまま、
知らず知らずのうちに、指先でリボンをいじっていた。
(……何この空気。)
(……私、からかうつもりだったのに??)
——"予想外"。
——"これは、ちょっと、違う。"
——何か、おかしい。
カルマは、そう感じていた。
(おかしい。)
(この"ゲーム"は、私が仕掛けたはずなのに——)
(どうして、私が揺さぶられてるの?)
彼女は、反射的に視線を逸らし、
軽く咳払いをした。
「……もういいわ。」
「アンタと深く考えるだけ時間の無駄。」
そう言い残し、彼女は大股で歩き出す。
——まるで、
この場を切り上げることに必死なように。
炎は、その背中を静かに見つめる。
追いかけることもせず、
何かを言うこともせず。
(カルマは、ただ"遊んでる"だけだ。)
(彼女にとって、これは"刺激的な暇つぶし"。)
"本気"なんて、どこにもない。
そう、炎は理解していた。
だから——
「……帰るか?」
彼は、淡々と問いかけた。
カルマの足が、一瞬だけ止まる。
彼女は、ちらりと振り返り——
いつもの軽い調子で、言う。
「当たり前じゃない?」
「……まさか、"最後まで演じる"気?」
炎は、答えない。
ただ、静かに歩き出す。
カルマも、それに合わせて歩き出した。
夜の街は、未だバレンタインの賑やかさに包まれている。
二人の影は、路灯の光に伸びながら、
同じリズムで並んでいた。
——これは、ただの遊び。
——ただの、"一日限りの悪戯"。
少なくとも——今は、まだ。
《Fin》
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回のバレンタイン特別編、いかがでしたか?
炎とカルマの"なんちゃってデート"、
最初はカルマが優勢のはずだったのに……
気づけば「これは遊びのはず……?」と自分が揺さぶられる展開に。
"悪魔の遊び心" VS "天然の包囲網"
炎が本気だったのか、
それともただの"お遊び"だったのかは……
カルマ自身が一番気になっていたりして?
「これは、ただの冗談。少なくとも、今は——」
"今は" って、どういうこと?
そんな余韻を残しつつ、今回はここまで!
次回もお楽しみに!
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