#9_抽選結果
いつものメインロビーの一角。
休憩所のような区画で、私を含める4人がテーブルを囲んでいた。
最初に私と救世主の猫がばったり会い、その後に猫又とのど飴が合流した。
今日はいつもの声が聞こえない。
その代わりに、各々の頭上に浮かぶ文字で騒がしかった。
猫又の頭上に、ある言葉が浮かぶまでは。
「猫さん、通話できる?」
「一応マイクはありますけど、でも声ブッサイクですよ?そりゃもうヘッドホン壊れるくらいに。やめといたほうが身のためですよ?」
「じゃあこれからかけるね。ハイネガーさんとのど飴さんにもかけるから、ちょっと待っててねん」
「話聞いてます?耳引きちぎりたくなりますけどいいんですか?本当にいいんですか?」
救世主の猫の忠告を最後に、文字は浮かばなくなった。
代わりに私が聞き慣れている声が耳に届く。
「みんな、おつかれー」
「お疲れ様ー」
「おっつー」
「……ぅ」
いつもの声が聞こえた。
何か呻き声のようなものが他の声に紛れて小さく聞こえたが、誰かの体調が悪いのだろうか。
皆の声は快調だったように思えるが。
「大丈夫?マイク入ってる?リストに表示はされてるから繋がってるはずだけど」
「もしかしてマイク故障?それだったら聞き専でも全然大丈夫だし、チャットで返してくれれば俺ら拾うし」
「多分、恥ずかしいんだよね?チャットでそう言ってたし、ってか猫又さんそれ知っててボイチャ繋いだでしょ」
「文字打つよりこっちのほうが楽だし、猫さんはチャットでいつも通りにしてもらっても問題ないしね。その気になったら入ってきてもらえればいいわけだし」
チャットというのは、あの文字の事か。勉強になった。
それはともかく、救世主の猫の声も準備は整っているようだが、どうやら声を聞かれるのが恥ずかしいらしい。
その悩みは私にはさっぱり理解できないが、私と彼らは根本からして全く違う存在らしいから、彼ら特有の悩みなのかもしれない。私が溜め息すら漏らせないのと同様に。
そんな救世主の猫を気遣いつつ、話は続いた。
「じゃあ猫さん、気が向いたらいつでも入ってきて。無理だったらずっとチャットでも全然大丈夫だから」
「今を逃すとどんどん入りづらくなるぜぇ?さっさとゲロって楽になっちまいなよ。かつ丼、食いたいだろ?」
「ここは取調室か!ちなみに、かつ丼は自腹らしい」
「気持ちはよく分かるよ、俺も一番最初は恥ずかしくて声出せなかったし」
「だったねぇ。ハイネガーさんもなんか声にコンプレックスあるっぽかったけど、聞いてみたけど全然普通の声だし。気にしてるのは本人だけだったパターン」
「そうなの?普通に話してたから、そんな事あったなんて知らなかったわ」
「そんな俺だから聞き逃さなかったよ。小っちゃい子が恥ずかしがるような、ぅ、っていう声を!」
「許してえぇーっ!」
突然聞こえた可愛らしい、いや、魂の叫びが口から出たような悲壮感のある声が響いた。
雰囲気が変わる。
新しく吹いた風に感化されるように、皆のテンションも上がったのは声を聞けば明らかだった。
猫又が軽く笑い、新たな声の主に言った。
「おおっ、召喚に成功したようですぜ!全然気にするような声じゃないじゃん!」
「うん、どこも変じゃないよ。っていうか、むしろ?」
「うん、ってかむしろ可愛くない?私もそんな可愛い声に産まれたかった!その声帯を私に寄越すんだー!」
「えええっ!?」
反射的だったのか、それとも少しの勇気を振り絞って発した言葉だったのかは分からない。
それでも、多少は吹っ切れたのか、声音から気恥ずかしさは掻き消えた。
「いや、のど飴さんも自分を卑下する必要ないんだけど」
「じゃあ、俺にのど飴さんの声帯をくれ。交換しよう」
「なんでよ!ヤダよ!女なのにおっさんの声出すとか可愛くないじゃん!」
これまでの救世主の猫を見てきた私が、今の彼女を見て違和感を覚えた。
文字では自由気まま、勝手気ままに発言していたのに、今の救世主の猫は随分と大人しい。
これまでの彼女なら、短いやり取りの中でも面白おかしく会話を広げられていたはずなのだが、今は驚嘆符が似合うリアクションと控えめな笑い声しか上げていない。彼女の個性的な思考回路から生まれるセリフが一度も聞けていない。
何が彼女を妨げているのだろうか。
猫又が救世主の猫へ水を向けた。
「まあ、そのうちのど飴さんと声帯交換するとして。猫さんはアレに応募した?」
「しないよ!」
「アレ、ですか?」
「ゲースペで見れるあのヤバイ装置のテストプレイの事だよ」
「ちなみに、ここにいる俺らもダメ元でエントリーした」
「それなら一応、私も応募してみましたけれど……」
うむ、と言ってから猫又は雰囲気を少しだけ変えるように、一呼吸間を置いてから続けた。
「さて、本日は当選結果発表の日でした。この二週間、みなさまは期待と不安を胸に過ごされて来たかと思います。今日実施されたメンテナンス終了直後、公式サイトに新たなトピックスが掲示されました」
「どうした、急に」
「しーっ!ここは合わせようよ。なんか入っちゃってるし」
茶々を入れたハイネガーをのど飴が窘めて、先を促す。
「俺、落ちた」
「いきなり結果言ったぞ、この人!厳粛な前振りどこいった!」
「私がせっかく空気読んだのにぃ!」
己で演出した芝居を全力で崩した猫又に、非難の声が浴びせられた。救世主の猫の笑い声が混ざる。
猫又は普段の物言いに戻して、皆に聞いた。
「確率的には単発ガチャ一回で最高レア引き当てるくらいだと勝手に思ってたけど、みんなはどうよ?」
「分かりきってた事聞かないでよ、私もダメだったに決まってるじゃん」
「猫さんはどうだった?」
ハイネガーは自分が答えるよりも先に、救世主の猫に話を振った。
どう答えたら良いか分からないという風に少し言葉を詰まらせながら、申し訳なさそうに言った。
「えっと、ご、ごめんなさい。こ、こんなヘタッピが、当たっちゃいました」
「え、マジ?すげえじゃん!おめでとう!ちょっと試遊終わったら感想聞かせてよ!」
「やっぱ日頃の行いだよ、猫又さん。私ら変な事ばっかり言ってるから落ちたんだよ。ね、ハイネガーさん」
「ごめん、俺も当たった」
当選しているわけがないと決めつけていた猫又とのど飴は、黙りこんだ。
先ほどと違って祝いの言葉を述べるでもなく、凍り付いた空気が漂う。
先に当選を打ち明け、皆と喜びを分かち合った救世主の猫は言葉が見つからない様子。
呼吸二回分ほど沈黙した後、その現実を受け容れられない猫又の声が静かに耳に届く。
「う、うそ、言うなよ。そんなことあるわけないじゃん。ははっ、その冗談、滑ってるぜ」
「ごめん、俺も当たった」
二度目の肯定。
のど飴は我に返ったような声で祝福する。
「お、おめでとう。まさか二人も当たっちゃう人が出るなんて思ってもみなかったけれど、良かったよね、うん」
「ありがとう。俺もまさか猫さんまで当選してたとは思わなかったな」
「たまたま、です。一生分の運を使ったかもしれないし」
「……ハイネガーさんや、その権利、100円で売ってはくれまいか?」
「いや安すぎだろっ!」
再び明るい雰囲気が戻り、話が進展する。
「っつーことで、めでたい事が起こったわけなんですが!これでみんなイベント参加するって事で良い?」
「そういえば、のど飴さんは親御さんから許可は出たの?」
「あ、オッケーオッケー。ごめん、言い忘れてた。私の住んでるトコちょっと遠くて旅費がね。その件で親に相談してた」
「っていうか、試遊に応募した後で親に相談してたよね。もし当選してもお金なかったら無理だったんじゃね?」
「あー」
のど飴は二週間前の事を思い出していた。
「確かに。テンション上がってて何も考えてなかったわ。結果的にはどっちに転がっても大丈夫になったから良かった、うん」
「確かにアレ見たら後先考えられなくなるのは仕方ないかもね」
「ゲーマーの性、って事だぁね」
「ですね」
救世主の猫は少し打ち解けたようで、相槌ではあるが初めて自発的に言葉を挟んだ。
その声には不安や羞恥という色は消えかけているが、まだ硬さは残っていた。
「で、集合場所と時間決めに移りたいと思いまーす」
「え?えっ!」
「おっけーよ」
「良いけど、どうやら猫さんが戸惑っておられるようですが」
「あれ、ダメだった?一人で満喫したかったとか?」
「あ、いえ、そういう事ではなくて」
「なかなか声も出せなかったんだし、顔合わせるのが恥ずかしいんでしょ?」
「そっか。なら心配することは何もないよ。ここにいるのは三十路のおっさん二人と自称JDだから。俺なんかモテない冴えない中年オヤジだし、そんなヤツ相手に恥ずかしがる必要はどこにもないよ」
「自称じゃないし」
「ごめん、俺フツーに彼女いるから」
「……光になってしまえ」
それぞれが救世主の猫の緊張と心の壁を無くそうと、軽口を叩き合う。
人見知りの性格の彼女は、声を硬くして返事をする。
「だ、大丈夫です。一人で見て回ろうかと思ってましたが、大丈夫です」
「良かった良かった!猫さんの参加も決まったし、集合場所はどこにする?駅?現地?」
「俺は駅が良いと思う。会場から然程遠くないし、逆に会場だと人込みが激しくて見つけるのに苦労しそう」
「私はそっちの地理わかんないから、任せる」
「わ、私もあまりそちらに詳しくはないので」
「んじゃ、駅集合ね!次は時間だけど……」
ハイネガーと猫又による会議はスムーズに進行し、最後にそれぞれの連絡先を交換してその日は終わった。