不安の火種 (5)
部屋の緊張感は限界に近づいていた。
息を潜めるような空気の中、誰もが次の一手を見逃すまいと身構えている。
傷跡のあるハンターが拳を握りしめ、炎を睨みつけながら怒りと嘲りを込めて叫んだ。
「お前、そこに突っ立ってるだけか?何も言い返せないってことは、やっぱり図星なんだろう!」
炎は部屋の中央に立ち、体を傾けて冷たい視線で見渡す。その眼差しは氷の刃のように鋭く、言葉なくとも威圧を放つ。
「俺が話すかどうかを決めるのは……お前じゃない。」
低い声に冷たさが宿る。
その一言で傷跡のハンターの怒りが燃え上がる。彼は一歩踏み出し、腰の武器に手をかけ。
「そうやって口だけで逃げ回るのは終わりだ。お前を動けなくすれば、隠してるものも全部暴けるんじゃないか?」
他のハンターの目にもためらいと殺気が宿る。
火薬庫のような空気の中、炎は視線を動かさず、静かに言い放つ。
「……脳味噌ってもんがあるなら、使ってから動けよ。」
傷跡のハンターが武器を抜く。
鋭い殺意を帯びた刃が、炎の胸元へ振り下ろされる——
その瞬間。
「キィンッ!」
乾いた金属音と共に、別の刃が飛び込んできた。
炎の前に現れたのは、小さく鋭い短剣。
振り下ろされた武器を真横から弾き飛ばし、空気に火花が散る。
赤い影が通気口から舞い降りる。動作は優雅で余裕がある。
「へぇ……作戦室って、今じゃ立ち合いの場にもなるんだ?」
カルマがくすっと笑い、短剣を指先で回す。
刃先に冷たい光が宿る。赤い長髪が揺れ、燃える炎のような存在感を放つ。
傷跡のハンターは一歩下がり、警戒を隠さず問う。
「お前……どうやってここに入った?」
カルマは気だるげに机にもたれ、気軽に答える。
「通気ダクトよ。こんなに盛り上がってるなら、一言誘ってくれても良かったのに。」
視線が炎へ向けられる。
「まさかとは思うけど、私がいるって知ってて、わざと煽ったんじゃないの?ヒーローの登場って感じでさ。」
炎は視線を向け、すぐ目をそらす。
その無言がカルマの興味を引きつける。
「……相変わらず無愛想ね。」
カルマは笑い、傷跡のハンターへ向き直る。短剣の柄を撫で、挑発的に言う。
「どうする?まだやる気?その前に確認しときなさいよ……ここで一番強いのは誰かって。」
その一言にハンターたちは動揺する。カルマはただの存在ではない。
その気配が空気を一変させる。
アイデンが席を立ち、手を叩く。声に不快感がこもる。
「……もういい。ここはギルド本部だ。お前たちの私闘の場所じゃない。」
冷静な言葉に決意と命令が宿る。
「命令に従えない者は、ただちに行動資格を剥奪する。」
空気がピタリと止まる。傷跡のハンターは舌打ちし、武器を戻す。
「……いずれ分かるさ。誰が本当の裏切り者か。」
そう言い捨てて出て行く。他の数名も無言で後を追う。だが敵意は残る。
◆
部屋には、アイデン、炎、そしてカルマだけが残っていた。
アイデンは眉間を揉みながら、低い声で呟いた。
「君たち二人……もうこれ以上、面倒を増やさないでくれ。」
カルマは鼻で笑い、机に寄りかかって軽い調子で言い返す。
「面倒を起こしてるのは私たちじゃないでしょ。私が来なかったら、誰か一人、床に転がってたかもよ?」
そう言いながら、カルマはコートから炎のホルスターと短剣を取り出し、彼に手渡した。
「はい、返すわよ。」
口調にからかいが混じる。
炎は無言で受け取り、短剣を腰に差し、ホルスターを整える。
「ありがとう」と呟く。
「当然でしょ。」
カルマは得意気に鼻を鳴らし、眉を上げる。その時、コートの襟元が動き、黒い小さな頭が顔を出す。
アルだ。眠たげな目を細め、重苦しい空気に不満げな顔で、前足でコートの端を押しのけ、あくびをする。
「こいつ、いつの間に入ってたんだ?」
アイデンが目を細め、驚きと戸惑いを滲ませて言う。アルの体が一回り大きくなり、筋肉と鋭い目つきが普通の魔獣と違う成長を物語る。
「なんだこいつ……成長、早すぎじゃないか?」
アイデンは呟き、興味深く手を伸ばす。
だがアルの耳が立ち、牙を覗かせ、低く唸る。素早く身をすくめ、飛びかかりそうな構えを見せる。
アイデンは手を中空で止め、少しばかり気まずそうに苦笑した。
「……相変わらず、気難しいな。」
カルマはアルの頭を軽く撫でながら、どこか楽しげな口調で返す。
「そりゃ、知らない人に触られるのは好きじゃないのよ。特に、あんたみたいに怪しい奴はね。」
アイデンは肩をすくめ、ぼそっと呟いた。
「……礼儀知らずな奴め。」
炎はその様子を見て、口元に笑みを浮かべる。アイデンの困惑が面白く見えたらしい。
「触らない方がいい。アルは知ってる相手にも友好的とは限らない。ましてやお前には。」
「知ってる相手にも、って……じゃあ、なぜ君たちに懐いてる?」
アイデンは首を傾げながら、興味深げに尋ねる。
「まさか……選択肢がなかったわけでもないだろう?」
カルマはアルを抱き上げ、肩をすくめるようにして言う。
「アルが誰についてくかは、アルの自由。私たちに命令はできないし、たまたま気に入られただけよ。たぶん……退屈しないって思ったんじゃない?」
アルは満足げに尾を振り、コートに潜る。
耳だけ覗かせ、「邪魔するな」と言いたげにじっとする。
アイデンはその仕草を見つめ、考え込むように呟く。
「妙な奴だな……でも、成長が速すぎる。普通の魔獣とは思えない。」
炎は何も答えず、装備の確認を続ける。
カルマはアルを抱えたまま、机に寄りかかり、ニヤリとアイデンを見つめる。アイデンは目元を押さえ、ため息をつく。視線が炎へ向けられ、穏やかな声音で尋ねる。
「今は俺たちしかいない。だからはっきり聞きたい。マイルズがお前に連絡した理由……もしかして、内部の裏切り者が誰か、もう見当がついていたんじゃないのか?」
その問いに、炎の手が一瞬止まる。
袖口を無意識に撫でながらも、すぐに平静を取り戻すと、顔を上げて冷静な声で答えた。
「ただ、考えを共有しただけだ。結論には至ってない。」
アイデンは眉をひそめ、不満そうに唇を噛んだ。
彼は机に両手をつき、前のめりに炎へとにじり寄る。
「君の慎重さは理解しているつもりだが、今の状況を見ればわかるはずだ。
このままじゃ分裂は悪化する。時間は残されてない。」
炎は壁にもたれ、腕を組んで静かに返す。
「だからこそ、焦った一手は命取りになる。
……今はまだ、話す時じゃない。」




