#6_メイドバー
平日の夜。
こじんまりとした店内は煙草の匂いが滲みているようで、開店直後でも微かに香る。
照明は蛍光灯を使用しており、LEDに慣れた目には店内は薄暗く見えるが、バーという空間ではそれが雰囲気に合っている。
座席は四人掛けのテーブル席が二つと、カウンター席が四人分。カウンター席に腰掛けた浩介と葉月が今日初めての客だった。
カウンター奥の棚には様々な種類の酒が綺麗に並べられていた。普段は酒を呑まない浩介でも仕事するうえで見たことのある銘柄はあったが、大半は初めて目にする。
手元のグラスを満たしてるカルーアミルクを見つめながら、隣に座るスーツ姿の葉月に問いかける。
「なぁ、どうしてメイドさんがバーテンしてんの?」
そのメイド、黒を基調としたエプロンに太腿近くまで短くされたスカート、上半身は鎖骨まで露にするほど開いたタイプのメイド服を着ていた。
メイドが浩介に向ってにこりと微笑む。
年齢が特定出来ない程の不思議な外見で、しかも美人である。が、如何せん胸のラインが強調されているので目のやり場に困る。
それを悟られないよう、兄の威厳を保つための戦いが始まった。
楊貴妃という赤い色をしたカクテルを口にする前に葉月は、鳩が豆鉄砲食ったような顔で理性と格闘している浩介に聞き返した。
「え?こういうお店、好きじゃないの?」
「自慢じゃないけど、俺はメイド喫茶は苦手な人間だ。知らなかった?」
「知らないよ。あたしの知ってるお兄って、ゲームしてアニメ見てゲームのイベント行くオタクだから」
「間違ってないな」
「でしょ?そういう人ってメイド喫茶行ったりコスプレイヤーの写真撮ったりがイコールで繋がってるんだけど」
「偏見だよそれはっ」
目の前にそのメイドがいるのに、つい反射的に言ってしまった。
悪口ではないのだが、どうにもメイドを否定したような気持ちになってしまい、ばつが悪くなった。
その様子を知って、メイドが会話に加わった。
「わかりますよ、ご主人様の気持ち。私も実はメイド喫茶は少し合わないので、落ち着いてお給仕できるバーを選びましたから」
「え、違いがあるの?」
思わぬ所からの思いもよらぬ言葉に、浩介よりも先に葉月が食いついた。
メイドは朗らかに微笑んで説明する。
「ありますよ。メイド喫茶は踊ったり歌ったりオムライスに魔法をかけますけど、バーはそういうアイドルみたいなことしなくても生きていけるので」
「なるほどぉ、確かに言われてみればそうかも。バーの人がステージに立つなんてあんまり見たことないし、うん」
「同じメイドでも区分というか、住み分けがあるんですね」
「当店はチェキくらいですね、メイド喫茶と同じサービスは。あとは皆さんにお給仕して、一緒にお話しさせて頂くことが全てです」
「それじゃあ、ほぼ普通のバーと変わりなくて、違うのは衣装だけ?」
「というか葉月、お前なんでタメ口よ?」
「いえいえ構いませんよ。ご主人様もお疲れのない言葉でお話しください。そうですね、違うのはそれとご主人様とお嬢様へお給仕しているという意識、くらいでしょうか」
二人の不躾な質問にも笑顔で答える。それは話し相手が安心感を覚える自然な笑顔と声色だった。
カルーアミルクを一口飲むと、それを見届けたかのようなタイミングでメイドが話しかける。
「お二人はご兄妹、なんです、よね?」
「そうですよ」
「趣味がアクティブとインドアで正反対ですけどねー」
「凄く仲が良いですね。こうやって一緒にお店に来られるくらいですし、知らないと恋人同士と勘違いしてしまいそうですよね」
「あー、一回あったな」
「あったねぇ」
浩介は若干顔を歪ませ、一方で葉月は懐かしむように頷いた。
ネガティブな反応を見せた浩介にメイドが少し詰め寄る。
「なんでちょっとイヤそうな顔するんですかっ。仲が良いのは良い事じゃないですか」
「や、それはそうですけど。さすがに妹を彼女と勘違いされるのはあまり居心地の良いものじゃないんですよ」
「そう?あたしは別に気にならないけど。あ、別に禁断の愛とかないから安心して」
それからしばらく、こういった当たり障りのない会話を続けていた。
時刻が二十一時を過ぎた頃、からんころんと入口のベルが鳴って重たいドアが開いた。浩介と葉月以外の客だ。
メイドが来店した人物を確認すると、おかえりなさいませ、という店のコンセプト通りの出迎え方をした。
「どうもどうも!お好きな席へ。何にしますか?」
「とりあえず、生を」
少し枯れ気味の声で生ビールを頼み、浩介と席を一つ分空けたカウンターへ腰を下ろした。
紺色のスーツのボタンをはずしてラフにしている四十代の男性。常連客らしく、会話の中でメイドは男を名前で呼んでいた。
客が増えればメイドはそちらへ話しかけることも多くなり、その間は兄妹で話をした。
「お前ってこういう店、メイド喫茶とかメイドバーとかによく行くのか?」
「まさか。普段は普通のイケおじがお酒作ってるバーとか居酒屋だよ。今日はお兄と行くから、ちょっと調べた」
「そうか。けど残念ながら、俺の好みを把握しきれてなかったみたいだな」
「世の中間違ってる」
「いやいや?全オタクがメイド喫茶大好きとか決めつけるの安直過ぎだからな?」
「くーやーしーいー」
「でも、まぁ調べてくれた事は感謝する」
「ん」
その時、常連客とメイドの会話の中に、浩介がよく知ってる単語が耳に入って来た。
「でさー、ナズナちゃん知ってるでしょ、俺の会社がASC作ってるの」
「ASC……ああ、アークセイバーズですね。ええ、ええ。存じておりますとも。何かあったんですか?」
隣の男は程よく酔いが回ったようで、入店した時より声が少し大きくなっている。
葉月は浩介の興味がそちらに向いたので、一緒に耳を傾ける。
「これ本当は言っちゃダメなんだけどね。あ、そこのお兄さんたちも内緒ね。俺のクビ飛んじゃうから」
浩介が興味を示したのが分かったようで、自然と会話に加わらせる。
人の良さそうな男の言葉に応じながら、昨日の夜に葉月が言っていた事を思い出していた。
気さくな人は絶対にいるから。
本当にその通りだった。
この店の常連になれば、色んな人たちと繋がれるかもしれない。そう思いながら、興味津々で男の話の続きを待った。
「もちろん私も言外しませんよ。それで?」
「俺の部署って経理もやってんだけど、ちょっとその内訳がおかしいのよ」
「ということは、ゲーム開発に必要なお金の収支がおかしいということですか?」
「いや、それ間違ってたら大問題でしょ。脱税とか横領とか洒落になんないし」
「じゃあ、何がおかしいんですか?」
「これ、ほんとに内緒よ?本当はもしかしたら何でもないのかもしれないけど。俺もよくわかってないし」
「気になる!何だろう?」
こそこそ話というのはいくつになってもワクワクするようで、メイドは少し砕けた姿勢で訊く。
これから核心だと言わんばかりに男がメイドの方へ少し身を乗り出し、浩介たちにも顔を向けると少しだけ声を潜める。
「何がおかしいかっていうとな、一部の開発費の出どころなんだよ」
「つまり、スポンサーですか?でも、それなら何もおかしくはないんじゃないですか?」
「いや、その一部のお金を出してるトコは公にスポンサーですって公表してるわけじゃあないし、どういう理由で出資しているのか聞いたこともない」
「社内の人で分かる人はいないんですか?」
「開発チームにいるかもしれないが、あそこは修羅の国だからな。俺ら会計が踏み込んだら、ヤツらの視線で背筋が凍っちまう」
「課長とか部長クラスには聞けないんですか?」
「もちろん聞いてみたさ。だけど、契約に関する情報は俺らの部署に下りてきてないんだと」
「うーん、謎ですね。そのスポンサーってお聞きしても大丈夫ですか?」
男は乗り出していた体を椅子へ落ち着かせると、声のトーンを戻して大きく息を吐きながら言った。
「これなー!こればっかりは言っていいものか迷っちゃうんだよなー」
「そんなにヤバイとこなんですか?」
「まあ、普通のゲーム開発では有り得んわなぁ。それが公表されたらちょっとしたニュースになるレベルよ。っていうか炎上案件だろうなぁ」
「き、気になるー!っていうか、ここまでの話じゃ、まだ内緒話っていうレベルじゃないですよ」
「うぇっ?そう?うーん、確かにそうなの?かもなぁ」
メイドはなかなかのやり手のようだ。程よく相手の心に入り込み、上手く話を引き出そうとする。
それは本人が意識していないのかもしれないが、おそらく職業柄で身に付けた自然に出てくるスキルなのだろう。多分に美しい外見と社交性が備わっている事も、要因の一つかもしれない。
ともかく、相手を嫌な気分にすることなく話を聞き出そうとしている。……今回はただ酔っぱらってる隙を突いているようにしか見えないが。
「ここまで話しておいておあずけとか、すごいモヤりますよ。ねぇご主人様方?」
ここで俺に振るか、と浩介は思ったが口には出さない。
その代わりに、男の話を聞きながら考えていた事を言ってみた。
「もしかして、スポンサーって軍関係ですか?最近だと、デンマークがゲーマーを軍事採用して成果を上げたらしいですし、アメリカもゲーマーの能力を軍事利用できないか試してるってネットニュースになってましたから」
男は目を見開き、浩介に勢いよく人差し指を向けた。
「え、何で知ってるの!?もしかしてウチの会社の上役だったりします?」
「すごい!当たった!」
メイドも驚嘆して、声が少しばかり大きくなった。
隣に座る葉月はというと、まぁオタクだから詳しいよね、といった風でグラスの赤い液体を一口。
気恥ずかしさを隠しながら、自慢げにならないように浩介は再度理由を話す。
「ただの一般人ですよ。普通じゃないスポンサーとゲームってことで、以前に見た記事を思い出しただけです」
「いやいやご主人様、ご謙遜を」
「まあ軍じゃなくて、正確には防衛省なんだけどな。まさか当てられるとは思ってもみなかったなぁ」
二人と会話しながら、さらに思い至る事があった。
それを男に聞いてみる。
「でも軍事利用されるゲーマーの大半は、FPSや戦略シミュレーションを得意としている人たちなんですけど、アークセイバーズってアクションゲームですよね?」
「そうだな。反射神経とかリズム感が必要になるゲームだ。なるほど、お兄さんの疑問はそこか」
「と、言いますと?」
男は浩介の言い分を察したらしいが、メイドの方はさっぱり要領を得ないようで腕を組んで首を傾げた。
そんなメイドを見て、男と浩介は目で言葉を交わした。
どっちが説明するか。
ここは常連客である男に説明してもらうべきと思い、話しを促すようにグラスに口を付けた。
それを見た男はすぐにメイドに説明を始めた。
「つまりだな、FPSなら空間把握能力と現場での判断、戦略ゲームなら状況判断と戦略的な采配が関係するけど、アクションゲームに必須な反射神経とリズム感は戦争では何の役にも立たないという事なんだわ」
「言われてみると確かに。畑が違う、ってことですね?」
「さすがナズナちゃん、理解が早い。って事だから、そこのお兄さんの疑問が出てくるんだよねぇ」
葉月以外の面子が数秒考えこむが、各々で何か思いつくわけはないと理解している。
結論に至るまでに必要な材料があまりに不足している。
が、このような状況に慣れているのか、メイドが別の切り口から会話を広げた。
「それにしてもご主人様、よくご存知ですね。ミリタリー系にお詳しいんですか?」
「全然詳しくないですよ。むしろ武器や戦闘機の名前も一つ二つしか知らないくらいです。本当にたまたま知ってただけですよ」
「まさかウチの会社の幹部って事はないですよね」
「まさか。兄に会社を任せるくらいなら自己破産したほうが懸命ですって」
唐突な妹のフレンドリーファイアに、首がねじ切れるかと思うほど俊敏に振り返った。
妹の軽口のおかげで空気が少し和み、会話はその後は二転三転してついには全く関係ない話で盛り上がる。
その間に店内には二人の客が増えて、賑やかさを増していた。
しかし、人が増えたからと言って誰一人孤独に酒を飲む事にはならず、客同士でも会話が弾んでいた。
ここに来た始めこそ、緊張してしまうかもしれないと不安になるくらいだったのが、今は自然に会話に加わっている。
コンビニという接客業をしているものの、プライベートと仕事は別物。自分には社交性などないと思っていたので、知らない自分を発見したような気持ちだった。
頭の片隅でそんな事を思いながら過ごしていると、機を窺っていたのか浩介のグラスが空になったのを見た葉月が話しかけてきた。
「そろそろ、いい時間になってるよ。帰ろ」
「ん?」
スマホの時計を確認すると、もう0時を回る少し前だった。
本来はここまで長居するつもりなどなく、長くても二十二時前後で切り上げることになるだろうと思っていた。
どうやら興が乗り過ぎて、時間を忘れてしまっていたようだ。
自身は凄く楽しかったが葉月はどうだっただろうか、興味のない話ばかりでつまらなくはなかっただろうかと心配になっていたが、ひとまずは手早く会計を済ませて店を後にした。