表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
148/166

水上の黄金帯(8)

 一行は小道を辿り、塩田遺跡へとたどり着いた。

  ここは開けた地形で、四方を広大なマングローブ林に囲まれている。

  湿地帯は陽光を反射し、静かで美しい光のヴェールを纏っていた。


 マングローブの細長い根は、まるで蜘蛛の巣のように絡み合い、柔らかな泥土の上に深く根を張っている。

  遠くの水面では数羽の水鳥が低く飛び、一羽のクロツラヘラサギ――黒い顔の珍しい鳥がマングローブの間に止まり、こちらの様子を警戒するように見つめていた。


 クレイドはしゃがみ込み、泥水で汚れた金属片を拾い上げる。

  軽く裏返して確認しながら、少し落胆したような声を漏らした。


「ただのゴミくずっぽいな。昔は小さな加工場か何かがあったんだろうけど、今じゃもう何も残ってねぇな。」


 セナはマングローブの縁へと歩き、そっと粗い樹皮に触れる。

  まるで何かを感じ取ろうとしているようだった。


「生態系はそれなりに保たれてるけど……魔力の残滓はまったく無い。」


 コールはやや高い場所に立ち、塩田全体を見渡していた。

  眉間に皺を寄せながら呟く。


「たしかに……ただの遺跡にしか見えねぇな。場所、間違えたんじゃねぇのか?」


 エンは木製の柱に寄りかかり、マングローブの奥を鋭く見つめながら思案する。

  指先で木の表面をなぞりながら、何かを思案しているようだった。

  やがて、ぽつりと一言。


「……ここが本命じゃないのかもな。」


 クレイドは立ち上がり、手の泥を払って苦笑する。

「ってことは、また無駄足ってわけか。他に何かありそうな場所は?」


 エンは答えず、代わりに足元にいるアルに目をやった。

  魔獣は耳をぴくりと動かしながら、何度も湿地の奥の方へ視線を送っている。

  まるで、そこに何かを感じ取っているかのように。


 その様子を見たクレイドが、ふと思い出したように言う。

「そういや、さっき村の人が言ってなかったか? ここは夕暮れ時に『妙な風景』が浮かぶって。」


 セナもマングローブの木に寄りかかりながら頷いた。

「『水上の黄金帯』とか言ってたわね。日没の時間に何かが見える、とか。……もしかしたら、今はまだ見えてないだけかも。」


 遠くに立つコールも、視線を巡らせながら呟いた。

「この静かな土地に“何か”があるとしたら……それは、夕方にしか現れない異変かもしれねぇな。」


 彼は少しの間を置き、エンに視線を向ける。

「どうする? 日が落ちるまで待ってみるか?」


 エンはしばし黙し、マングローブの奥を見つめたまま小さく頷いた。

「せっかく来たんだ。……見ていこう。」


 クレイドはその返答を聞くと、片眉を上げて笑った。

「決まりだな。ちょっと軽食でも買ってくるか、暇潰しにさ。」


 セナは呆れたようにため息をつき、冷たく言い放つ。

「……もうちょっと仕事に集中しなさいよ。」


「“万全の状態で任務に臨む”ってやつさ。」

 クレイドは気にも留めず笑い、手を振って立ち去った。


 コールはエンの方に向き直り、警戒心を込めて尋ねる。

「お前は? 村に戻って休むつもりは?」


 エンは首を振り、低く答えた。

「俺はここに残る。何か、感じられるかもしれない。」


 アルの耳がぴくりと動き、地面を嗅いだかと思うと、静かにエンの足元へと身を丸めた。

  まるで、これから何かが始まることを、察しているかのように――。




 夕暮れを待つ間、周囲のマングローブ林と塩田は、いつにも増して静けさを湛えていた。

  時折吹く海風が、塩気を含んだ湿った空気を運んでくる。


 コールは一本のマングローブにもたれ、水のボトルを手に遠くを見つめ、静かに息をつく。

  しばらく黙っていたが、ふと視線をエンへと向け、探るような口調で口を開いた。


「なあ、エン……正直に言うと、ずっと疑問だったんだ。なんでマイルズが、お前を信頼してたのか。」


 エンは足元のアルの様子を確認していたが、その言葉に顔を上げ、わずかに眉を寄せた。

「……本人は何も言ってなかったのか?」


 コールは肩をすくめ、少しばかり悔しそうな表情を見せる。


「聞いたさ。でもあいつ、多くは語らなかった。ちょうど例の裏切り者の話に関わり出した頃だったからな……感情も揺れてたんだろう。もしかすると、何かを“感じ取って”たのかもしれねぇ。だから、お前に声をかけたんじゃないかって。」


 エンの目がわずかに陰り、返事を返すことなくアルの背を撫で続ける。

  その仕草は、思索の深みに沈み込んでいるようだった。


 しばらく沈黙が流れた後、コールの口調が少しだけ柔らかくなる。


「今、お前のことを疑ってる奴も多い。中には“お前こそが裏切り者だ”なんて言う奴もいる……だが、俺は違う。マイルズの判断は、そう簡単に誤らねぇ。あいつは、信じる価値があると思った相手しか近づけない。」


 エンは低く冷静に問い返す。

「……マイルズとは長い付き合いだったのか?」


 コールは頷き、懐かしむように目を細めた。


「ああ。俺がギルドに入って間もない頃、命を救われたんだ。まだ何も分からなかった俺に、戦いのイロハを叩き込んでくれた。あいつはいつも言ってた。“ハンターの世界では、信頼は武器より強い”ってな。」


 エンは視線を上げ、まっすぐにコールを見つめながら問い返す。

「……だから、お前は“信頼”ってだけで、俺と組む覚悟を決めたのか?」


 コールは少し苦笑し、肩を軽くすくめた。

「ま、そういうことだな。ただ……お前、相当とっつきにくいぞ。遺跡でお前を車に放り込んだ時、目を覚ましたらぶん殴られるんじゃねえかって思ってた。」


 エンの口元がわずかに緩み、かすかに冷笑を浮かべる。

「……お前らの態度も、かなり乱暴だったけどな。」


「しゃーねぇだろ。あの時は切羽詰まってた。」

 コールが苦笑しながら肩を回すと、少し真面目な声で続けた。


「夜行者を追ってきたが、あいつには何度も逃げられてる。正直、打つ手がなかった。でも、マイルズが“お前に任せる”って言った時、俺も腹を括ったんだ。」


 彼の視線がマングローブの深部をかすめるように動いた後、またエンに向き直る。

「……けど、今日一日一緒に動いてみて思ったが、お前って案外悪くない奴だな。無口すぎて話になんねぇけど。」


 エンはちらりと彼を見て、淡々と返す。

「話すことがないだけだ。」


「……そりゃそうか。でもよ、あのカルマって娘、よくお前と長く組んでられるな。あんな無表情、ぶん殴りたくならねぇのか?」


 エンの眉がわずかに動き、声にはほのかに諦めの気配がにじむ。

「……忍耐力が、お前の想像より上なんだろう。」


 その返しにコールは一瞬きょとんとしたが、すぐに大声で笑い出す。

「……ははっ!いいじゃねぇか。エン、お前案外面白いな。もっと素を出せばいいのに。そりゃカルマがついてくるわけだ。」


 (エン)は答えず、アルの頭を撫でながら遠くの塩田に視線を戻した。

「……今はやるべきことをやる。それ以外のことは、後でいい。」


 コールの笑みが徐々に消え、表情も少しだけ硬くなった。

  彼は鼻の頭を軽くこすりながら、低い声で言葉を継ぐ。


「……それでさ。もうひとつ、聞いておきたいことがあるんだ。――“裏切り者”の件、お前、何か掴んでるんじゃねぇのか?」


 エンの視線がわずかに鋭くなったが、声はあくまで冷静だった。

「……なぜそう思う?」


「お前、マイルズと会ってるだろ?あいつの性格からして、よほど信頼してるか、確信がない限りそんな話はしねぇ。」

 コールの視線には、明らかな“探り”の色が混じっていた。

「――で?そいつは誰だ?」


 エンは数秒沈黙し、やがてまっすぐにコールを見返した。

「……知らない方がいい。」


 その答えに、コールの眉がぐっと寄る。

「どういう意味だよ、それ。」


「知れば、マイルズと同じく狙われる。」


 エンの声は低く、どこか疲れた響きを含んでいた。

  だがその奥にあったのは、現実を見据えた冷徹な判断だった。


「今の状況で、標的が増えるのは最悪だ。」


 コールはしばし黙り、エンの目をじっと見つめていたが……

  やがて静かにため息をつき、肩の力を抜いた。


「……面倒な男だよ、ホント。いいさ、もう聞かねぇ。ただ……お前がどう動くにせよ、マイルズの“選択”を無駄にすんなよ。」


 エンは何も答えなかった。ただ、遠くの塩田を見つめるその瞳には、深く沈んだ思考の色が宿っていた。


 彼は知っている。

  コールの疑念は必然であり、今はまだ答えを出すべき時ではないということも。


 ――黄昏が来るまで、もう少しだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ