#95_アレイクシオン侵攻、開始
世界が夜の黒から青みがかったもの変わりゆく。
明け方のアレイクシオン王国東部沿岸部。
砂浜で腕を組み、長い金色の髪を潮風に靡かせる聖騎士が一人。
その半歩後ろで、控えるように立つ片目を髪の毛で隠したもう一人の聖騎士。
腕を組んだ聖騎士が話しかけた。
「ナナリウス、皆を起こせ」
「もう少し待ってあげてもいいと思うけど」
「待ったところで降伏の使者は来ない。予定通り太陽が昇り次第、王都アルスメリアへ進軍する」
「りょーかい」
片目を隠したナナリウスと呼ばれた男が立ち去ろうとして振り返る。
「そうだ、リディン。ここから南に少し行った所にテントの群れを見つけたって報告があったけど、念のため調べておく?」
「いや、この国の軍がわざわざそんな場所に陣を構えるとは思えん。大方旅人か野盗だろうが見張りは置いておこう。動きがあれば対応する」
「りょーかい」
ナナリウスは今度こそ立ち去って船へ入っていった。
リディンは遠く見えないアレイクシオン城へ目を向けて憐れむように小さく呟く。
「意地など命に比べれば安いものだろう。逆らったところで無駄に散るというのに……」
その言葉を聞かせたい相手は、ここにはいなかった。
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「こちらガンマ隊。敵陣に動き在り。部隊を集めて隊列を組み始めた。布告時間に行軍を開始する模様。敵船団は海上にて沖合から敵本土まで等間隔で待機させている。撤退時の援護目的か……いや違う。
砂浜に薪を三つ組んでいる。野営で使った様子はなく、狼煙と見られる。浜辺から本土までリレー方式で合図を伝達するのかもしれないが。指示を仰ぐ。送れ」
崖の上から双眼鏡で監視する自衛隊の偵察部隊。
作戦指揮所に侵攻準備の報を送った。
「こちらCP。敷いたデコイへ反応はあるか。送れ」
「監視四名をデコイへ向かわせている。送れ」
「では作戦通りデコイは一時放棄。戦況を本土へ報せる動きあれば阻止せよ。終わり」
通信を終えるとスナイパーは狼煙の薪のある近辺を警戒し、観測員は双眼鏡で敵軍全体を警戒した。
同日06:20。
自衛隊ベースキャンプ地、作戦本部テント。
自衛隊統合幕僚長以下、陸空幕長に加え、異世界の自衛隊運用を想定し緊急で立ち上げられた異世界方面総監部の幕僚長を筆頭に、佐官クラスの自衛官が集合して偵察部隊の報告を聞いていた。
その中にはセレスティアの姿もある。
「異世界の軍隊と聞いて中世あたりの装備と思い込んでいましたが、あながち間違いではなさそうですね」
「そうなのか?すまない、そっち方面の知識に疎くてな。それにしても、騎馬隊がいないのは実に好都合」
「ええ。足が速いと時間稼ぎもすぐ限界が来てしまったでしょう」
「で、モグラ部隊の進捗の程は?」
「昨夜から続けている作業ですが、国王軍の助力もあって45分以内に撤収完了と報告がありました」
「流石。作戦立案もそうですが、相手の事を知っていると知らぬとでは雲泥の差が出ます。これもセレスティア陛下の情報のおかげです」
セレスティアはただ神妙な面持ちで頷いて返した。
聖マリアス国が進軍を開始する前から、日本・アレイクシオン同盟軍は作戦を開始していた。
此度の戦いで日本側が達成目標としているのは、聖マリアス国軍の全滅ではない。
ガルファ前国王の保護と赤島亜戯斗、不町竜也の捕縛もしくは遺体回収、そして敵軍の退却である。
セレスティア率いる国王軍も、五倍以上の戦力差を本当にひっくり返せるとは思っていない。
アレイクシオン王国の勝利条件は、停戦協定を結ぶこと。
その際に、いたずらに聖マリアス国の兵の命を奪ってしまっていてはテーブルに着かせるのは難しくなり、和議は難航するだろう。
従って、敵軍とは極力戦闘せずに睨み合いを長引かせ、その間にSATとレンジャーで構成された合同チームを小型ボートで敵本土まで移送し、速やかに人質奪還を試みる。
そして既に、昨夜のうちに部隊は敵本土の岸まで辿り着いていた。
更にもう一つ、その隙に仕掛けていたことがあった。
セレスティアは、敵軍は王国軍の戦力があってないようなものだと知って慢心を抱いているはずで、全軍を真っ直ぐ王都に向けて進軍させてくるだろうと推測した。
セレスティアの予想通りか確証を得るために、海岸から少し離れた場所にデコイとして無人のテント群を設置した。
結果は先の通り、敵は王都に向かう他は眼中にない。
話を元に戻すと、敵が寝ている間に行われた足止めの一つは、落とし穴。
浜辺から内陸に向かうにはだだっ広い草原地帯がある。
夜を徹して国王軍と自衛隊、そしてアルス村の有志により無数の落とし穴が掘られた。
殺すことが目的ではないので、ゲリラ戦で用いられるような剣山はない。
実は意外と落とし穴はかなり効果的なトラップで、捻挫や骨折させたりと敵を損耗させるには実に効果的だ。
そして、草原の踏破が容易ではないと知った敵が取る道は二つに絞られる。
このまま亀が歩くような速度で足場を確認しながら強引に草原地帯を突っ切るか、迂回して道が整備されていない森の中を歩くか。
草原を踏破するのであれば、それに要する時間は少なく見積もっても一日はかかるだろう。
そして森を選んだ場合。
こちらも草原と同じくトラップだらけである。
至る所にワイヤートラップを張り巡らせた。かかると、頭上から蛇やヒルが好む樹液や香りを配合した液体が降りかかり、それらを纏わりつかせて混乱を誘う。
それでも敵が草原と森を突破してしまえば、遠くにアルス村が見える場所に出る。
プラン通りに進めば、そこからが本当の戦いだ。
「一つ目のトラップで引き返して欲しいもんです」
全員が頷いて、双方の被害よ少なくあれと願った。
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時は少し遡り、夜の闇深い丑三つ時。
浩介もSATとレンジャー部隊の合同チームが渡島した時と同じくして、習得したての風魔法とやらでとあるモノを作り始める。
外殻はシャトルのように楕円形。空の旅を快適にできるように、ひじ掛け付きの透明な椅子を作る。
座席後方下部には空気放出用の噴射口二本と、機体側面にも推進方向調整用に同じものを外側に向けて左右に一本ずつ。
完成したものが視覚化されたなら、超小型のスペースシャトルに見えたかもしれない。
しかし、それらすべては圧縮された空気なので無色透明。
人を乗せた時、搭乗者は空気椅子しながら空を飛ぶというとてもシュールな光景が誕生する。
そしてそれは現実となった。
海の上を飛行しながら、後部座席にいる犬を抱えた占い師に向けて言った。
「っていうか、あなたも一緒に来るんですね。てっきり留守番かと思ってました」
「何を言うておる。わしが向かわねば意味ないじゃろう」
「……全部終わってから来ても変わらないと思いますけど」
「ほう、大層な自信じゃな。石の契約者二人を向こうに勝てると?」
「あ、いや……でも、あなたが来ても戦えないでしょ?」
「確かにその通り。じゃが、わしの力が戻れば戦えずともそれなりに役には立てる確信はあるぞ。
それとおぬし、余力があったら相手をすると言うておったが、世の中を甘く見ておる。いくらぱわーあっぷしたとて加算式に勝率が上がるなど、石の力はそう単純なものではない。気を抜けば死ぬぞ」
「……そう、ですね」
浩介はシスターとの戦いを思い返していた。
バルガントの持っていた宝石は贋作で力も弱いと言っていたのに、浩介は本物である宝石の力を使っても苦戦を強いられた。
それが意味するところは、浩介は宝石の力を十分に引き出せていないという事。
もし、件の二人が浩介よりも宝石の力を扱えていた場合、贋作の緑色の宝石の力を得ていても勝つのは難しいかもしれない。
そう思うと、今回の任務はいかに二人と遭遇せず教皇と聖石を取り戻せるかが鍵だ。
何が何でも二人と遭遇してはならない。
「うむ、分かれば良い。ジエイタイとやらが本隊の相手をしている間に全部終わらせるぞ」
まだ日も昇らないうちに、浩介は合同チームよりも先に聖マリアス国本土に上陸し、大聖堂近くの雑木林で身を隠した。
町に動きがあるまで、占い師と小声で雑談して時間を潰す。
日が昇りきり、それからしばらくして鐘の音が鳴ると町の様子が一気に変わった。
「……王都とは全然違うな」
王都では人々が商売や仕事を始める時間はまちまちだった。
だが、ここでは大聖堂の大きな鐘の音が島全体を包むと、それを合図に人々は外に出て大聖堂へ向けて祈りを捧げてから生活が始まる。
色々な店が開き、仕事に従事し始める時間も統一されていた。
「一体感が凄いな」
雑木林の中から感想を述べる。
「そんな事よりもほれ、大聖堂の門はもう開いておるぞ。まだ行かぬのか?」
「ええ、夕暮れの門が閉まる少し前まで待ちます」
「そうか。確かにこんな早う行ったところで何も出来んか。気が逸っていたわ」
気にするなと口元を緩ませて首を振り、夕暮れを待った。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「デルタ1よりCP。敵部隊がモグラの巣に到着」
敵軍より遠く離れた茂みの中、草に擬態し双眼鏡を覗いていた偵察部隊は報告した。
「こちらCP。敵部隊の動きはどうか。送れ」
「少し待て。送れ」
「了解」
草原を前に突然歩みを止めた聖マリアス国軍。
聖騎士の一人が、兵の足が止まった原因へ近づいて検める。
「この立て札は何だ?なになに……これより先、怪我をしたくなければ引き返せ。進めば地獄を見るだろう……?」
「伏兵でも潜ませているってのか?シャルフ、気にすることは無ぇ。どうせはったりに決まってる」
「そうだろうか、カイラス。俺には何かあるように感じるが」
「考え過ぎだ。この国の貴族たちがこちら側に付いている今、そんな余力などあるわけがない。戦力差を考えてみろよ、五倍以上はあるんだぞ?どうせ王族のくだらない名誉を守るための悪あがきだろうぜ」
「……何かひっかかりを感じるが、進まなければならないのは変わらないか。だが一応、ナナリウスとリディン、ハインにも教えておこう」
シャルフと呼ばれた中世的な見た目の紫髪の男は伝令を走らせた。
カイラスと言う健康的に日焼けした目つきの鋭い短髪の男は、行軍の先頭へ指示を飛ばした。
「こんなのは単なる脅しだ!敵の言葉に惑わされるな、進め!」
カイラスの命令を受けて一糸乱れず動き出す軍は、一目で見事に訓練されているのがわかる。
その先頭を歩く兵士たちは、腰辺りまで伸びきった草を強引に分け入って進んでいた。
突然、最前列に異変が起きた。
「う、うわっ!」
先頭を歩く兵士が、突然姿を消した。
その異変に、続く兵士が後続に向けて「止まれ!」と叫ぶが、兵士同士の間は一メートルほどしか離れていないため急には止まれない。
後ろから押される形で次々と穴に落ちていく。
「と、とまっ!」
「押すなっ、罠がっ!」
「やめっ!」
前方の異変を察知したシャルフは、力の限り大声を出して全軍に行軍停止を命令した。
「全軍止まれっ!何か仕掛けられているっ」
命令が下ってからも十数人落とし穴に落ち、やっと行軍が止まった。
シャルフとカイラスは慎重に草原へ足を踏み入れて、落とし穴を確かめる。
「……敵は戦う気だ」
「やってくれるっ」
カイラスの瞳に怒りの火が揺らめいた。




