#61_蹂躙するもの
「やはり、バルガントが黒幕だったのですね……」
動画を見終えたセレスティアは、相手を射殺さんばかりの目で画面の中のバルガントの背中を睨む。
出会ってからはずっと無邪気であり天真爛漫な姿しか見てこなかったが、それはただの一面に過ぎなかったようだ。
普段とは違うあまりにも殺気立った目に浩介はたじろいだ。その様子に気付いたセレスティアは、表情を緩めて浩介に向き直る。
「どうされましたか?私の顔に何か付いてますか?」
「……いや、何でもない」
答えるまで不自然な間が開いてしまい、彼女を恐れてしまったのが伝わってしまったのではないかと焦る。
が、「そうですか?」と訝しんではいたものの、それだけだった。
悟られないよう強引に気持ちを入れ替え、バルガントらが交わしていた会話の内容について話を進める。
「それにしても厄介な事になりそうだな」
「ええ。外部と連携して追手を差し向けようとは……」
「さすがに昨夜の今日ですぐにという事はないとは思うけど、今日中には連絡を取るだろうね。運が悪ければ、明日にでも追手はこの町に到着するかもしれない」
その中でも最悪のケースは、彼らの協力者がすでにレイジットに存在していた場合だ。
王都からレイジットまでは馬車で一日ほどらしいから、馬を走らせても半日以上はかかるはず。
その上でセレスティアがこの町に来た時点で既に敵に見張られていた、もしくはこれまでの間に感づかれてしまっていたのなら、明日にでも襲撃があってもおかしくはない。
これらは考えすぎかもしれないが、楽観視して万が一を引き当ててしまった場合は目も当てられない。
災害の備えが出来るかどうかというものに通ずるものがあり、地球で防災グッズを揃えていた浩介とセレスティアの考え方は同じだった。
「では、今日中にここから去るとして、どこか行く当てはあるのですか?」
「メリーズ……いや近すぎる。となると……」
アルス村、もしくは自衛隊のベースキャンプ。
王女と行動中、事あるごとに自衛隊を頼るべきかと考えていた。
その度に、まだそれは早いと連絡せずにきた。
今また、それが首をもたげ始める。
「……当てがあるのですね?もしかして、何か不都合でも?」
彼女にはある程度事情を話しているので、日本の存在はもちろん知っている。
頼れる何かに縋っても良いのだと言外に匂わせて、セレスティアは浩介の弱点を優しく撫でる。
何も制約が無ければ、一も二もなく無線で連絡を取って助力を請う場面だ。
しかし王都に無断で侵入し、王女を供にしている今は安易に接触するわけにはいかない。
王女を連れた浩介が自衛隊と接触する場面を敵に見られてしまったら、非常に面倒な事になる。
王女は怪しい未知の国家と連携して売国を謀っているのではないか、戦争の準備をしているのではないかとあらぬ事を吹聴されるかもしれない。
それくらいはこの王女も心得ているはずだ。
それでも浩介を使って日本を引きずり出そうとするのは、アレイクシオンのアイギスにさせようと考えているのかもしれない。
まだ二十歳そこらだというのに、年不相応にしたたかなようだ。
「(とんだ本性を見た気分だな……まだ子供の部類に入る年頃だろうに、俺なんかより軸がしっかりしてる。
もしかしたら、俺が日本と繋がってると知ってからこの流れに持って行く機会を窺ってたんじゃないかっていう気すらしてくるな)」
王女の顔を見る。
相変わらずの凛々しい目で浩介を見ていた。
どれが本当の彼女なのか分からない。
いや、どちらも本当の姿なのだろう。
純粋にセレスティアを助けてあげたい気持ちはあるが、自衛隊に保護を頼んだが故に家族が危険に晒されるのは回避したい。
どうすべきかと頭を悩ませていると、街路から男の切羽詰まった叫び声が聞こえてきた。
「西の森にヒュドラが出たらしい!王都に向っているみたいだぞっ!」
「なんだって?!」
二人の間の空気は一変し、目を見開いてお互いを見る。
セレスティアは訴える。
「急いで戻らなければっ!」
連れて行け、と。
王女が王都に戻れば、暗殺者が混乱に乗じて事に及ぶ可能性は高い。
動転しているのか、王女はそこまで考えられてはいないようだ。
先ほどまでのしたたかさや持ち前の冷静さは失われていた。
「ちょっと待って!今戻ったら殺されに行くようなものだぞ!」
「ですが、民が危険なのです!放ってはおけません」
「落ち着けっ。セレスティアが行ったところでどうなるものでもないだろう」
「それでも、民の傍にはいられます!」
「あー、もうっ!」
これが演技だとは思えず、深く考えずに浩介はセレスティアを信じることにした。
もしセレスティアの身に危険が迫れば、彼女の意に反してでも強引に逃がせば良い。
王都の件の解決に必要なキーパーソンを失うわけにはいかない。
「それでは様子を見に行くとしましょうか、お姫様」
軽口を叩いてすぐさま宝石を一撫で。
宿の中を移動する時間も惜しんで、セレスティアを抱えて窓から飛び降りて王都へ向かう。
走りながらヒュドラへの対応を考えた。
基本、自衛隊は国家間の問題に発展しそうな事件に介入しない。
それが異世界でも同じだと断言できないが、日本も余計な問題を抱えたくないはず。
だが、ヒュドラの処理はゴースト退治と何ら変わりがない。
もし浩介の手に負えないようであれば、自衛隊に助力を請うても問題はないだろう。
先んじて、ヒュドラの性質がギリシャ神話と同一か確認しなければならない。
「なぁ、ヒュドラってどんなヤツなんだ?」
「とても巨大で、その姿は一つの城と同等。さらに周囲に猛毒をまき散らし、たくさんの首を持つ大蛇と言われています」
ここまでは地球の神話と大差はないようだ。
「わかった。じゃあ、これまではどうやって倒してきたの?」
「討伐できた者は一人も、いえ討伐出来た国はありません」
「え、じゃあ今まで野放しで、実は何匹もいたりするってこと?」
「どうでしょうか。言い伝えによると、数百年前に現れたヒュドラは世界を荒らすだけ荒らしたあとどこかへ去ったとありますので。ですから、今回出現したものがその個体かどうかも分かりません」
これでは倒し方が分からない。
ギリシャ神話よろしく、切った首を焼いて石で押しつぶすしかないというのだろうか。
いくら身体強化できるとはいえ、巨岩を抱えられるほど都合の良いスーパーマンになってはいない。と思う。
加えて毒に対する耐性もないので、安易に近づけない。
どう考えても遠間から攻撃するしかないのだが、浩介にはその手段がない。
結論、浩介にはどうする事も出来ない。
「確認したいことがあるんだけど、首って再生する?」
「そのように伝わっていますが、どうしてそれを?」
「ここまで同じだと、もしかしたら神話のヒュドラって元はこの世界の?何かがきっかけで地球に伝わったのか……?」
ロマンあふれる空想はそこで止め、自衛隊に協力を要請すべく外套の内ポケットからイヤホン型の無線機を取り出し、通話ボタンを押す。
「こちら適正者の辻本です。至急、芳賀2佐に伝えたい事があります。中継お願いできますか?」
「こちらブラックゲート通信中継所。了解。通信を切って暫し待機していてください。オワリ」
通話ボタンを離し、芳賀からの連絡を待つ。
セレスティアが不思議そうに問いかけてきた。
「誰かいるのですか?」
「いや、これはここからずっと遠くにいる人と話せる道具なんだよ」
「そんな便利なものがあるのですか?!とても信じられません……」
「まぁ、そうだろうねぇ」
このような緊張感の欠片もない会話は、イヤホンから聞こえてきた男性の声によってすぐに打ち切られた。
「芳賀だ。何があった?」
「先ほどレイジットの町で、怪物が王都に向かっているとの情報が入りました。今、確認のため現場に向かってますが、応援をお願いできますか?」
「すまないが、確認がされない限り動くことはできない。が、出撃準備は整えておく。敵の概要を教えてくれ」
「体は城と同じ大きさで首がたくさんあるらしいです。口から火の玉と毒の息を吐くそうです。さらに、首は切っても再生するとか」
「まるでヒュドラだな」
「まったくです。っていうかこの世界でも同じ呼び名ですね」
「……そうか。再生する首についてはこちらで対策を講じる。部隊が到着するまで無茶はしないように」
「わかりました。それではお願いします」
「ああ。敵の実在が確認出来たら連絡してくれ。オワリ」
まだヒュドラの存在はどこかファンタジーじみていて信じ切れていない部分もあるが、町の様子やセレスティアを見れば、少なくとも全くの虚言妄動ではないのかもとは思う。
それに、王国がギルドにヒュドラ討伐依頼を出していたというのもある。
神話上の怪物の名を冠する生物についての外見や特徴はセレスティアから聞けた。
あとは実際に見て答え合わせ。
セレスティアが話した通りなのか、それとも盛られた内容だったのか。
そんな事を考えているうちに王都の城壁が見えてきた。
「西の森って、ここからだとどこら辺にある?」
「左の方角です。レイジットまでの距離とほぼ変わりません」
「じゃあそっちに行くけど、いい?」
「はい、お願いします」
セレスティアの差した方向へ進路変更する。
数分走った頃、聴覚強化をしていない浩介とセレスティアの耳に地鳴りが響いてきた。
異変に立ち止まり、二人は音のする方をじっと見つめる。
地鳴りはどんどん音を大きくし、巨大な何かの接近を否が応にも感じさせる。
見つめる遠くで砂埃が舞うのが見えると同時に、その中に巨大な何かが見えた。
「あれが……」
「ヒュドラ……」
巨大なシルエットは徐々に輪郭を明確にして、浩介たちに見せつけた。
巨大な胴体に九つの首。
ギリシャ神話の怪物が、ここに現れた。




