#55_絆創膏
森の中を移動して間もなく、王女は小さな悲鳴を上げた。
「いつっ……」
振り向くと、王女が踵をさすっている。
心配するように眉間を狭める。
「ちょっと靴脱いで見せてください……あぁ靴擦れですね」
踵は赤くなり皮が剥けているが、幸い出血には至っていない。
ここから森を抜けるまでまだ大分ある。
顎に指を当てて思案する。
「今はまだ軽くで済んでますが、先はまだ長い。このまま歩いて森を抜けるのは無理ですね」
「だ、大丈夫です。これくらい何ともありません!さあ、先を急ぎましょう」
そう言ってから王女は歩き出すも、傷を庇うように歩くためバランスが不安定になる。
そんな歩き方では足場の悪い森の踏破に何日かかるか。
心意気は買うが、それだけではどうにもならない事は存在する。
とりあえず王女を立ち止まらせ、浩介は傷の処置をするために麻袋から消毒薬と絆創膏を取り出しながら言う。
「少し滲みますが、我慢してくださいね」
「え、なんですか?」
消毒液がプシューと咆哮をあげて、赤く腫れた箇所に霧のブレスを吐きかける。
「んあああああああああああっ!」
初めて経験する得体の知れない痛みに飛び上がり、四つん這いになりお尻を浩介に向ける。
「な、なにをするのですかっ!まさか、実は貴方も私の命を狙っていたのですか!」
「落ち着いてください、ただ傷を手当てしているだけですよ。あとは絆創膏を張ってお終いですので、じっとしていてください」
「ま、待ちなさい!そう言って本当は私を騙す気なのでしょう!その手には乗りまっ、あああああっ!」
黙らせるために余計目に消毒液を噴霧した。
「はいはい、そうかもしれませんねー」
四つん這いのまま浩介に食って掛かる王女の姿は、どこか間抜けな絵面であるが、彼女は至って真剣そのものである。
浩介はそれを適当に流して王女の足首を掴むと、絆創膏を張った。
「……っと、はい、終わりましたよ」
「はあ、はあ、はあ……ふぇ?」
結局、何をされたのか理解が追い付かないまま踵に手を当てる。
傷口を覆う何か、あの痛みの正体。
疑問しかなかった。
「これは……?私に、何をしたのですか?」
「絆創膏。傷口を保護する物です。で、滲みる液体は消毒薬。ばい菌が入って化膿したら大変ですからね」
「ばい、きん?」
小首を傾げる王女。
その存在を確認できる技術はまだないか、ただ王女が知らないだけか。
「簡単に言うとバイ菌というのは、不衛生な場所を好む目に見えない小さな生き物の事です。それが傷口に入ると傷が治らなかったり熱が出たり、最悪命を落とすケースもありますが、滲みる薬がそれを防いでくれます」
「目に見えない生き物?だったら、何故それが存在しているのだと分かるのですか?」
「とある道具を使えば分かるのですが……そういった事も落ち着いてから話しましょう。ここでは喉も乾いてしまいますので」
「それもそうですね」
「ですが、やはりその足では……うん」
浩介は呟くように言ったあと、誰へともなく頷いた。
「私に提案があります」
「提案?」
その無垢な瞳に、森へ入ってからずっと思っていたことを告白した。
「やっぱり、お姫様抱っこしましょう」
「ぅえ!」
とても王女の口から出ると思えない声で返された。
浩介を少し睨んでから地面に目を向け、歯切れの悪い言葉を小声で言う。
「あ、あの時は突然でどうしようもなかったし、そのおかげでここまで来れたのは理解できるのですが、今は、その、私が耐えればそれで済むのですからその必要性に疑問を感じている反面、
確かに私が足を引っ張っているのも事実ですけれど、しかし他に解決方法を模索するのも非常に重要な事だと、そうは思いま……きゃあ!」
「まったく、何をぶつぶつ言っているのやら。じゃあ、行きますよ」
「あああああっ!」
問答無用に王女をお姫様抱っこして、森の中を疾走し始めた。
行きの時と同じく前面にバリアを張って、木の枝や葉による傷を防ぐ。
前方から猛スピードで迫って来る植物や動物を機敏に避ける。
さながら、ジェットコースター。
「きゃああああっ!」
細かな障害物は悉くバリアによって弾かれているのだが、それを知らない王女は浩介の首に腕を回してヒシとしがみ付く。
女性に抱き着かれる事に全く慣れていないので内心で少し鼻の下が伸びた。
顔に出ないよう努めて煩悩を振り払い、森の中を駆け抜ける。
鬱蒼と茂っている森の中を疾駆していると、やがて目の前が開けて広大な草原が現れた。森を抜けたのである。
そこで止まり、王女を下ろす。
「し、死ぬかと思いました……」
「確か、ここから小さくレイジットが見えるはず……あれだ」
遠くにレイジットの町を視認すると、依然真っ青な顔をしている王女へ向き直る。
「あそこに行ってまず宿を取って、それからお互いの事情を整理しましょう」
「そ、そうですね。……一休みしたいです……」
「う、うん、お疲れ様です。あともう少しなので頑張ってください」
「……貴方は淑女の扱い方を、もっと勉強するべきだと思います」
「面目ない……」
ジト目と批難を素直に受け止める。
そこで改めて王女の煌びやかな出で立ちを見て、ふと懸念すべきことが思い浮かんで呟く。
「しかし、その恰好のまま町に入れば目立ちすぎる。これでは自分で居場所を教えてるも同然だな……」
「で、ですが、私は今はこれしか持っていません」
「……この外套を羽織ってください。私みたいにフードを深く被れば顔は隠せますし」
「え、ええ」
フードをはぐって外套を王女に渡した。
そのとき初めて浩介の顔を見た王女は、口を半開きにして目をしばたたかせていた。
「(え、俺、そんなブサイクだった?)」
不安に駆られた。
それが顔にも出たようで、王女は首を振る。
「あ、いえ、ごめんなさい。その、何と申せば良いのでしょうか……私と同じ年の頃だと思っていたものですので、少々驚いてしまいました」
安心した。
まあ、姫のピンチに颯爽と現れて助け出すのはイケメンの役割だしな。
逆にロマンスを期待させて申し訳ない。
「そっか。まぁでも、あながち間違ってないかもしれませんよ。言動や思考がまだまだ幼いって家族によく言われますから」
「そ、そのような事はっ!」
王女は気まずいように慌てて否定する。
無論、浩介はそんな事で気を悪くする人間ではない。だが、何も考えずに言った言葉が多少の嫌味を含みかねない事に気が付いた。
軽く笑ってみせ、気にするようなことは何もないと伝える。
「すみません、本当に他意はなくて。私自身、もっと大人にならなきゃなって思ってますし。でもまぁ、王女さまが私に気を遣うのはそれはそれで貴重な経験ですね」
「貴方という人は……おかしな人ですね。これまで出会ったどの人とも違います」
「そうですか?こんなのそこら中にいますよ」
お互いに自然と笑いがこみ上げた。
「こんなに私に気安くしてくれたのは貴方が初めてです。宜しければ、これからは普段通りの言葉で接していただけませんか?」
「……不敬罪に問いません?」
「まさか。そのような事をして私に一体何の得があるのです?それに、これから街で過ごすのです。年上の男性が年下の女性に畏まった言葉を遣っているのを見て、住民はどうお思いになりますか?」
王女の言い分は筋が通っている。
むしろ、置かれている状況を考えれば王女の話は至極当然のことだ。
「……仰る通りで。王女さまのお墨付きなら遠慮はいらないな」
かといって、敬意を払わなくても良いかと言えば、それは違う。
場合によっては、国の為に自らを犠牲にすることも望まれている一族の系譜。
一般人がその重責を負わされた側の心情を理解することなど到底適わない。
敬意を払うには十分すぎる。
「そういえば、まだ名前を言ってなかったな。俺は浩介、辻本浩介」
「コウスケ……初めて耳にする響きですね。私はセレスティア・イーリス・アレイクシオン。今後はセレスティアとお呼びください」
「オッケー。それじゃあセレスティア、これからよろしく」
「お、おっけー?いえ、それよりもまだお礼を言っていませんでしたね。命を助けていただいた事、本当に感謝しています。それと、こちらこそ宜しくお願いいたします」
浩介が差し出した手にセレスティアは応えた。




