封印と解放の序曲(11)
アイデンが戻るまでの間、炎とカルマは机の上の資料に目を通していた。
しかし、しばらくすると——
カルマはふと顔を上げ、隣にいる炎を見つめた。
彼に話したいことがあった。
それは、ここ数日間、彼女の心の奥で少しずつ形を成してきた"何か"。
彼の過去に対する疑問。
それから、二人の間に生まれつつある、微妙な距離の変化。
冷静で、揺るぎない悪魔狩人——炎。
彼のことを知るたびに、彼女は少しずつ"近づいている"と感じていた。
そして、それがなぜか——
"温かさ"に似た感情を生んでいることに、気づき始めていた。
彼女が口を開こうとした、その瞬間——
——炎は、すでに椅子にもたれ、目を閉じていた。
カルマは、一瞬驚きの表情を浮かべる。
彼は、すでに静かに眠りに落ちていた。
——そんな姿を見るのは、初めてだった。
炎は、疲れていた。
それは明らかだった。
彼の呼吸はゆっくりと穏やかで、普段の張り詰めた表情も、今はわずかに緩んでいる。
あの冷たく鋭い瞳も閉じられ、額に刻まれた険しさも和らいでいた。
"彼が、こんなにも無防備に眠ることがあるなんて——"
カルマは、静かに椅子の背にもたれかかる。
そして、ほんの少しだけ微笑んだ。
炎は、決して気を緩めることのない男だった。
どれだけ疲れていても、"完全に眠る"ことはほとんどない。
たとえ体を休めていても、それは"浅い眠り"か"目を閉じたままの警戒"でしかない。
——だが、今の彼は違った。
"こんなにも静かに眠っている"
"まるで、ようやく肩の荷を下ろしたかのように——"
カルマの胸に、ふっと不思議な感情がこみ上げた。
それは、同情とも違う。
ただ、心の奥底に、微かな"温かさ"と"痛み"を残す感覚。
彼は、まるで"戦いのために生まれたかのような"生き方をしている。
それが彼の選んだ道なのか、それとも他に選択肢がなかったのか——
カルマには、わからなかった。
だが、一つだけ確かだったのは——
"この男は、いつだって自分自身を削りながら戦っている。"
「……。」
カルマは、炎を起こさないように、そっと視線を落とす。
彼は、強い。
彼は、冷静だ。
彼は、どんな時でも揺るがない。
だけど——
"彼は、本当に人間なのだろうか?"
そう思ってしまうほどに、彼の瞳には"人間らしい温かさ"が欠けていた。
まるで、すべてが"義務"であり、"責務"であるかのように。
——彼は、一度でも"迷ったこと"があるのだろうか?
彼女は、知らない。
だが、もしも——
"この人が、少しでも心を許せる場所があるなら。"
それが、自分のそばだったら——
カルマは、その考えを振り払うように、そっと目を閉じた。
そして、わずかに微笑む。
「……あんたって、本当に背負いすぎよね。」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
彼が起きるまで——
彼女はただ、静かにその傍らで見守ることにした。
その時——
部屋の外から、静かな足音が聞こえた。
カルマは、すっと立ち上がる。
彼女は慎重に足を運び、扉のそばまで行くと、そっと手を伸ばし——
——静かに、ドアを引いた。
すると、そこにはアイデンの姿があった。
アイデンは、不意に開いた扉に驚きながらも、興味深げに部屋の中を覗き込む。
「……?」
彼の視線が炎を探すように部屋を彷徨う——
だが、次の瞬間、カルマが人差し指を唇に当てて「静かに」のジェスチャーを送った。
アイデンは、一瞬戸惑ったが、カルマが指し示す方向を見ると、すぐに納得したように頷く。
「……本当に、疲れてたんだな。」
アイデンは、静かに息をつきながら囁く。
カルマも微笑み、後ろを振り返り、そっと言った。
「ええ……こんなに無防備な彼を見るのは、初めてよ。」
——炎は、未だに深く眠っていた。
整った呼吸。
わずかに緩んだ表情。
戦いに生きる男が、ようやく得た僅かな休息。
アイデンとカルマは、そっと外食の袋をテーブルに置いた。
カルマは、炎を一瞥し、その安らかな寝顔を確認する。
——目を覚ます気配はない。
彼の寝息を聞いていると、なぜか彼女自身の心も静かになっていくようだった。
アイデンは、椅子を軽く引いて座り、低い声で囁く。
「……なんだか、妙な光景だな。」
カルマが横目で彼を見る。
「妙な?」
アイデンは、微かに笑う。
「だって、あのエンだぜ?」
彼は顎で炎を指しながら言う。
「いつも冷静で、気を抜くことなんてないのに、こうして完全に眠り込んでる。」
「……意外と、普通の人間らしいところもあるんだな。」
カルマは、少し考えた後、静かに頷いた。
「……そうね。」
彼女は炎を見つめる。
「強すぎると……"人間"だってことを、忘れちゃうのよね。」
彼は、あまりにも強すぎる。
人間らしさを捨て去ったかのように、常に冷静で、決して揺るがない。
——それが彼の"在り方"なのだろうか?
カルマは、一瞬だけ視線を落とし、微かに目を細める。
「……本当に、"人間"なのかしら?」
彼女の呟きは、まるで夜に溶けるように、静かに響いた。
アイデンは、ふっと微笑み、腕を組む。
「……ま、どんな奴でも、ずっと気を張ってたら潰れるもんさ。」
二人は目を合わせ、静かに息をついた。
そして、誰ともなく、言葉を止めた。
夜の静寂が、部屋を包み込む。
目の前に横たわるのは——
普段は絶対に見られない、"無防備な"炎。
この静けさが続くのなら、それも悪くない。
カルマは、そっと目を閉じ、低く呟いた。
「……もう少し、このままでいさせてあげましょう。」
アイデンも、それに頷く。
こうして、長い一日が静かに幕を閉じる。
明日になれば、また戦いの日々が始まるだろう。
だが、少なくともこの夜だけは——
彼にとっての、安らぎの時間であってほしい。
--第二話 封印と解放の序曲 (完)--
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
ついに 第二話「封印と解放の序曲」 が完結しました!
今回の章では、黒燈会の陰謀、封印された魔物の咆哮、
そして炎の力に秘められた謎がより深まる展開となりました。
戦いの中で揺れ動く記憶、"封印"がもたらす真実——
彼が触れた力の正体とは、一体何なのか?
次の章では、さらに緊迫した展開が待っています!
新たな敵、新たな選択、そして炎とカルマの関係もまた一歩進むかもしれません——。
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