カルマの「思いやり」計画 (上)
朝の陽光がカーテン越しに炎の部屋に差し込み、ほのかな暖かさを運ぶ。
カルマは窓辺に立ち、簡素な室内を見渡した。
「これで本当に療養になるわけ?」
彼女の視線は、部屋の隅にある年季の入った椅子にとまった。
背もたれの部分には微かに擦り切れた跡があり、肘掛けも少しぐらついている。
カルマはふっと鼻を鳴らし、呆れたように小さくため息をついた。
「このボロ椅子に座ってたら、怪我が悪化しそうね。」
そう言いながら、昨日街で見かけた家具店の広告が脳裏に浮かんだ。
そこに映っていたのは、ふかふかのクッションが付いたスタイリッシュなリクライニングチェア。
見た瞬間、思わず座ってみたくなるような、いかにも心地よさそうなデザインだった。
カルマの口元に意味深な笑みが浮かぶ。
「決まりね!」
彼女はパンッと手を打ち鳴らし、くるりと踵を返す。
「アイツに相応しい椅子を用意してあげるわ!」
◆
ハンター本部・会議室
ガチャ——
勢いよく開かれた扉の音に、静かな部屋の空気がわずかに揺れる。
アイデンはテーブルの上で符紋の研究資料を整理していたが、不意の来訪者に顔を上げた。
疲れの滲んだ青色の瞳が、カルマをとらえる。
「こんな朝早くに何の用だ?」
彼の声は低く、まだ眠気覚めやらぬ調子だった。
カルマは満面の笑みを浮かべ、軽快な足取りで彼の前に立つ。
「正しいことをしに来たのよ!」
「……は?」
アイデンは眉をひそめ、メガネを押し上げた。
「エンの看病はどうした?今は安静が必要だろう?」
カルマは面倒くさそうに手をひらひらと振る。
「それが目的よ!アイツのボロ椅子、療養には最悪なの。だから、新しい椅子を買ってくる!」
「……つまり?」
アイデンは嫌な予感を覚えた。
カルマは得意げに腕を組み、ニヤリと笑う。
「アンタ、私と一緒に家具を買いに行くのよ!」
一瞬の静寂。
そして——
「はぁぁぁぁぁ!??」
アイデンは、思わず額に手を当てる。
(やれやれ……)
① 俺は符紋研究者だ。家具屋なんて守備範囲外だ。
② いや、そもそもエンはそんなこと気にするのか?
③ っていうか、俺がついて行く意味あるのか??
アイデンは深く息を吐き、ゆっくりとカルマを見た。
彼女は相変わらず悪びれた様子もなく、期待に満ちた笑顔を向けてくる。
「……本当に、それを買うためだけに俺を呼び出したのか?」
「そうよ。他に何があるの?」
「いや、他にあるだろ……」
アイデンは呆れたように呟くが、カルマはどこ吹く風といった顔で話を続ける。
「私一人で持ち帰るのは無理でしょ?それに、重い物を持つのは男の役目!」
「……お前なぁ……」
アイデンは肩を落とし、観念したように荷物をまとめ始める。
「分かったよ。行こう。ただし、手早く済ませるぞ。」
「さっすが!頼りにしてるわよ!」
カルマは満足げに笑い、颯爽と会議室を後にした。
アイデンは小さく嘆息しながら、彼女の後を追う。
(……エン、お前のためなんだから感謝しろよ……)
◆
--家具店での攻防戦--
アイデンは空のカートを押しながら、カルマと共に大型家具店へと足を踏み入れた。
店内に入った瞬間、カルマの目はキラキラと輝き、まるで宝石のように光を放っていた。
「わぁ、ここってこんなに広かったの!?」
彼女は驚きの声を上げ、ソファの展示コーナーへ向かい、クッションを軽く叩いた。
その興味津々な表情は、新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
後ろからついてきたアイデンは、ため息をつきながら冷静に指摘する。
「お前、椅子を買いに来たんじゃなかったのか?」
「分かってるってば。」
カルマは手をひらひらと振りながら答えるが、目線はすでにダイニングテーブルのセットに釘付けになっていた。
「でもさ、ここのデザイン、すごく面白くない?この迷路みたいな配置、最高じゃない?」
「……迷路ねぇ。」
アイデンは再びため息をつきながら、カートを押して彼女の後を追う。
「その調子であちこち歩き回ってたら、本当に出口が分からなくなるぞ?」
カルマはクスクスと笑い、くるりと振り返って彼を見た。
「あんた、頭いいんだから、迷うわけないでしょ?」
アイデンは無言でメガネを押し上げ、心の中で 「二度とこの女と買い物には来ない」 と固く誓った。
-- 目標発見!--
最終的に、二人は目的の品を見つけた。
シンプルなデザインながらも座り心地の良さそうなリクライニングチェア。
カルマは満足そうにそれを指差し、にっこりと笑う。
「これに決まり!エンにぴったりだよね!」
アイデンは椅子のパッケージを確認し、それからカルマの方を見た。そして、呆れたように口を開く。
「お前、これ……自分で組み立てるタイプだぞ? それに、エンの部屋って六階だろ?エレベーターないんだけど。」
「そんなの、大したことないでしょ?」
カルマは気にも留めず、悪戯っぽい笑みを浮かべながらアイデンの方を振り返った。
「それに、こういう ‘ちょっとした問題’ を解決するの、あんた得意でしょ?」
アイデンはジトッとした目でカルマを睨んだが、結局何も言わず、黙々とカートを押してレジへと向かった。
——逃げられない運命を悟りながら。
レジに向かう途中、カルマは軽やかな足取りでアイデンの後ろをついていった。
しかし、突然彼女の足が止まり、何かを思い出したように素早くスマートフォンを取り出し、あるアプリを開いた。
「あら?」
カルマは小さく声を上げ、どこか困ったような表情を浮かべる。その声には微妙な芝居がかった響きがあった。
アイデンは足を止め、眉をひそめながら振り返る。
「……何だ?」
カルマはスマートフォンの画面をアイデンに差し出し、指で残高の数字を示しながら、無邪気な笑みを浮かべた。
「ほら見て。‘リソースカード’ の残高、今日の分じゃ全然足りないのよ。」
アイデンは画面を一瞥し、こめかみがピクリと動くのを感じた。彼はゆっくりと深呼吸しながら、声を落ち着かせて問いただす。
「……お前、ちゃんと準備してるって言ってたよな?」
「そうだけど、計算ミスしちゃったみたい。」
カルマはケロッとした顔で肩をすくめる。その態度がますますアイデンの警戒心を刺激した。
「つまり、俺が払えってことか?」
アイデンは額に手を当てながら、ため息をついた。
カルマはニコニコと笑いながら、何の悪びれもなく頷く。
「そうよ!だって、これはエンのための買い物よ? 大事な仲間のためなんだから、協力してくれるわよね?」
アイデンは半眼で彼女を見つめ、低くぼやいた。
「……実に ‘巧妙な資源分配’ だな。」
彼は再びカルマをじっと見つめ、口元をわずかに歪める。
「さては……最初から分かってただろ?」
カルマは悪戯っぽく笑い、アイデンの肩をポンポンと叩いた。
「まあまあ、そんな小さなこと気にしないで! エンがこの椅子を気に入って、快適すぎて立ち上がれなくなったら、きっとあなたにも感謝してくれるわよ!」
アイデンは再び深いため息をつくと、しぶしぶ財布を取り出し、クレジットカードをレジに差し出した。
「……仕方ない。エンのためだ。まったく、あいつは ‘経済的に負担の大きいパートナー’ を持ったものだな。」
◆
大きな椅子の箱をようやく唐楼の6階まで運び上げた頃、アイデンは壁に寄りかかり、肩で息をしながらカルマを睨んだ。
「次からは、‘リソースカードが足りない’ ってちゃんと事前に言え。心の準備くらいさせろ……。」
カルマは息一つ乱さず、アルを軽く撫でながらニコニコ笑う。
「え~、わざとじゃないもん!それに、アイデンがいれば心配いらないしね♪」
アイデンは鋭い目つきで彼女を睨みつけ、低く呟いた。
「……次にまたそんなこと言ったら、俺は絶対に払わないからな。」
しかし、カルマはそんな脅しをまるで気にする様子もなく、最後の箱をリビングの中央にドンッと置き、椅子のパッケージを満足そうに眺めた。
「でも、この椅子、すっごくいい買い物じゃない?」
アイデンは椅子を一瞥し、再びため息をつく。
「……俺はエンが ‘値段分の価値を感じてくれる’ ことを願うだけだ。」
カルマは肩をすくめ、にっこりと笑った。
「大丈夫、エンはきっと感謝するよ!」
アイデンはその言葉に黙って天井を見上げた。
——炎の反応がどうなるかはさておき、少なくとも彼の財布には確実に感謝されることはないだろう。