#63_エクスドール
王女は急いで窓を開け、窓の下枠に手を掛けて裏庭に降りようとする。
慌てて浩介は王女の体を廊下へ引き戻す。
「ちょっ、何やってんの!」
非難を込めた目で浩介を責め立てる。
「どうして止めるのですか!あそこに元凶がいるのに!」
「いくらなんでも三階から飛び降りるヤツがいるか!それに、セレスティアにはあいつを捕まえるよりも大事な使命があるだろ。東門に行くんだ。ヤツは俺に任せろ」
「東門にはすでに先ほどの騎士が向かっているので大丈夫です!」
「この混乱だ、騎士だけで群衆をまとめられるとは思えない。セレスティアが必要になる場面があるかもしれない」
そう言われたセレスティアは、一呼吸分だけ考えて答えた。
「分かりました。確かにコウスケならば、彼を捕らえるなどきっと造作もないでしょう。彼の処罰をこのあと考えなくてはなりませんので、あとで私の所へ連れてきてください」
「おっけーだ」
「おっ……?桶?」
「気にするな。さあ、早く皆の元へ」
「ええ、ご武運を」
浩介が頷いて返すと、王女は走って民の元へ向かった。
その後ろ姿を見送らず、浩介は裏庭にいるバルガントへ顔を向けると目が合った。
静まり返っている城の中で、窓を開け放ったまま熱のこもった会話をしていれば裏庭にも届こう。
浩介はその場からバルガントに向って声を投げた。
「逃げないのか?」
初めて見るバルガントの顔は鼻筋が通っていて目が鋭く、しかし柔和な笑みを浮かべていた。
非常に顔立ちの整った優しそうな顔立ち。
もし彼が地球にいたら、その笑顔に魅了された女性たちがファンクラブでも立ち上げているかもしれない。
それほどまでに恐ろしい破壊力を持った笑顔が、浩介に向けられていた。
「そういうあなたは、どうなのですか?この国の王は決断しない事を決断しました。すぐに逃げると良いでしょう」
言葉が足らなかったか。
より近くで話すため、浩介は窓の下枠に片手を掛けて飛び下りた。
歩み寄りながら浩介は話す。
「俺から逃げないのか?って意味だったんだけどな」
「はて、あなたから逃げる理由に心当たりはありませんが」
「この国に来てから自分がした事を思い出してみな。人に恨まれるような事、いっぱいしただろう」
「さあ、とんと心当たりはありませんね。どなたかと間違われていませんか?」
正直に白状する気はないようだ。
スマホの音量を最大にして動画の音声だけをバルガントに聞かせた。
全て聞き終えるまで顔色一つ変えなかった。
溜息を吐き、役目を終えたスマホを仕舞い込んで再度問いかける。
「これでも、何もやましい事をしていないと?」
「……一体、どのような技術で声を保管しているのか興味がありますね。確かにその話は数日前にとある貴族と会った時のものですが、何故あなたがその会話の情報を持っているのですか?」
「王都の様子がおかしくなった時期を考えれば、正常な思考が出来るヤツならあんたが原因だってすぐ見抜けるよ。それに、王都の門が開かなくて困ってる人は多い。俺もその一人だ」
「王都の民は私を歓迎していましたが?」
「お前がそう仕向けたんだろう?仕事を奪って食事の自由を奪って、生きる活力を奪って、娯楽も奪う。
医者も働かなくなった所に、治癒能力を持った女があんたと一緒に現れて無償で癒す。さぞや感謝されただろうね」
「それはあなたの妄想でしょう?結果的にそう見えていたとしても、私が王都をそんな地獄にして何の得があるというのですか」
「そこまでは分からない。けど、王女に刺客を放ったとあんたは言った。罪に問われるにはそれだけで充分だ」
「仰る通り、その証拠を押さえられていては言い逃れは効きませんね。ですが、この場は見逃してもらいますよ」
バルガントは祭服の袖に手を入れて、手のひらサイズの四角い木箱を取り出した。
見せつけるように蓋を開けると、箱の中には深紅の宝石が入っていた。
「っ?!それはまさかっ」
「運悪く死んでしまっても、恨まないでくださいね」
バルガントはそう言うと、宝石に手を触れた。
瞬間、目を開けていられない程の強烈な光が宝石から生じて、浩介は腕で目を庇う。
瞼の裏に見える白さが衰えていったのでゆっくりと瞼を開けて腕を下ろすと、バルガントの前には見覚えのある一人の修道女が立っていた。
「天使さま?!またお会い出来ましたね、嬉しいです!」
「おや、お知り合いでしたか?」
「……いつの間に」
何故、どうして彼女がここにいるのか。
どこかに隠れていたのだろうか。
「あなたのお相手は私ではなく、この子がしてくれます。このシスターもどきは、こうみえても意外とやるんですよ?せいぜい、足掻いてくださいね」
バルガントは浩介とシスターから離れて壁際まで下がった。傍観を決め込むようだ。
シスターは申し訳なさそうな顔で話しかけてきた。
「天使さま、申し訳ありません。契約者の命には逆らえないんです。お許しください」
言い切ると同時に、シスターが一瞬で目の前に移動してきてボディブローを放った。
「ごあっ!」
腹部に経験したことのないほどの衝撃が襲い、建物の壁まで体が吹き飛ばされる。
光の膜、バリアが打ち抜かれた。
呼吸が上手くできず、足の力が抜けて片膝を付いた。
右手を腹部に添えて立ち上がろうとしたが、ダメージは思ったよりも大きく両膝が地面に付いた。
「かはっ!かはっ、かはっ……」
何とか呼吸ができるまではじっとしていたかったが、シスターは容赦なく二撃目を打ち込もうと拳を構えていた。
避けなければいけないのに、呼吸が満足にできず体も動かない。
この場で防御するしかなく、両腕を前面で交差させた。
直後、腕に凄まじい衝撃と痛みが襲い、体ごと押されて背面の石壁に亀裂が入った。
とんでもない膂力にガードを剥がされそうになるが、根性で腕を維持させる。
防御しかできない浩介に、聖女は乱打を撃ち込み続ける。
一発一発は確かに重いものの、初撃と二撃目を比べると些かインパクトが弱い。
弱いと言っても、撥ねのけられる程に甘いものではないが。
しかし、耐えきれないほどでもなく、呼吸が整う時間を稼げた。
拳の雨に打たれ続けながらも、ようやく呼吸を自由に出来るようになった浩介は反撃に出た。
腕を交差させたガード姿勢のまま、シスターに向って弾けたように跳躍して体当たりする。
「あっ!」
体当たりをまともに食らって短い悲鳴を上げた。
浩介は腕の隙間からシスターを見ると、どうやら追撃を警戒したようで距離を取っていた。
ガードを解き、感覚を研ぎ澄ませながらシスターへ問いかける。
「その力……人間じゃないよね?」
「ほう」
傍観するバルガントが感心した声を漏らした。
「しかし、そういうあなたも十分に規格外ですよ。あれだけの攻撃を受けたら、もはや人の体を成していないはず。あなたこそ、本当に人間なのですか?」
「それはこっちの台詞だ。この女普通じゃないぞ。それに、その宝石。この女の異常な力の源は、それか」
「おや、これをご存知だったとは」
バルガントはおどけたリアクションで返した。
「あなたも同じ力を持った宝石から生まれた、そういう事ですか。その桁外れに頑丈な体を持っている理由に得心がいきました」
勝手に思い込んで納得しているバルガントを見ながら、浩介も口に出さずに得心した。
「(あっちは何か勘違いしているようだけど、そのおかげでこっちには正確な情報が来た。総理が言ってたのって、こいつの事だったわけか)」
エクスドール。
宝石と相性のいい人間が呼び出せる、謎の生命体。
目まぐるしく変わる状況のせいですっかり忘れてしまっていた。
「それで、あなたのマスターはどこに隠れているのですか?それだけの力を発揮できているのです、そう遠く離れてはいないはずですが……」
バルガントは首を巡らせて周囲を探る。
それを見ながら、浩介はまたも心の中でほくそ笑む。
「(勝手にべらべら情報を喋ってくれて助かるな。なるほど、エクスドールってのは宝石、もしくは宝石の持ち主と距離が離れていると、その距離に応じて能力の減衰が発生するのか)」
シスターが困り顔で浩介に話しかけてきた。
「天使さま、こちらの契約者をお見逃しいただけないでしょうか?私はこれ以上、天使さまと戦いたくはありません……」
散々痛めつけた相手へその言葉を送るシスターを、呆れ顔で見る。
思わず文句が出た。
「俺をここまでボロクソ殴っておいて、今更それ言う?それに、俺にだって絶対に退けない理由があるんだよ」
命惜しさでバルガントを逃がしてしまえば、王女の信頼は失われて、日本や浩介の家族の未来は決して良いものではなくなってしまう。
セレスティアの信頼と期待を裏切る事は絶対に出来ない。
そのために浩介は今、女性に暴力を振るわないという信条を曲げる。
幸いにして、シスターが人間でないのが罪悪感を軽減させ、気持ちの切り替えはスムーズに行われた。
そしてエクスドールという彼女の特性が、浩介の心の拘束を解く鍵になった。
「日常を取り戻すんだ」
浩介は掌を前に突き出して目を閉じる。
今まで創造してきた刀よりも、ずっと鮮明にその存在を強く意識する。
決して折れず、迷いなく命を預けられる強い刀。
イメージが強固なものとなった瞬間、伸ばした腕の先の空間が強く輝いた。
「な、何をしたのですか?!」
手で閃光から目を守りながら、不可思議な現象に狼狽えたバルガントが叫ぶ。
程なくして光は消え失せ、入れ替わるように中空には刀身に青い炎のような光を纏った刀が浮いていた。
浩介は目を開け、創造した刀を手に取る。
「仕切り直しだ。さっきは不意を突かれたけど、こっからは油断なく全身全霊でいかせてもらうよ」




