埋められない隙間 (10)
炎はハンドルを握り、車内は静寂に包まれていた。
エンジンの低い唸り声だけが、狭い空間に反響している。
カルマは助手席に座り、時折炎の横顔に視線を送っていたが、しばらくの間、言葉を発さなかった。
やがて、彼女が沈黙を破る。
「何を聞きたいのか、わかってるでしょ?」
炎の手がハンドルで止まり、すぐ平静に戻る。
視線は前方の道に据えられたまま、低く答える。
「……わかってる。」
「なら、話して。」
カルマは身体を乗り出し、鋭い眼差しを炎の横顔へ向ける。
声に拒絶を許さない意志が宿る。
炎は深く息を吸い、前を見たまま疲れた声で言う。
「マイルズの車が……燃えていた。」
カルマは眉をひそめ、姿勢を正す。
「どういうこと? 火の原因は?」
炎は首を振る。その声はさらに低くなった。
「わからない。俺が着いたとき、すでに車は燃えていた。
マイルズは中にいた。俺は彼を火の中から引きずり出した……」
言葉の途中で声が詰まり、無意識にハンドルを強く握り締める。
白くなった指先が内に渦巻く感情を物語る。
脳裏に蘇る光景。炎に包まれた車体、煙、焼けた金属の臭い。
車は原形を失い、マイルズは意識朦朧で倒れてた。
彼を助け出した炎も、その熱さを今も身体に刻んで。
「もう少し早く行けていれば……」
この思いが、何度も彼を責め立てた。
「もしかしたら、こんな重傷にはならなかったかも…」
炎は強く顎を引き締める。指先はまだ震えてる。
「……正直、彼が助かるかどうか、俺にはわからない。」
その言葉には、自身への怒りと無力感が滲んでいた。
感情を抑えようとするが、後悔が彼を締めつける。
カルマは炎を見つめ、沈黙から何かを感じ取った。
肩をすくめ、柔らかい口調で言う。
「でも、あんたは彼を助け出した。それだけでも、十分に意味があるわ。
世界のすべてを背負う必要なんてない。……それに、あんた自身もひどく焼かれたんでしょ?」
平静を装う声の奥に、明らかな心配がにじんでいた。
炎は淡々と頷き、まるで他人事のように答える。
「火が普通じゃなかった。皮膚の奥まで焼かれるような感覚だった……自己治癒でも、回復にかなり時間がかかった。」
「で、なんでマイルズが襲われたの?」
カルマの質問に炎は答えず、視線は道路に向けられたまま意識が飛ぶ。
脳裏に今朝のマイルズとの会話が蘇る。
カフェの隅、折りたたまれた資料、疲れた顔。そして炎が感じた不安の正体。
――マイルズは巻き込まれすぎてた。
その代償は想像以上に大きい。
カフェを出た直後、彼を追うと決めたが、マイルズの姿は消えてた。
本部へ戻るだけならよかった。だが別の場所へ向かったなら…。
夜行者関連の調査地点。遺跡。そこに何かが残ってる可能性がある。
マイルズが単独で動くなら、あそこだ。
炎は急いで車を出し、遺跡へ続く山道を進む。
だが道は閑散とし、車の影もない。不安が膨らむ。
そして山道の途中。遠くに見えた煙。
――焦げた空気、焼けた金属の臭い。
車は真っ黒な残骸と化してた。
彼がマイルズを引きずり出した後、車内の資料を探したが…何も残ってなかった。
まるで最初から狙われてたように。
(あの資料が…目的だったのか?)
疑念が心にこびりつく。
だがカルマには話さない。今はまだその時じゃない。
カルマは炎の横顔を見つめ、一瞬の沈黙を見逃さなかった。
彼が何かを隠してるのはすぐわかる。
「誤魔化そうとしても無駄よ。私は、あんたの顔を見ればわかる。」
炎の唇が引き締まり、低く答える。
「……知らない。」
声に距離を取る冷たさがある。
カルマは肩をすくめ、腕を組んだまま言った。
「ふーん。ま、いいけど。とりあえず、あんたが無事ならそれでいい。」
言葉は軽いが、心の疑念は消えない。炎は彼女の言葉に目を動かし、静かに言う。
「……ありがとう、カルマ。」
車内は静寂に包まれた。
道路の音だけが、二人の間に流れる空気を埋めている。
炎の視線は前へ向けられたまま、心の中で波がうねる。
消えた資料、襲撃の意図。
――すべてが既視感のようだ。
(あれは夜行者の仕業か? それとも別の…)
カルマはシートに身を預け、窓外を眺めるが、心も静かじゃない。
炎の沈黙はいつもより深く重い。それが大きな嵐の予兆に思えてならない。
(あんたはいつも一人で抱え込む。でも今度はそうはいかない。私は見てるから。)
彼女は心で呟き、冷たい笑みを浮かべる。
車は速度を上げ、ギルド本部へ向かう。
夜の闇を切り裂くヘッドライトの先に、さらに大きな嵐が待ち受けてるとは、まだ誰も知らなかった。
-- 第十一章 埋められない隙間 (完) --