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パンドラの壺~最後に残ったのはおっさんでした~  作者: 白いレンジ
異世界ノ章 ~葉月の異世界改革~
81/234

#81_セレスティアと貴族の舌戦


 浩介たちがスラム街から戻って来る少し前の王城。

 いつもより警備が多く、メイドの往来も多い城内を歩く恰幅の良い貴族とその従者がいた。

 何よりも王城に用がないはずの一般人が忙しなく動いている様に、貴族は何かあるのかとすれ違った兵士を呼び止めた。



「ちょっと君、今日はやけに騒がしいがどうしたのかね?」



 兵士は立ち止まると敬礼をして答えた。



「これはグラコス様!はっ、なにやら貧民街の人間をこの城で湯浴みさせる予定になっておりまして、その準備と警備であります」


「なにぃ?あの鼻の曲がるように臭いゴミどもがここに来るだと?」


「は、はいっ、そ、そのように聞いております」


「どうしてそのような事になっている?!」


「わ、私はただ、そういった事であるので警備の任に付けと言われた身であります故……」



 不愉快を露わに兵士を睨むが、詳細を知らぬ人間に凄んだところで得られるものはない。



「ちっ、役に立たんヤツめ。もういい、行け」


「はっ!」



 グラコスは大きく舌打ちをして兵士を解放すると、苛立ちを滲ませながら隣にいる従者に問う。



「ヤグウル、お前はそんな話聞いていたか?」


「いえ、とんと」


「他のヤツは知ってそうか?」



 グラコスの言う他のヤツとは、彼の抱える従者や私兵、他の貴族連中の事である。

 ヤグウルは他の従者たちを取りまとめる立場にいるので、聞き取りをするよう命じる。



「戻り次第、全員から情報を聞き出します」


「そうしろ」



 恭しく軽く頭を下げながら答え、それをグラコスは見もせず廊下の先を睨みながら大股で歩いて行く。

 そのような主人の態度に顔色を変えず、主人の斜め後ろについて行く。



「恐らくこれは、あの出しゃばり王女が考えた事に違いない。まったく余計な事を……国王が権力を握っていた時の方がやりやすかったわ」



 そう零して王城の出口へ向かって行った。

 そして、スラム街の住民たちとグラコスはエントランスで鉢合わせてしまった。



「っ!」



 浩介たちがスラム街の住人たちと王城へ入った途端、エントランスから視線を感じた。

 目を向けると、腹の出た身なりの良い男がこちらを睨んでいた。

 葉月や理津たちはそれに気付かず、メイドたちと連携して住民たちを大浴場や個室の浴場へ導いている。

 その様子を眺めていた貴族は葉月の存在に気が付き、まさかと言った風にかっと目を開く。

 敵意を剥き出しにした眼差しに、浩介は何か仕掛けてくるのかと身構える。

 いつでも葉月を抱えて逃げられるように体を緊張させていると、二階のバルコニーからセレスティアが現れた。

 だが、グラコスのいる場所はセレスティアからは死角になっていて互いに気付いていない。

 そのままバルコニーの手すりに手を置いて佇み、動く気配はない。ただこの企画の進捗状況を確認しに来ただけのようだ。

 発案者の葉月に声を掛けずにいるというのだから、こちらからも声を掛ける必要はないだろう。

 そして、このまま貴族とセレスティア、両者とも動かなければ何も面倒は起こらない。

 だが、そんな浩介の期待をあざ笑うかのように、葉月に詰め寄ろうとグラコスは数歩前に出た。

 そして浩介にも気づき、その視線の先を追ってバルコニーを見上げてしまった。

 目をギラつかせていたグラコスだったが、途端に胡麻をする様な目に変えて階段の傍まで小走りで走り寄り、セレスティアの機嫌を窺う。



「こっ、これはこれはセレスティア殿下!本日もご機嫌麗しゅう」



 王女の名前にエントランス中がざわめいて、その場の全員がバルコニーに注目した。



「ご機嫌よう、グラコス卿。来ておられたのですね」


「ええ、本年度の予算の事で少し……。して、この騒ぎは一体?」



 グラコスはわざとらしくエントランスの人だかりを見渡して、僅かに眉間にしわを寄せながら問う。

 訝るグラコスに何食わぬ顔で答える。



「本日はこの方々に浴場を貸し出すのです。環境や経済的に体を清める事が出来ない者への支援の一環で、今後もそういった日を設けるつもりです」


「なるほど、そうでしたか。しかし、この場で言うのも気が引けるのですが……勝手な事をされると、私どもも困るのですよ」



 住民たちは、王女のお墨付きで連れてこられたというのに今度は帰れというのか、とあんまりな理不尽に対して憤りを抱えた。

 浩介や葉月は、ケチくさい事言うなと口を出したくなるが、相対しているセレスティアが微笑みを絶やしていない。

 何かあるのか。

 口を挟むべきか否かの決断が出来ないまま、二人の会話は進む。



「何故、困るのですか?」


「それは……私どもにも都合というものがありまして、勝手な行動をされては困ります」


「民に湯浴みの場を提供するだけで悪くなる都合とは、如何なものなのですか?」


「いえ、そういうわけでは……ただ、このような大きな事をするのであれば、事前に私どもに話を通していただきたかったと、そう申し上げたいだけです」


「どうやらグラコス卿は勘違いされているようですね。これは私が計画したものではなく、有志の方々の主導によるものです。私はただ王城で持て余している場所を提供したにすぎません。よって政とは一切無関係。

 であるなら、元老院に報告する義務も存在しません」


「なっ」



 セレスティアの返答はグラコスの想定外の内容だった。

 再び周囲を見渡すと、確かに平民ばかりだ。

 どうなっているのだと口を震わせ、恐る恐るセレスティアへ向き直る。

 セレスティアの顔は、まるで勝ち誇っているかのような満面の笑みだった。



「グラコス卿の規律を遵守せんとする姿勢はとても勉強になります。ですが、此度に関しては心配は無用。まさか、民たちによる自発的な慈善活動まで規制するとは仰いますまい?」


「ま、まさか……。で、ですが、何故この場に異邦の方々もおられるのですか?彼らは関係はないはずでは」



 セレスティアはこれ見よがしに大きくため息を吐いて、小さな子を諭すように優しい声色で答えた。



「お忘れですか?その方々はこの世界を学ぶために来た、いわば留学生です。この国を知り、学んでいただくのであれば、あるがままの国の姿を見せなくてはこちらの誠意が伝わりません。

 見学に来られて何の問題があるというのです?」



 独断で事を運んだ王女を責め立ててこの集まりを解散させるつもりが、逆に追い詰められている。

 グラコスは誰にも聞き取られないほど小さく呻いた。

 だが、よくよく考えればグラコス、いや貴族たちにとってこのような事は些事に等しい。

 これ以上セレスティアと話しても時間の無駄と思ったグラコスは、言いくるめられてむかっ腹が立ちながらも、作り笑顔を張り付けて貴族らしく丁寧に暇を告げる。



「確かに。これは私の早合点でしたな。セレスティア殿下からはもっとご教授いただきたかったのですが、この後に用事が入っていまして。名残惜しいですが、今日はこれにて失礼させていただきます」


「そうですか。では、またの機会に」



 グラコスは胸に手を当てて首を垂れると、低い声でぼそりと呟いた。



「小娘が……」


「何か仰いましたか?」



 まさか聞こえているとは思わず焦り、とぼけた振りをする。



「いえ、何も」


「そうですか」



 グラコスはヤグウルを伴って王城から出て行った。

 二人がいなくなると同時に、今度は少女が勢いよくバルコニーの前まで走って行く。



「あっ」



 母親がストレッチャーの上から止めようと手を伸ばすが遅く、瞬く間に注目が集まる。

 少女は目一杯の笑顔を浮かべてセレスティアの前に出た。

 でも何かを言うでもなく、少女は勢いよくお辞儀をした。



「まあ!」



 あまりの可愛らしさに、セレスティアは階段を下りて少女の前まで来ると、屈んで頭を優しく撫でた。



「いい子ね。お礼なんていいのよ」



 少女が大人の誰よりも先に王女に感謝を伝え、それに釣られて大人たちも次々に頭を下げ始めた。

 セレスティアはそれを手で制し、集まった者一人一人の顔を確かめながら話し出す。



「今の今まで、非常に苦しい生活を強いられている者たちがいたとは露知らず、申し訳ありませんでした」



 王女が頭を下げた。

 その光景にエントランス中はざわめくが、浩介たちは苦笑い半分、咎めたい気持ち半分であった。



「(代表との話し合いの時といい、王女がそんなにぽんぽん庶民に頭を下げて良いとは思えないけどなぁ。軽く見られなきゃいいけど……まぁ、これがセレスティアっていう人間なんだろうなぁ)」



 複雑な気持ちのまま成り行きを見守る。



「湯浴みを終えましたら、二階の会議室までお越しください。そこで有志の方々が生活改善の相談と提案をされる予定になっています。

 今一度、一歩踏み出す勇気を奮い立たせてみてください。あなた方の現状を変えられるのは、あなた方だけなのです」



 そこまで話すとふわりと柔らかな笑顔になり、声のトーンも上がった。



「ですが、ひとまず難しい話は後にして。皆さま、ごゆっくり湯浴みなさってください」



 そう言ってセレスティアは階段を上って奥へと戻った。

 その後、住民たち大浴場に案内された。

 少女は母親と共に大浴場ではなく個室へ案内され、メイドが母親の介助をして葉月が少女の相手をした。

 少女の頭を洗いながらエントランスでの一幕や少女との過去のやりとりを思い返すと、葉月は一つ思った。



「(この子、まさか言葉が話せないんじゃ……)」






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