#98_加護の力
森のトラップと爆撃で撤退を余儀なくされたリディンらの部隊。
途中で草原を押し進む別動隊と合流し、共に浜辺まで後退。
兵站が爆発するという謎の現象は、下級兵士から聖騎士まで頭を悩ませた。
それだけだったならまだ救われただろう。
リディンらが戻った時、浜辺に残してきたはずの兵が一人もいなかった。
思考も停止しようものである。
「……なぜ誰もいない?」
「何があった?」
「おいっ、誰かいねぇのか!誰でもいいから出てこいっ」
「……これは、わけが分からないねぇ」
小型船が全て沖の大型船横付けされていたのを発見した。
持ち場を離れて何をしているかと詰問すべく狼煙を上げて呼び出そうと薪を探すが、一つも見当たらない。
リディンが近くの兵士にここに置いてあった薪はどうしたと聞いたが、問われた兵士もどうして薪が消えているのか不思議そうにしている。
不機嫌そうに片方の眉を上げてカイラスが言う。
「……これも、船にいる兵士たちの仕業なんじゃねぇのか?」
シャルフが理由を付けて即座に切り捨てた。
「だとしたらおかしい。怠けるだけならいざ知らず、薪も隠すという反抗姿勢を見せながらも、未だに沖に留まっている理由がない。もし私たちを裏切る魂胆なら、すでに船は遠く彼方だ。
となれば、大型船に戻らざるを得ない理由が出来したと考えるべきだろう」
「まさか、敵がここに攻めてきたんじゃ……」
「わからない。でも罠の事を考えると無いとは言い切れないな。紙切れにも等しい国内の戦力を、馬鹿正直に正面から当たらせるなんて真似、私ならしない。部隊をいくつもに分けて攪乱し、機を見て仕掛ける。
それでも、一つ問題がある」
「また何かあるってのか?」
「それが出来るのは、複数の部隊を統率できる人間がいる場合に限っての話だ。そのような傑物がこの国にいるとは聞いたことがない」
「何言ってんだ。部下の心を集める将が一人いれば事足りるじゃねぇか」
カイラスは何を難しく考えることがある、と言う。
考え込み過ぎて視野狭窄に陥りかけたシャルフは、その単純でも当たり前の答えに苦笑いした。
少し肩の力が抜け、柔らかい口調に戻った。
「……確かに。もしかしたら、リディンのような人間がいるのかもしれないな」
その言葉を聞いたリディンは頷いた。
「そうだな。あの数々の罠、兵站の件は不明だが、加えて消えた狼煙という不可解な状況を作り出したのは王国側の仕業で間違いはないだろう。
圧倒的な兵力差に、こちらに慢心があったのは間違いない。相手はその隙に付け込んだ。実にうまいやり方だ。しかし、脅威になり得るということが分かった今、認識を改めなくてはならない。
聖騎士に与えられた、神から授かった力を揮うに値する相手だ」
聖騎士たちはリディンの言葉に目を見開いた。
「おいおい、冗談だろ。相手はたかだか八千や九千しかいないんだろ?こちとら、その五倍以上はいるってえのに用心し過ぎじゃねえか?」
「対等な相手なら分かるけど、俺もちょっとやりすぎだと思うなぁ」
ナナリウスとカイラスが不満を示し、それを見越したかのようにすらりとリディンは返した。
「単純な白兵戦だけなら、な。だが、まだ敵と刃を交えていないにも関わらず、我らは攻撃を受け、兵站の一部までも失った。
もし、剣を交えるような時が来たなら、敵が用意しているのは本当に武器だけだと言い切れるか?兵力差をもろともしない奇策を用意していると想定してかかるべきだ」
「私も同じ考えだ。落とし穴に香油の罠、人手不足との情報だったから仕掛けられているのは入口だけかと思っていたが、草原一帯、森全体に及んでいるようだからな。
知略縦横な将がいるのは間違いない」
リディンの考えを捕捉するようにシャルフが二人に説明した。
直情型のカイラスは、それを聞いてもなお力押しを主張したが、自分よりも頭の良い二人がそう言うのであればと最終的に身を引いた。
「そんなもんかねぇ。せいぜい、その罠もこれで打ち止めのような気もするけどよ。ま、大将がそういうならこれ以上は俺ぁ何も言わねぇよ」
「右に同じ。早く終わらせられればなんでも良いよ。ハインは何か意見あんの?」
「特に」
いつも通りの光景とはいえ、ハインの反応の薄さにシャルフは肩をすくめた。
そこで、大型船に接舷していた小型船が次々に浜辺へ戻って来た。
「やっと帰って来たか」
リディンは下船した兵士を捕まえて、持ち場を離れた理由を問うた。
「何で船に戻った?」
「え、そういう命令だったのではないですか?兵站が爆破されたから、船の備蓄も点検しろと伝令が……」
「なに?私はそのような伝令を遣わしてはいない」
「え、えっ?」
兵士は困り果てた。
伝令通りに命令を実行したら、そのような伝令は走らせていない。
では、私達は誰の命令を聞いたのか。
その時、一人の兵士が駆け込んできた。
「ほ、報告しますっ!狼煙用の薪が全て海に投げ捨てられていますっ!それと、命令にあった兵站の点検では異常は見当たりませんでした!」
「……薪が?」
リディンは険のある声を出して反芻した。
「ひっ!」
報告に来た兵士を鋭い目で見据えると、恐ろしさで身を震わせた。
「他には何かあったか?」
「い、いえっ」
「そうか、ご苦労」
怯えた兵士は咎められないよう、素早く模範的な敬礼をしてダッシュで持ち場に戻った。
「あ~あ、あいつ可哀そう。何も悪くないのに凄まれちゃって」
ナナリウスの軽口を聞き流し、リディンは数秒思案してからシャルフへ問いかけた。
「この近くに我ら以外の気配があるか調べてくれ」
「範囲はどのくらい?」
「ここから草原の手前ほどまでと、かなり距離はあるが、できるか?」
「そんな広範囲やったことないけど、やってみるよ」
そう言って聖騎士らはシャルフから距離をとり、彼の様子を見守る。
「すぅ……」
シャルフは目を瞑って意識を集中し、小声で呟く。
「慈愛の神マリアス、その僕の精霊、敬虔なる其の子らが一人、聖騎士シャルフの切望を叶え給え。大地の上、海の上、空の下、我が主神に仇なす叛徒の姿を明らかにして候え……」
目を閉じた暗黒の中、シャルフの瞼の裏には周囲の景色が夢の中のように見え始める。
空は灰色に染まっているが、天空から幾筋もの光がスポットライトのように浜辺の崖の上を照らした。
それから目を開く。
目を開けた今でもシャルフにはその光が見えており、一際明るく照らされている場所を指して言った。
「あそこに誰かいる。崖の上の一番端」
「って、あんな遠くかよ。何してんだ、そんな場所で」
「カイラス、射ろ」
近くにいた弓兵から弓を借り、弦を引く。
シャルフが詳しい位置を伝え、カイラスは狙いを調整する。
矢の先が光の下を正確に捉えようとしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「ガンマワンよりCP。緊急事態だ、一度退却する」
「こちらCP。詳細を求める。送れ」
茂みに臥せて浜辺の聖マリアス国軍を監視していたガンマワンに向けて、一人の騎士が真っ直ぐこちらを見て弓を構え、射角を調整していたのだ。
「こちらガンマワン、一キロ先にいる敵がこちらに矢を向けている。居場所がバレた。これより退却する。送れ」
「こちらCP。退却を許可する。ガンマ隊は王国兵と共にポイントA7まで退却。再配置場所は追って指示する。終わり」
双眼鏡を仕舞いながら、別の場所でも監視していたガンマ隊全員に退却命令を出した。
姿勢を低くし、素早くその場から移動する。
「あれが情報にあった加護ってやつか。とんでもない範囲をカバーしやがる……下手をすれば二キロ、それ以上かもしれない。そうなったら狙撃はちょっと現実的じゃないな」
自衛隊の絶対的なアドバンテージは揺らぎ、今後の展開を憂慮しながら転進した。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……逃げられた」
「なんだ、つまんねぇやつだ」
カイラスが弓を下ろして兵に返した。
リディンがすかさず詳しく話を聞き始める。
「敵はカイラスが狙っていると分かったのか?」
「恐らく。リーダー格を狙ってもらったが、他にもこの海岸を見張るように散らばってた。だけど……」
「じゃあ、他のやつ狙おうぜ」
戦闘が始まると思って血が滾りつつあるカイラス。
しかし、そうは上手くいかなかった。
「無駄だ。リーダーの逃走とほぼ同時に全員が逃げたよ。ここから狙える距離にはもういない」
「んだよ、やっぱ腰抜けの集まりじゃねえか。ビビる必要なんかねぇよ」
意気揚々と敵を見下して、すぐにでも攻め込もうとするカイラスを見かねて思わず悪態をついてしまう。
「これだから脳筋は……」
「あ?なんか言ったか?」
眉間に皺を寄せて睨みつけるが、シャルフは仕方ないとばかりに面倒そうにした。
「いいか。ここから敵の位置が分かったのは加護の力の賜物だ。お前、あんな遠くから弓を構えられてすぐに気付けるか?」
「それは……」
「それに、一人が狙われたと知ると、離れた場所にいる者たちも動いた。茂みに隠れて見えない仲間の動きを瞬時に察知するなんて芸当、普通の人間に出来ると思うか?」
「さ、探せばそういうのが得意なヤツがいるかもしれないだろう」
「じゃあ、やってみるか?時間の無駄だと思うけどな」
頑なに意見を曲げないカイラスに対して、シャルフも不愉快さを露わにし始めた。
話がおかしな方向に進み始めたので、リディンが叱責する。
「二人とも、いい加減にしろ」
この軍をまとめる人間に窘められては、言う事を聞かざるを得ない。
静かになると、リディンは改めて敵を侮らないようにと念を押す。
「シャルフの気配探知で確信した。恐らく敵も、我ら聖騎士と同等かそれ以上の加護、もしくはそれに近い特殊能力を持っているとみて間違いない。
聖騎士一人一人の加護の特性が違うように、敵の能力も個々で違っている可能性がある。兵力差などあってないものと見るべきだ」
「ま、ここまで好き勝手にやられちゃあ慎重にいくしかないな。それで、今日はこれからどうすんの?もう夕方になりそうだけど」
ナナリウスが手庇を作って落ちかけた太陽を眩しそうに見た。
ここに戻るまでに考えていた予定を告げる。
「今日はここで態勢を整え、進軍は明朝。今日の内に再度兵站を荷馬車に乗せろ。今日みたいなことがあった時に被害を抑えるため、兵站部隊はいくつかに分割して行軍する。
武器や弓矢の予備も当初の予定よりも四割増やす。ここに残す兵は最小限に留め、現状の最大兵力で進軍する。夜間の警戒も怠るな」
聖騎士はそれぞれの部隊に命令を通達した。
一般の兵士らは聖騎士の百戦錬磨、一騎当千、万夫不当の活躍をその目で見てきた。
だが、その彼らが戦うことなく出鼻を挫かれる様を初めて目にし、少なからず動揺が根差した。
落とし穴に森の罠、謎の爆発。
単純な武力の衝突で勝敗を決してきた彼らにとって、向かう場所すべてに罠が張られるのは前代未聞だった。
「追い詰めたことが裏目に出てしまったか……」
貴族を抱き込まずに他の国と同様に正面からやり合えば、このような状況は生まれなかったのではないかと、そんな不毛な事をリディンは考えてしまった。




