#84_意外な再会
「主様っ、お目覚めになられていたのですか!?」
「ワンッ」
犬にひれ伏す占い師。
「(なんだこれ……)」
かなりおかしな人、というか正気を疑う構図。
しかし本人は至って真面目で、お気を確かに、と冗談めかした声を掛けづらい空気が漂っている。
どう声を掛けるべきかと浩介は困り果てている最中、占い師は犬に向って話しかける。
「……はっ、わしの契約者候補はまだ幼く、わけも分からぬうちに幽閉され……。わしが近くにいながら面目ないですじゃ」
「ワフッ」
「主様……仰る通り、本体と契約者候補の奪還が最優先。しかし御覧の通り、わしにはもうほとんど力は残っておりませぬゆえ、如何したら……」
「ワンッ、ワンワンッ」
これ、会話通じてるのか?占い師の妄想なんじゃないのか?と思いもしたが、この犬は人語を解している風でもある。
その時、犬が殊更吠えて浩介の方を向いたので、まさかこの混沌に巻き込まれるのかと身構える。
占い師は驚いた様子で浩介へ尋ねる。
「それは真でありますか?!……なるほど、独特の色をしている理由は斯様な次第でありましたか。ならば起死回生の一手が打てるやもしれませぬの!おぬし、頼みがあるのじゃが」
「……はあ」
やはり来たかと、声に警戒の色を滲ませる。
なんとかこの妄想劇より遠ざかる方法はないものかと頭を巡らせようとするも、その暇は与えられなかった。
「緑色の石を持っているじゃろう。それを見せてはくれんか?」
「……え?」
おぬしも御犬様に首を垂れんかい、とか言われるかと思っていたのだが、想定外過ぎる言葉に思考が少し固まった。
聞こえなかったと勘違いした占い師は、もう一度言う。
「じゃから、緑色の石じゃ。こう、ちと光りそうで形の整った手のひらサイズの石じゃよ。おぬしの持っとる青いのと似たヤツじゃよ。それを持っとると主様から伺ったのじゃが、見せてはくれんか?」
「え、俺、あなたにその事話してませんよね?なんで知ってるんですか」
「おぬしはよう人の話しを聞かん男じゃのう。そこに御座す主様から伺ったと言っておろうに」
「ワンッ」
占い師が隣に座る犬を目で示す。
浩介が釣られて目を向けると、つぶらな瞳が返ってきた。
「え、この犬が?いやいや、それどんな茶番ですか。俺が青い石とか持ってる情報をどこで仕入れたかは分かりませんが、ちょっと無理があるでしょう。
宝石の存在はこれまで上手く隠し通してきたと思ったのですが……ホット・リーディングの技量が凄いですね」
「全く信用しておらんな……仕方ない。主様、主様のお話をこの者にお聞かせしてもよろしいでしょうか?」
「ワンッ」
これまでの犬の様子から、どうやら一回吠える時は肯定の意味らしい。
占い師は跪いた姿勢から正座に座りなおすと、一つこほんと咳払いしてから話し出した。
「おぬしが主様と出会ったのは半刻程前、ルクル大森林の奥にある石造りの建物の中。そこには巨大な水晶に封じられた何者かがあった。そうじゃろう?」
「それは……」
「ついでに言えば、大森林の中を四方八方へ移動する主様を追いかけると大森林を抜け、王都側の平原に戻って来た」
「なんで……」
占い師が語った一連の行動は、傍でずっと見ていなければ把握できるはずがない。
百歩譲って大森林の建物はそこを監視していれば把握できるが、障害物の多い森の中をあちこち曲がりくねりながら走っていたという情報は浩介たちについて行かないと知り得ないものだ。
更に、ここからルクル大森林まで一時間で到達したなど、馬が一番早い乗り物であるこの世界の人間の発想ではない。
つまり、この占い師は普通の人間ではない、という結論になる。
「千里眼でも備わってるんですか……」
「んなの無いわ。それに、一刻前どころか半日前からわしはここで行き倒れておったわ。今言ったのは、全部主様からお聞きした話じゃよ」
「ワンッ」
肯定する一吠え。
到底信じられない話だが、否定できる材料が見つからない。
何より、浩介の首から露出しているロケットペンダントの中身だけ言い当てるなら、当てずっぽうが当たった可能性もある。
がしかし、ポケットにある箱の中身をも言い当てた。
仮に手癖が悪く、介抱されている間にポケットを調べていたとしても、さすがにポケットの中で箱を開けられれば気付くし、直接見なければ宝石が緑色ということまで判別できない。
この占い師、どう考えても普通じゃない。
疑う事を諦めた。
「信じられない……本当、あなたは何なんですか。分かりました、お見せしましょう。これです」
潔くポケットから箱を出して蓋を開けた。
占い師は膝をついたままにじり寄って、顎に手を当てて緑色の宝石をまじまじと見ると目つきが鋭く変わった。
「ふむふむ、なるほど。力は呆れるほどに弱いが、よくもまぁ人の手でここまで模造できたものじゃ。して、これをどこで手に入れた?」
「バルガントっていう聖マリアス国の司祭らしい男が悪用してたから没収したんですけど」
「……聖石の模造だけに飽き足らず、このような物を作るとは度し難い。わしの契約者候補を虐げるだけでなく、このような無礼も働いておったとなれば相応の報いを受けてもらわねば」
占い師がなぜそこまで憤るのか皆目見当が付かない。
怒る理由を訊こうと口を開けた時、占い師はおもむろに宝石へ指を伸ばした。
「ほれ、早う出てこい」
「ちょっ、まっ!」
死、という一文字が瞬時に浮かんだ。
浩介は急いで制止の言葉を投げかけたが、言い切る前に占い師の人差し指の爪がこつんと宝石を叩いた。
「(終わった……死んだ……)」
止められなかった無力感と、これは不可抗力だという弁明がせめぎ合う。
人の死に際など見ていられず目を逸らした一瞬、バチリと火花が散ったような音がして瞬きの間だけ閃光が走った。
この現象が適正者以外が触れた結果の現象なのかと、占い師の亡骸を受け入れる覚悟を無理やりに決め、視線を戻す。
が、その一瞬の閃光の後でも占い師は生きていた。
それだけでなく、閃光の前と後で変わっていたものがあり、それを一言で言えば、何故そうなる、であろう。
「ここはどこでしょうか……えっ?!主さまに神さま?!それに天使さまっ!?これはどうなっているのでしょうか……」
混乱した様子の肉体言語派シスターがそこにいた。
シスターが放った一言は、浩介が最も言いたい言葉だ。
占い師がシスターへ説明する。
「お前さんの力を貸して欲しくての。わしが万全の状態であったならその必要はなかったんじゃが、今はいわゆる猫の手も借りたい状況じゃ。これからお前さんに何をしてもらうか説明する」
「か、畏まりました」
結果から見れば、占い師も適正者ということなのだろう。
だが、シスターの言った神さま、主さまというのが気にかかる。
天使さま、は以前シスターが浩介の事をそう呼んでいた。
言葉遣いから、犬と占い師とシスターは主従関係にあると予想できる。
犬>占い師>シスター、っぽいからシスターから見ればこの順で
神>主>本人
なのだろう。なんでそうなるのかよく分からん。
他にも様々な疑問はあるが、今は黙っていた方が良さそうだ。
「幽閉された聖マリアス国の教皇候補を解放、そして聖石を奪還する。その下準備としてお前さんとそこの者には力を合わせてもらう。良いな?」
「主様の仰せのままに」
「えっ、俺もやるの?!」
「ワンッ」
まさに青天の霹靂。
完全に巻き込まれてしまった。
ささやかな抵抗も軽くあしらわれる。
「あの国が手駒を差し向けておったとなれば、司祭一人捕らえたところで終わるはずもないからのう」
バルガントがアレイクシオン王国に対して行った所業を鑑みるに、彼個人ではなく組織だって計画されたものであることは分かっていた。
彼の所属するマリアス教が王都を混乱に陥れた黒幕であるなら、これで諦めはしないだろう。
それが何時で如何なる方法でかは分からないが、確かに後顧の憂いは出来るなら断っておきたい。
最初こそ何も考えずに反射的に一言出たが、状況を思い返した今は協力しない選択肢はない。
「わかりました、やりましょう。で、俺は何をしたらいいんですか?」
「……うむ。次は」
言葉の続きは大通りからの大声に遮られた。
「聖マリアス国の軍勢が、東の浜辺に着岸してに陣を敷いたらしいぞ!」
「それより聖騎士の一団が南門の外に来てる!」
「まさか、戦争になるのか!?」
活気で溢れていた南門の大通りは一変して、物騒な喧騒に塗り替わった。
浩介も神妙にならざるを得ない。
そんな浩介とは対照的に、占い師は活き活きとし始めた。
「ほう、これは僥倖じゃな。裏工作をしてもらう手間が省けたわ」
「……俺に何をさせる気だったんですか」
「戦争まではいかずとも、この国の軍を率いて聖マリアス国内でただ一戦交えてもらう算段でいたんじゃが、向こうから来よった」
「それはもう戦争じゃないか……」
戦争では人は死ぬ。
無念を抱いて逝く人、遺された側のどうにもならない悲しみ、憎しみ。
そんな地獄を生み出す手伝いをしてもらう予定だったと聞かされ、占い師を非難の眼差しで睨む。
だが、痛烈な視線を受けても占い師は怯まない。
「大局で見ればわしの策はまだ優しいものじゃぞ。枝葉末節をしか見んで倫理的に正しい事を選び続けても、その先も正しい未来に繋がっているわけではなかろうに。
現に、わしが動く前に向こうから圧力を掛けてきおったではないか。
それで、倫理的に正しい事をしたいおぬしは、話し合う余地もなく宣戦布告とも取れる行動を起こした相手に対して、どうするのが正解じゃと思うておるのじゃ?」
「……それ、は……」
「わしはのう、小突いて済むならそれでカタを付けたかったんじゃ。こんなわしでも人間が死ぬのは見たくないでの。それだけは汲んでくれんか?」
人を殺すのは、何があっても絶対に駄目だ。
占い師を非難したが、理由を聞いた今は彼女の言い分も理解できる。
和平を、とただ一方が願っていても相手が争う姿勢を崩さないのであれば和平は叶わない。
話し合いでどうにかなるのは、相手が戦う姿勢を見せる前だけ。
そして此度の局面は、既に手遅れ。
聖マリアス国、マリアス教の謀略は浩介がこの世界に来る前からひそやかに進行していた。
いまさら一個人の浩介が情に訴えたところで、根の深いこの状況が好転することは無い。
そういった現状を踏まえたうえで、占い師は最小の被害で目的を成そうと考えたのだ。
占い師の愁いを帯びた最後の一言を聞いて、浩介は留飲を下げて頷くしかなかった。
「そう言われたら、何も言えないじゃないですか」
「すまぬの。ああは言ったが、おぬしの心持ちは尊いと思うておる。その気持ちがあって、人は人たり得る。じゃが、なかなかそれを貫き通せぬ場面はこれから幾度も出てこよう。
それでも、おぬしには変わらないでいて欲しく思う。主様やわしのようなものとここまで深く関わった事のある者はほとんどおらぬで、ちと肩入れに過ぎるかもしれぬが。頭の隅にでも留めておいてくれ」
「……わかりました」
温かみのある言葉で締め括られると、浩介は意識だけ大通りの喧騒へ戻して占い師の話の続きを聞く。
「よし。ではおぬし、今度は青い石を出して見せい……ああ、緑の方もそのまま持っておれ」
言われるがままロケットの蓋をずらして宝石を占い師に見せた。
「うむ。緑の方をちと借りるぞ」
浩介の持つ箱から緑色の宝石を摘まみ上げると、青い宝石と重ね合わせた。
二つの宝石が光ると、シスターは青い光に包まれた。




