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不安の火種 (3)

 (エン)の足音が廊下に反響する。二人のハンターが背後に付き、鋭い目で動きを見張る。その様子は今にも飛びかかる獣のようだ。

 治療室前に着くと、(エン)は足を止める。入口の警備員に一瞥を送り、アイデンへ視線を向ける。


「中には誰がいる?」 感情を排した声が鋼のように響く。


 アイデンは検知装置を一瞥し、落ち着いて答える。

  「リアと助手の一人だ。彼女がマイルズの容体を必死に安定させている。」


 (エン)は頷き、扉を押し開ける。室内は柔らかな光に包まれ、消毒薬の匂いが漂う。マイルズは包帯と符紋の布に覆われ、蒼白な顔がかろうじて見える。呼吸は微弱だが安定し、絶望には至ってない。


 リアはベッド脇でデータを確認し、扉の音に顔を向ける。(エン)と背後の二人を捉えた目に探りの色が浮かぶ。


「来たのね。」

 彼女は静かに言う。


 (エン)は部屋を見回し、リアと助手以外に誰もいないのを確認し、視線を定めて淡々と尋ねる。

  「容態は?」


 リアは一瞥を返し、変わらぬ表情で答える。

  「良くはないけど、私の制御下にはある。火傷の範囲は広いけれど、マイルズは身体が強い。治癒の効果もあるから……何もなければ乗り越えられるはず。」


 (エン)は無言で治療液の流れを見つめる。

  「完治の可能性はあるのか?」

 声は無機質で、感情を押し殺す。


 リアは小さくため息をつき、答える。

  「命は守れる。でも完治は保証できない。あとは彼の意思次第。」


 彼女はマイルズの胸に手を添える。緑の魔力が波紋のように広がり、火傷部分に浸透する。

 温かく穏やかな魔力に芯の力強さが宿り、空気が一瞬静止する。


 (エン)は黙って見つめる。リアの動作に無駄はなく、集中力と技術は完璧だ。

 だがその「完璧さ」が疑念を深める。


 汗を浮かべたリアは魔力を使い果たし、光を手放してマイルズから手を離す。


「ここまでよ。」疲れを隠せない声で呟き、身体を傾けた瞬間、バランスを崩す。

 (エン)はすぐさま一歩踏み出し、彼女の肩を支えて体を受け止める。

 リアは彼の腕にもたれ、息を荒くしながら意識を保つ。

 その瞬間——(エン)の視界が揺らぎ、過去の記憶が侵入する。


 陽光に包まれた花畑。花の香りが漂う。

 少女が地面にしゃがみ、花冠を編む。

 翠の長髪が風に揺れ、陽光が髪を金色に染める。

 少女が顔を上げ、無邪気な笑顔で言う。


「お姉ちゃん、これあげる!」


「……お姉ちゃん?」


 その言葉に懐かしさと疑問が浮かぶ。

 彼は見ていた。自分——いや、「エリヴィア」と呼ばれていた自分がその花冠を受け取り、微笑みながら頭に載せていた光景を。


 その記憶は一瞬で消え去り、(エン)は現実へと引き戻された。


 一拍遅れて我に返り、ぼんやりとリアを見つめる。眉間に皺が寄り、複雑な感情が渦巻く。

 その様子を見ていたアイデンが、わずかに眉を上げ、慎重な声で問いかけた。


  「どうした? 何かあったか?」


 (エン)は首を振る。

  「いや、何でもない。」


 彼はリアを椅子にそっと座らせ、脈と息を確認し、状態を観察する。


「大丈夫か?」

 声は落ち着くが、探る響きがある。


 リアは額に手を当て、弱々しくもはっきり答える。

  「大丈夫……魔力を使いすぎただけ。少し休めば戻るわ。ありがとう。」


 入口の傷のあるハンターと細身のハンターが顔を見合わせ、足早に近づく。

 傷の男が(エン)の肩を掴み、無遠慮に引き離す。


  「いい加減にしろよ、エン。」

 目を睨みつけ、続ける。

  「無駄口叩くだけじゃなく、“女神様”にベタベタか。お前、事を荒立てたいのか?」


 細身の男はリアの隣に立ち、守るように言う。

  「リア、大丈夫? 何か必要ならすぐ呼んで。」

 目は(エン)を警戒し、敵意を隠さない。


 リアは苦笑し、手を振ってなだめる。

  「やめて……彼は何もしてない。ただ疲れただけ。」


 アイデンは(エン)から視線を逸らさず、変化を観察するが、追及せず淡々と告げる。

  「リアには休息が必要だ。ひとまず、外に出よう。」


 (エン)はマイルズを見下ろし、朝の光景を思い出す。

 数時間前、彼は訪れたばかり。今は死と隣り合わせだ。

 視線がリアへ移る。完璧な所作、乱れのない集中力——全てが「演技」に思える。

 彼女が情報提供者なら、その目的は? 治療は偽装か——


「エン、何か他に聞きたいことでもあるの?」

 リアの声が思考を断ち切る。(エン)は顔を上げ、澄んだ瞳を見つめる。


 口元に笑みを浮かべ、静かに言う。

  「いや、ただ……最近、君が少し働き過ぎなんじゃないかと思ってさ。」


 リアは肩をすくめ、軽やかに応じる。

  「治療って簡単な仕事じゃないのよ。特にマイルズみたいな患者だと、小さなミスが命取りになる。」


 (エン)は頷くが、胸中に波紋が広がる。今は何も動けず、暴けない。疑念だけが深く根を張る。


 傷跡のハンターが鼻で笑い、苛立ちと皮肉を込める。

  「もういいだろ、エン。まだ帰らないのか?」

 その声が、室内の一瞬の静寂を破った。細身のハンターもくすりと笑い、あからさまに嘲るような調子で言葉を続けた。

  「マイルズの見舞いかと思えば、リアへの尋問かよ。邪魔しないでくれよ、俺たちはまだ“女神様”に命を預けてるんだ。」


 (エン)はゆっくりとそのハンターに視線を向けた。瞳がわずかに細まり、冷たい声が部屋に響く。

  「人を救うのにお前たちの口出しは要らない。それに、お前たちが状況に貢献してるようには見えない。」


 傷跡のハンターの顔が一瞬で険しくなり、前に出ようとしたが、すぐにアイデンが手を伸ばし、それを制した。彼の声は静かであったが、そこには抑えきれない威厳があった。

  「やめろ。今、一番必要なのは静けさだ。無駄な争いは、マイルズの容態を悪化させる。」


 リアが柔らかく微笑み、穏やかで冗談めいた口調で和ませる。

  「緊張しないで。マイルズの回復には時間かかるし、エンが心配で見に来ただけ。咎めることじゃないわ。」


 言葉は軽いが、空気を和らげる。だが(エン)の視線は緩まず、リアを見逃すまいと注視する。記憶の残響が焼き付く。陽だまりの花畑、「お姉ちゃん」と呼ぶ声。少女とリアの顔が重なり、眉間に皺が寄る。


 その微細な表情の変化すら、アイデンは見逃さなかった。彼は(エン)とリアの間に視線を巡らせ、何かを察したように口を閉ざす。


 リアは気づかないか無視し、椅子にもたれ目を閉じ、息を吐く。安らいだ表情は無防備だが、疑念を強める。


「なぜアイデンはあいつにだけこんなに甘いんだか……」

 傷跡のハンターのぼやきが届く。(エン)は何も返さず、マイルズの傍に佇む。彫像のように仲間を見下ろす。目に不安が滲むが、表情には現れない。


 手が拳を握り、緩める。今、感情を出せない。


 リアへの疑念を見せてもいけない。


 リアの仕草は完璧すぎる。

 魔力、表情、言葉——全てが「正常」ゆえに疑いは濃くなる。


 裏切り者なら、今も演技か? 治療が“治療”と、どう言い切れる? だが今、言えることはない。

 誤った言葉を吐けば、自分が糾弾されるかもしれない。


 彼は沈黙を守るしかなかった。

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