埋められない隙間 (7)
カルマは研究室のドアを開ける。冷たい蛍光灯の光が目に刺さり、機械音が漂う。
研究員たちは黙々と作業に集中し、白衣の裾が揺れてる。
彼女は椅子に腰を下ろし、退屈そうに室内を見渡す。
ふと、隅の研究員から魔力の揺らぎを感じ、視線を留める。
――悪魔の気配だ。低く、人の気配に紛れるほど精妙だった。
カルマは眉をひそめた。彼らの存在には今まで気づかなかったが、よく見れば数人は悪魔だった。普段はその気配を完全に消しており、人間の中に自然に溶け込んでいる。
ギルドが悪魔を雇っていること自体は珍しくないが、これほどまでに違和感なく馴染んでいるとは意外だった。
彼女は低くつぶやいた。「上手くやってるもんね……」
その時、ドアが開き、翠緑の長髪のリアが現れる。カルマに近づき、優しく笑って言う。
「アイデンから聞いたよ、来てるって。魔刃の調整が必要なんだって?」
カルマは軽く顔を上げ、口元に小さな皮肉めいた笑みを浮かべた。
「アイデンが言ってたよ、あんたが符紋武器に詳しいって……ちょっと意外だったけど?」
リアはクスッと笑い、カルマの前に立つと手を差し出した。
「とりあえず見せてくれる? 治療ばかりやってると思われがちだけど、符紋の研究も得意なんだよ。」
カルマは黙って魔刃を抜き、無造作に手渡す。
「失望させないでよね。」
リアはそれを受け取ると、赤い光が符紋の間を流れ、刀身がわずかに震えた。彼女はじっと観察しながら、指で符紋の表面をなぞるように触れていく。
「確かに、エネルギーの流れが少し滞ってる。
見た目だけじゃ判断できないな……ちょっと、実際に使ってみてもらえる?」
カルマは眉を上げ、室内を見回した。
「ここで?」
リアは壁際の空間を指差した。
「心配いらないよ。あそこはテスト用のスペース。バリアも張ってあるし、他の人には影響ない。」
カルマは立ち上がり、魔刃を握り直してテストエリアへ向かう。
数歩進むと床の符紋が光を帯び、透明なドーム状の結界が立ち上がった。
「いつも通りでいいよ。軽く振ってみて。」
リアは測定器を手に、結界の外から魔刃の動きを観察した。
カルマは一呼吸おいて、魔刃を振るう。
赤い火炎が刃の符紋に沿って流れ、空気を切り裂いて爆ぜた。
火の気配が結界に当たって、熱風のように返ってくる。
「なかなか悪くないわね。」
もう一度振ると、今度は火炎の動きが不安定になり、過剰に膨れたあと、急激に収束した。
「そこだね。」リアが眉をひそめた。
「符紋のエネルギーがピークになると、流れが一部に集中してしまってる。
もう一度、連続動作でやってみて。」
カルマは指示通りに数度魔刃を振る。
火炎の波動が次第に強くなるが、やがて刃から柄へと逆流する気配が現れ、手首に熱が伝わった。
彼女は動きを止め、不快そうに眉をひそめた。
「ほら、やっぱりおかしいでしょ。このままだと、いずれ爆発するわ。」
リアは計測器を覗き込み、真剣な表情で頷いた。
「確かに、構造上の問題ね。素材じゃなくて、符紋の設計が連続使用で共振してる。
調整が必要だわ。」
「それで、直せるの?」
カルマは結界から出て魔刃を鞘に戻しながら、何気なく尋ねるが、瞳に期待が宿る
。
リアは静かに頷き、自信に満ちた笑みを見せた。
「もちろん。ちょっと時間がかかるけどね。
符紋の流れを安定させてから、エネルギーの伝達ルートも再設計する。」
カルマは眉を上げて腕を組み、「聞くだけで面倒そうね。どのくらいかかる?」
リアは少し考えた後、落ち着いた声で答えた。
「一日あれば大丈夫。
暇ならこのままいてもいいし、研究室をぶらついてても構わないよ。」
「わかった。じゃあ、ここで待たせてもらうわ。」
リアは頷き、作業机に移って魔刃を丁寧に机に置くと、修復の準備に取りかかる。
カルマは対面の椅子に足を組んで座り、その様子を興味深そうに見守った。
「いつもの秘書って感じじゃないわね。」
茶化すような口調で言うと、リアは目を上げて微笑んだ。
「見せる機会がなかっただけだよ。そんなに意外だった?」
カルマは肩をすくめて笑った。
「まあ……意外ってほどでもないけど、結構奥が深いんだなって。」
彼女の視線はリアの指先へ――繊細に符紋を調整する手元は、まるで何かを紡いでるかのように美しい。
「奥が深い……それ、カルマの口から出るとは思わなかった。」
リアは目を細めて笑う。
カルマは平然と返す。
「たまにはね。あんたがラッキーなだけよ。」
リアはくすりと笑い、魔刃を見つめながらぽつりと尋ねた。
「カルマ、好きな人っている?」
カルマは椅子を揺らしてたが、その質問に動きを止める。すぐ笑って返す。
「話題の切り替え早すぎじゃない? 修理中に恋バナ?」
「たまたま気になっただけ。カルマみたいな人、結構モテると思うけど?」
カルマは軽く肩をすくめて言った。
「考えたことがないわけじゃないけど、時間をかける相手にまだ出会ってないだけよ。……それに、見ての通り、私の相棒はエン。
あの無表情な男と一緒にいたら、恋愛する余裕なんてないわ。」
そう言いつつ、炎の姿が脳裏によぎる。
――どこか霧に包まれたような冷静な男が、最近わずかに感情を見せるようになってた。
ふとした優しさ、不意の迷いの表情――
その変化が、心の奥に小さな波紋を生む。だがその感情は現実に引き戻される。
――私は悪魔で、彼は人間。
寿命が違う。
結ばれても彼が先に去る。
その思いが、今の距離感を守らせていた。
リアはその沈黙を察したのか、にやりと笑った。
「じゃあ、エンには全然惹かれてないってこと?」
カルマは我に返ると、片眉を上げてにやりと笑い返した。
「惹かれる? あの仏頂面の男に? 空気が一番いいときでも、彼が入ると一瞬で冷えるのよ。それを魅力って言うなら、言葉の意味変わったわね。」
リアは思わず吹き出して、「でもさ、結構気にしてるじゃない?」
カルマは大げさに目を回しながら返した。
「相棒だからよ。毎日一緒に動く相手、ある程度は把握しないと。……でもね、あいつが恋愛とか始めたら、相手が何日持つか不安になるわ。」
リアはくすっと笑いながら魔刃の調整を続けた。
「でも、エンってああ見えて、カルマのこと大事にしてると思うよ。」
カルマは一瞬目を見開いたが、すぐ肩をすくめる。
「ま、そうかもね。心配してくれてるだけかもしれないけど、アイツは他の人よりは信用できるし。」
彼女の声は軽いが、その裏の静かな想いは誰よりも深い。
リアはそれ以上言わず、笑って符紋を調整し続ける。
カルマはその横顔を見つめ、天井に視線を向ける。
先ほどの会話が心に波紋を残してたことを、彼女自身まだ気づいてなかった。