#68_報い
音量を最大にしてジェイクとバルガントの密談音声を流した。
それを聞いた民はバルガントへ怪訝な目を向け、王は唇を震わせて目が虚ろになった。
しんと静まった大通りで、まずセレスティアが証言した。
「実際に私は一週間ほど前の就寝中、命を狙われました。偶然にもその直前に王城の倉庫でその計画を聞いた私は、毛布をくるんで身代わりを置いて別の場所で夜を明かしました。朝方自室を確認すると、ベッドにナイフを突き立てた痕がありました。
城から抜け出した私は途中でとある方に助けられ、その者の手引きで今日までレイジットへ身を寄せていました。
さて、その小さい箱から聞こえた会話が本当なら、私を殺そうと企てたのは貴公とジェイク卿という事になりますが?」
王女が殺されそうになっていたなど露ほど思っていなかった民たちの間に動揺が走った。
その中の誰かが大声で叫んだ。
「ジェイクを探せっ!」
その一言で男衆が手分けして探し始めた。
民たちはざわつき、まるで自分たちも狙われているのではと恐れるように身を固くして成り行きを見る。
王は俯いたまま微動だにせず、バルガントは鼻血を滴らせながら浩介に首根っこを掴まれて魂が抜けたような顔をしている。
セレスティアは鋭い目つきで、罪深き二人の男を見据える。
「バルガント、弁明があるならどうぞ申し上げてください。何も言わねば会話の内容を事実と見做し、相応の対処をさせてもらいます」
「……である」
「……何ですか?はっきりと言ってもらわねば、聞こえません」
バルガントは突然、目を血走らせて叫びに近い狂気を孕んだ声を発した。
「貴方がたには理解できますまいいぃ!我が行いは我が神の御意思であらせられる!
主神マリアス様はっ、愚昧な王を傀儡とし、無知蒙昧な愚民どもに真の指導者による幸福を授け、暗君の罪を赦し慈悲を与えよと、大司教様にそう仰られたっ!
私に逆らう事は、我らが神マリアス様への反逆そのものであるっ!今すぐに、この不当な扱いをやめよっ!」
鬼気迫る形相で一気に捲し立てられ、気迫に圧された王女の顔に僅かに怯えが混じった。
民たちもバルガントの豹変ぶりに戸惑った。
セレスティアの動揺を民たちに気取られてはまずいと思った浩介は、気を立て直す時間を稼ぐためにわざと目立とうとする。
「つまりあんたは、国王に話した預言は侵略を推し進めるための虚言で、王都を閉じようが閉じまいがそれは国王の命と関係ない、そういう事でいいんだな?」
「貴様がっ!貴様さえいなければああっ!」
首を掴まれたまま半狂乱気味に暴れ、理性的な会話も出来ない程に喚く。
これでは冷静な問答などできようはずもない。
仕方ないので少しばかり強引に黙らせる。
「あー、ちょっとうるさい。静かにしなさい」
首を持ったまま、首の骨が折れないように加減してバルガントを左右にぶるぶると振る。
「あ、あああ、あ、あっ」
力技でバルガントを押し黙らせるとシェイクを止めた。
それを待っていたかのように民衆の中から一人の老人がおずおずと歩み出てきた。
「陛下に殿下、差し出口ですが、お許しいただけるでしょうか」
「遠慮せずに申してください」
「はっ。バルガント様がこの国を支配しようとしているのは分かりましたが、王都の者がバルガント様の奇跡で癒されたのも本当です。どうか、寛大な処遇をお願い申し上げます……」
「っ?!……そう、ですね」
民からバルガントを擁護する言葉がでてくるなど。セレスティアの眉が苦悶に歪む。
だが、問題の捉えどころを間違ってはいけない。
浩介はセレスティアに思いとどまるように進言してから、老人に言葉を返す。
「王女さま、それは違いますよ。そこの方も根本的なところを見誤ってます。
いいですか。バルガントが国王に王都を封鎖するように差し向けなければ、外界との交流も続いていて医師の仕事や薬の入手も難しくなることはありませんでした。
治療が必要になる人が増えたのは、バルガントが国王を脅して門を閉じさせたせいで起きたんです。
彼は、自分で問題を起こして自分で解決しただけなんです。彼を有難がる要素はどこにもありません」
老人もセレスティアも浩介の言葉を考えていると、またもや民が一人歩み出てきた。
年齢は浩介と同じほどで、顔はやつれていた。
セレスティアがその者に声をかけるも、男性はなにやら小声で呟きながら放心している王へ向かって歩みを進める。
「……なけれ……こと……に……いだ……じわ……」
怪訝に思うもその異様な雰囲気に誰もが呑まれ、ついに王の前に立つまで誰も止めに入れなかった。
男はおもむろに右手を腰の後ろに持っていくと、隠し持っていた何かを手にした。
誰かが声を上げる間もなく、男は王の腹部に何かを突き立てた。
突き立てられたのは、包丁。
豪奢な服が見る間に赤い染みに浸食されていき、王は足の力が抜けたように膝を折って倒れた。
セレスティアが悲鳴を上げる。
「い、いやあああああああっ!父上ええっ!」
何故、こんなことになったのか。
どうして止めなかったのかと、浩介は自分を責める。
「誰かっ、その男を押さえろっ!」
気を取り直した誰かの声で、数人の男たちが王を刺した男を取り押さえた。
「だめ、だめよっ……こんな……」
「てぃ……あ……」
セレスティアは王に駆け寄り、泣きながら手を握って刺された箇所と顔を交互に見る。
そして、あまりの事に言葉が出てこない。
浩介はこの世界に救急車が無いのを恨む。
その時、はたと気付く。
一人、この場で傷を治せる者がいたと。
頼りたくはなかったが、四の五の言っていられない。
早口でせがむ。
「バルガント、国王にヒールをかけろっ」
「それは出来ない」
「何故だ!国王の命を救えば罪はいくらか軽くなるだろうっ」
「貴様が宝石を返せばやってやろう」
もし宝石を返してしまえば、あの恐ろしく手強いシスターを呼び出すに違いない。
また勝てるかと問われたら、十中八九負ける。
その後はバルガントはこの国から逃亡し、またどこかの国を侵略するかもしれない。
一人の王を救うか、見知らぬ国を救うか。
浩介は、まさか自分がこんなトロッコ問題にぶち当たるとは思いもしなかった。
そのような話が出てくる度に浩介もどうするのが一番か悩んできたが、答えは出ないまま。
メリットとデメリットだけを考えればいずれ答えは出るだろうが、人の心を排除して功利主義に徹するほどに浩介は冷酷にはなれなかった。
「くっ……俺には、決められない……」
それに、これはこの国の問題だ。
異邦人である浩介が勝手に決めて良いものではない。
「セレスティア、君が決めてくれ」
呼びかけられて、涙と鼻水で濡れてぐちゃぐちゃになった顔で振り向く。
「俺はあのシスターにもう一度勝てる自信はない。バルガントは逃げ果せるだろう。それでも国王を救ってバルガントを見逃すか?」
セレスティアは一旦、国王の顔を見遣ってから首を振った。
「バルガントは野放しに出来ない……でも、王には……王の代わりは……いるから……」
「……この、ような、こと……ならない、ように……と、思ってたが……」
国王は痛みを堪えて絞り出すように言葉を紡ぐ。
浩介はセレスティアの言葉を噛みしめ、無線機で呼びかける。
「こちら辻本。王都の東門前で国王が刺された。助けに来て欲しい」
「すぐに芳賀2佐に連絡を回す。少し待て」
救護の知識のない浩介ではどうする事も出来ずに、ただ芳賀からの連絡を待つしかなかった。
数十秒経った頃に芳賀から連絡が入ったが、何時間も待たされた思いだった。
「こちら芳賀。意識はあるか確認したか?」
「あります」
「毛布か何かで体を温めるんだ」
「セレスティア、その外套を国王に掛けて……他に何か出来る事は」
「傷は腹部なのだろう?なら今はこれしか出来ない。さっき救護班をそちらに向かわせた。意識を失わないように話しかけながら到着を待つんだ。救護班が応急処置を済ませ次第、ベースキャンプまで移送する」
「お願いします……」
直後に王女へ事の次第を説明した。
それから五分経つかといった頃、一台の高機動車が到着し、自衛官により手早く応急処置がなされると王を担架に乗せる。
「同行する方はいらっしゃいますか?」
浩介は王女へ乗る様に促したが、意外な事に首を振って拒否した。
「民が辛い時に、その傍を離れるなどできません。私はここで、一刻も早く町を復興させなくては……」
浩介は軽く息を吐き、考えを短く纏めた。
「セレスティアがここにいても今はどうにもならない。まして、父親が危ないというのに復興を手伝うなんてのは、ここの人たちの方が気を遣っちゃうんじゃないか?」
セレスティアが周囲を見渡すと、目に映る顔のほぼ全てが首を縦に振って頷く。
「姫さま、そのお気持ちだけで十分です。私らの事は気にせずに行ってください」
「みんなには話を通しておきますから」
「文句言うヤツぁ、この俺がぶっとばしてやりやすよ!」
「みなさん……有難うございます」
民たちの心遣いにセレスティアは心から感謝した。
およそ怪我人の搬送に適さない高機動車にセレスティアも乗り込むと、車はベースキャンプへ向かった。
浩介はそれを見送ると、怒りを必死に抑えながら取り押さえられた犯人へ問いかける。
「……なんで刺した?」
男の目は焦点が合っているようで合っていないように見え、そして力なく答える。
「商人が行き来が出来ていれば、娘が死ぬことは無かったんだ……生まれつき病を患っていた娘に必要な薬には、山岳部でしか採れない薬草が使われていた。
薬が入ってこなくなって予備の薬も底をついてから十日後、娘の病状が悪化した……その後は、本当にあっけなかった……そこの司祭サマが慈善活動を始める前の話だ」
事情を聞いていくうちに、怒りの感情は消え失せてなんともやるせない気持ちになった。
ここにいた誰もが同情的になり、目を伏せた。
それでも、誰かが言わなくてはならない言葉がある。
「例えどんな事情があっても殺しは駄目だ、と言いたいけど……それを本気で言えるほど、俺は清廉な人間じゃない。
でも、これだけは言える。
あんたの感情に任せた行いで何の罪もない女の子が、家族を亡くしたあんたと同じ苦しみを味わってしまうかもしれないって事を、よく覚えておくといい」
「……ぅううあああああっ……!」
男は泣き崩れた。
東門の様子を見に戻った騎士が、これは何事かと浩介に事情を訊いた。
「そうですか……あり得ない事だとは思いませんでしたが、何より殿下がお気の毒すぎて……」
「そういえば、王妃様は?」
「半年前、患っていた病が悪化し崩御されました……」
「半年前?!そんな悲しそうな素振りまったくなかったぞ……」
「民に弱っている情けない姿を見せぬよう、気を張っておられましたから……」
「何てことだ……まだ心の傷が癒えていないだろう内に、こんなことになるなんて……」
浩介が出来る事など何もないが、セレスティアの傍に誰かいた方が良いと思った。
バルガントを騎士に預けて、浩介もベースキャンプへ向かう。




