埋められない隙間 (8)
カルマはいつの間にか椅子で眠り、自分でも気づかなかった。
頭の中は真っ白で、夢と現実の境界が曖昧なまま――その時、廊下の足音に引き戻され、目を覚ます。
目をこすりながら周囲を見渡すと、研究室の照明は相変わらず明るく、机の上の魔刃もそのまま置かれていた。
ただ、空気の緊張感が明らかに違っていた。
リアは机の前に立ち、不安そうな表情でドアを気にしてる。まるで何かを待っているかのように。
「何か大事件でも起きた?」
カルマは伸びをしながら気だるげに問うが、視線は既に警戒を帯びてた。
リアは振り返り、唇を震わせて答える。
「よく分からないけど、外が騒がしい。様子見てくる。」
リアは急ぎ足で扉へ向かい、カルマも眉をひそめて後をつける。扉を開けた瞬間、廊下を駆けるハンターと鉢合わせる。
「何があったの?」
リアがすぐさま問いかける。その声には焦りが滲んでいた。
「マイルズ……マイルズが襲撃された!重傷だ!今、こちらに搬送中だが、状態が非常に悪い!」
リアの瞳が見開かれ、顔から血の気が引く。
「マイルズが……? どうして……そんな……?」
ハンターは肩で息をしながら、さらに言葉を続けた。
「今朝、マイルズは車で出かけたらしいが、行き先を告げてなかった。
数時間後、車が横転して炎上してるのが見つかり、彼は車から自力で這い出して、道路脇で倒れてた。」
「自力で……?」
リアは絶句し、かすかに首を振った。
「そんなの、ただの事故とは思えない。」
カルマも腕を組みながら、目を細めて呟いた。
「あいつ、重傷なのに這い出てきたの? どんな攻撃を受けたらそうなるわけ?」
ハンターはそれ以上は答えず、そのまま急ぎ足で去っていった。
すると、廊下の向こうからアイデンが現れる。普段冷静な顔に珍しく焦りが浮かぶ。
彼はリアをまっすぐ見て短く告げる。
「リア、至急の準備を頼む。マイルズの容態が非常に悪い。君の手が必要だ。」
リアは頷き、研究室に戻って道具の準備を始める。
「想像以上に状況が悪い……急がなきゃ。」
カルマはドアに寄りかかり、リアの背中を見つめて呟く。
「マイルズがこんな目に遭うなんてね。あいつが一番慎重なはずなのに。」
リアは返事をせず、黙々と準備に集中していた。
カルマは視線を落とし、自分の指を見つめながら思った。
(エンもきっと巻き込まれる……。それにしても、アイデンの様子……)
アイデンがこちらを見た。彼の目に宿る焦燥は隠しようもなく、カルマの前に歩み寄ると声を低くして言った。
「カルマ、エンを呼んでくれ。」
その言葉に普段ない切実さが込もる。カルマは眉を上げ、興味深そうに見返す。
「エン? 彼が来ても治療できるわけじゃないけど?」
アイデンはさらに声を落とし、真剣な表情で続けた。
「それは分かってる。でも、これはただの怪我じゃない。夜行者の関与が疑われている。エンの力が必要かもしれない……。
もう、これ以上のミスは許されない。」
カルマは無言で彼を見つめ、ふっと息をついて頷く。
「分かったよ。そこまで頼むなら、行ってみる。
ただし、エンが素直に来るとは限らないわよ?」
アイデンは微かに笑みを浮かべて頭を下げた。
「分かってる。本当にありがとう。」
カルマは肩をすくめて研究室を後にした。
足取りは軽快だが、内心ではアイデンの言葉が引っかかっていた。
(……アイデンの様子、何かおかしい)
普段は冷静な彼が、ここまで感情をあらわにすることは滅多にない。
焦り――それ以上の、言葉にできない何かが、彼の目に浮かんでいた。
「マイルズの襲撃、夜行者、エン……何かが繋がってる」
カルマはそう呟きながら、空へ跳ぶ。悪魔の翼が風を切り、彼女を炎の元へ運ぶ。
(これ以上、ただの偶然なんて言わせない)
決意するように、目に鋭い光が宿る。