#87_王位継承
「父上、申し訳ありません……」
「いや、こうなるのは必然だったのかもしれぬ……」
国王の容体は順調に回復し、起き上がってトイレに行けるまでになっていた。
セレスティアは自衛隊ベースキャンプ内の簡易病室に訪れ、国王ガルファに聖騎士からの宣戦布告を報告していた。
床に臥せっている父親にそのような話を持って行くのは躊躇われたが、事が事だけに後回しにはできない。
己の失態に顔を伏せるセレスティアから話を聞いた国王は、セレスティアの謝罪に頭を振った。
「セシリアを失い、余は正気を失ってしまった……隙を見せてしまった時から、始まっていたのであろうな」
「父上……」
最愛の人を亡くしても尚、周囲に対して毅然と振る舞わなければならないのが国王の責務。
取り返しのつかない所に来てやっと、国王は自分の情けない姿に気が付いた。
アレイクシオンの軍事力は、ほぼ貴族に依存している。
国王自前の兵士の総数は一地方貴族と大差なく、貴族らは国王に対して平然と意見を述べることもあった。
国王も貴族らのクーデターを恐れて、外交や内政はほぼ貴族のいいなりだった。
王妃セシリアは、そんな国王の弱音を受け止められる唯一の相手だった。
だがそんなある日、セシリアは病魔に侵された。
セシリアがまだ存命だった頃、セレスティアが母の代役として政治に関わってみたいと言い出した事があった。
国王は、まだ政治の世界は早すぎると言い張り、娘と口論に発展することも数えきれないほどだった。
セレスティアがそう言い出した理由は、自分が代わりに表に出ればその間、父はセシリアと一緒にいられる。
そう考えたからであった。
一方、国王は汚い貴族の視線が愛娘に向けられるのは許せず、言い合いは続いた。
ついに親娘の想いが重なることがないまま、その日を迎えてしまった。
葬儀の最中、王妃の死に取り乱した国王を聖マリアス国の間者が目撃し、それを本国へ報告。
程なくして、バルガントが仕向けられた。
悲しみに囚われ、謀略の渦中にいた時はここまで大事になると予測出来なかった。
だが、今はセレスティアが行方をくらました理由、それとバルガントは国王を謀っていた事を知った。
民の憎悪の刃に身を穿たれ、生死の境をさまよい、俗世と隔離された場所に身を置いて一人の時間を過ごした今、思い至ったことがあった。
「余は弱い。ゆえに民も余に関心はない。いや、憎んでおるだろう。だがティア、お前は余とは違って、暇を見つけては城から出て民と触れ合っていたな。だから、皆はそんなお前に素直に従った」
国王は少し喋り疲れた様子で一呼吸置いてから、話を続けた。
「外にいる護衛の者もここへ。大事な話がある」
頷き、病室の外でドアの両端に立っている騎士を二人連れて戻る。
二人はセレスティアよりも少し後ろで膝を折って頭を下げて待機した。
国王はその護衛に言葉を掛ける。
「頭を上げよ。その方らには、これから行われる事の証人となってもらいたい。よいか?」
「はっ、陛下のご下命とあらば」
「うむ、感謝する」
国王の雰囲気から、セレスティアはこれから何が起こるのか予想は出来ていた。
だが、それはここで行われるようなものではないはずだ、と思い確信が持てない。
ただ、国王の言葉を聞き続けた。
「この国の窮地において、セレスティアの判断と行動が浮足立つ民の心を抑制し、大きな混乱を防いだ。
それは、民と真摯に向き合い続けたセレスティアが、民から信頼を得ているなによりの証拠。
民は危険が迫ると自制が効かなくなってしまう。王族はそういう時にこそ民の心を束ね、導いてゆかなくてはならぬ。……余にはそれが出来なかった」
語る国王の瞼は後悔の念から細められ、眉間に皺が寄っている。
瞳も僅かに潤み、一気に老け込んだようにも見えた。
紡いだ言葉は懺悔のよう。
だが、それだけではない必死な思いが込められているようにも聞こえ、セレスティアは一言一句聞き逃がさぬ覚悟で言葉を心に刻む。
「今のアルスメリアは、セレスティアを支柱として動いていると聞いている。崩れた家屋の復興作業に炊き出し、果てはニホンコクとは友好関係を結んだと。
その功績は、今後この国にとってどれだけの利益を齎していくのか計り知れない。
そして、今は新たな脅威が迫っている」
聖マリアス国の宣戦布告。
出来るならば考えたくない話。
「余の過ちが全ての原因だ。セレスティアがここまで成長した今なら、余の首を差し出して済むものなら喜んで差し出そう。だが、そうした所で意味はないだろう。
聖マリアス国からの要求を呑めば土地の名前はそのまま残るだろうが、アレイクシオンという国の根幹と呼ぶべき魂や誇りは余さずこの世から消え失せる。
命乞いをして誇りを捨てた人生を送るか、最期まで古の剣聖アレイクシオンの民であるという誇りを胸に生きるか。
魂を殺されるか、肉体を殺されるか。
果たして、どちらが正しいのか余には答えが見えぬ。見えたとて、余の答えというだけで民は怒り狂うであろうがな」
国王は軽い自嘲を見せたが、他の者はその姿を見て心を痛めた。
セレスティアはそんな顔を見ていられず、口を一文字に結んで床を見つめる。
それを見て、しまったと思った国王は仕切りなおす。
「さて、前置きはこれくらいにしておこう。先も言ったが、今やアレイクシオンはセレスティアを中心として動いている」
一呼吸、二呼吸黙り、尋常ではない空気を感じてセレスティアが国王を見て目が合うと、怪我人とは思えないほど覇気のある声でその場にいる全員に告げた。
「今を以って、ガルファ・ラ・アレイクシオンよりセレスティア・イーリス・アレイクシオンに王位を継承する」
「父上っ?!」
「へ、陛下っ?!」
そうかもしれないとは思っていたが、実際に耳にした時の衝撃は予想以上だった。
護衛の二人に至っては青天の霹靂だったろう。
国王は静かに口を開く。
「もう余が国を統べるには無理があるのだ。あの父親だった者が人を殺めようとまで思いつめたのは、全て余の過ちゆえ。
そこまで民を追い詰めてしまった余に、もう誰も付いては来まいて。
……真の愚王は、責任を取る事も許されぬ。
配下の者から王都内の民意がどのようなものか聞いた。指導者にはセレスティアを、と望む声が多数あがっているそうだ」
「そのような事はっ……!」
咄嗟に否定するセレスティアだったが、視察する時に時折小声でそう話す民がいたのは知っていた。
だから、言葉の続きである、無い、は言えなかった。
それでも否定したかったセレスティアの気持ちを国王は嬉しくは思うが、わざと割り込んで続ける。
「分かっておる。だが、人望は既にお前にある。人無くして国は成らず。王は国の象徴ではあるが、国ではない。そこに住む者に生まれる共同体としての意識と誇りを、誰もが見やすい形に表したものが王なのだ。
今、その共同体の意識はセレスティアを待っている。
さあ、新たな国王よ、王の証であるこの腕輪を受け取るがよい」
国王の左腕に嵌められていた銀色の腕輪。
竜や剣などの無骨な意匠が施されていて、中心部には緑色の小さな石が取り付けられていた。
その腕輪を外して、今だ躊躇うセレスティアを後押しする。
「これからこの国は再び窮地に立つ。そんな時にお前に王位を継がせなくてはならなくなったのは心苦しい。だが、民の心を束ねられるのは今やセレスティア、お前だけだ。余の代わりに、この国を救ってくれ」
「……父上」
いつかは王位を継承する日が来る。
それはきっと、父の顔の皺が今よりもっと深くなって、瞼も心なし垂れ下がり、喋るたびに喉をがらがら言わせて年を取ったなぁと、そんな老いを見せた時だろうと根拠もなく信じていた。
その時には国も平和になり、民らが穏やかな気分で晴れ空の下を軽やかに歩いている、そんな遠い将来の話。
まさか、その日が今日訪れるとは思っていなかった。
心の準備なんか何も出来ていない。
しかし、民は父による統治を求めていない現状は無視できない。
聖マリアス国との事もある。
心の準備がどうとか言っていられる時では無い。
セレスティアは遠い将来に回していた決意を強引に現在へ引き寄せると、恭しく膝を折って腕輪を受け取った。
「不肖、セレスティア・イーリス・アレイクシオンは、謹んで王位を継承致します」
「この国を頼む」
「この国、そして無辜の民たちの幸福の為、身命を賭して国王としての責務を全うすると約束致します」
セレスティア新国王の言葉を聞き届けて満足そうに頷くと、一区切りついたと深く息を吐いた。
それだけで雰囲気を変えると、ガルファはセレスティアに忠告した。
「聖マリアス国と事を構えるにあたって、一つ大きな懸念がある」
「……貴族、ですか?」
「そうだ。ジェイクが誑かされたという話は余の耳にも入ってきたが、国内の情報が敵に渡っていると考慮して動くべきだろう。ただ、唆された人間がジェイク以外に判明しておらぬのが厄介だが……」
「この国の貴族がこぞって裏切っている可能性もあると……」
「考えたくはないがな。少なくとも、戦力は知られているだろう」
貴族連中も敵に寝返った場合、こちらの戦力は国王所属の兵団のみ。
籠城したとしても、二月と持たないだろう。
であれば、徴兵するか。
いや、碌に訓練もしたことのない人間を兵士として駆り立てたとしても、無駄死にさせてしまうだけだ。
ならば、せめて貴族と交渉して頭を下げてでも助力を請うべきか。
いずれにしろ、留学生として滞在してもらっているハヅキたちをジエイタイの許へ帰らせるのが最優先か。
すぐにでもやらねばならない事を見つけると、すぐに動き出す。
「父上、まずは無関係なニホンコクの方を避難させます。時間が惜しいので今日はこれにて失礼します」
「ああ」
セレスティアはガルファへ一礼して足早に去り、続いて護衛の二人も一礼してから後を追った。
急に静まった病室の中で、ガルファは独りごちた。
「娘がこれ以上泣かぬ事だけを考え、民を考えなかった余の罪は、どうすれば贖えるのであろうな……」




