#43_異世界の村
「さすがですな、リディン団長。これで異教に奔った愚者も目を覚ました事でしょう」
異世界の、とある海沿いの小国。
砂浜から馬で一日も掛からない距離にある首都の宮殿内。
マント付の煌びやかな鎧に身と包んだ五人のイケメン騎士を前に、一人の神官が満面の笑みで称賛していた。
リディンと呼ばれた男はその言葉を受けても無感動だった。
「我々はただ下地を整えたまで。民らがマリアス教に改宗するか否かはあなた方次第だ」
「そ、その通りですが」
笑みが見る見るうちに大粒の汗でも浮かびそうな苦笑いに変わった。
悪くなった空気を払おうと、リディンの隣にいた騎士が口を出す。
「まあまあ。で、とりあえずは私たちの仕事はこれで終わりですから、本国に戻らせていただきますね」
「え、ええ。戻られましたら、大司教様に宣教師を派遣していただくようお願いします」
「承知しました。それでは、これで」
そう言って五人の騎士は宮殿を去った。
残った神官は緊張の糸を切って、大きく息を漏らす。
「あれが聖マリアス国を常勝たらしめている聖騎士たち……彼らさえいなければ、私の国は……」
彼の国は聖マリアス国との紛争で敗北し、強制的にマリアス教に入信させられた。
兵士の総数は脆弱なれど、圧倒的な力で碁盤をひっくり返してきた聖騎士たち。
彼らの存在は、戦が終わった後の反乱分子の抑制にもなっていた。
そうやって彼の国は、マリアス教を国教としない国に聖戦という名の侵略戦争を仕掛け、次々と支配していた。
そして、ここ海沿いの小国もたった三日で落とされた。
この国も半年と経たずに、これまでの敗戦国と同様に支配されていくだろう。
敵だった国の駒とならざるを得なかった神官の彼は、この国の未来に同情するのだった。
理津が戻ると、浩介を除く全員が各々が今後どの仕事をしていくのか報告しあった。
父親は環境調査、母親は炊事洗濯掃除、葉月は近隣住民との交渉補佐。
理津は、母親と同じ仕事を選んだ。
その時すでに日没も間近に迫っていたので、芳賀への報告は明日にする。
結局、なぜ理津も雑務をするのかと誰一人として口にはしなかった。
翌日の朝の六時。
少し離れた場所から起床ラッパが聞こえた。
神経が高ぶってうまく寝付けなかった浩介は、一思いに身を起こして朝の身支度を済ます。
他の者も同じだったのか、家の中がざわめきだした。
全員が一緒に母親の作った朝食を平らげ、外の様子を窺う。
既に多くの自衛官が働いている姿が視界に入る。
「やはり、自衛隊の朝は早いな。この感じだと、昨日の話を今から伝えに言っても問題ないだろう」
その父親の一言に異を唱える者はいない。
元居た世界で生活していた時とは違い、電波や金銭の使い道がないここでは家の戸締りさえしっかりしていれば、貴重品や携帯電話を持って行く必要はない。
ここにいるのは自衛官のみなので、もし盗難事件が発生すれば犯人の洗い出しは容易だ。
執務室のドアを父親がノックをする。
「朝早くに申し訳ありません、辻本です」
数秒待つと、ドアが開いて芳賀が姿を見せる。
「おはようございます。すみません、もしかして外、うるさかったですか?」
少し申し訳なさそうな顔をして、並ぶ顔を見渡した。
しかし、理津だけは俯いて芳賀から顔を逸らしていた。
「いえ、とんでもない。気が張って眠れなかっただけですよ」
「そうですか。早くこの環境に慣れれば良いですね。それで、どうされましたか?」
芳賀は表情を和らげ、用向きを尋ねた。
「ここでの仕事の話が纏まりましたので、その事をお伝えしようと」
「そうでしたか、わかりました。中へお入りください」
一行を中へ入れると、芳賀は人数分のパイプ椅子を出して腰を掛けるよう促す。
その後、自らも事務机の椅子に座って話を切り出した。
「では、お聞かせください」
父親が話を進め、その内容を芳賀はメモで書き留める。
一通り話を聞いた芳賀は机の中を探ると、A4用紙数枚をホチキスで束ねたものを人数分取り出して渡した。
「それぞれの細かな職務内容が記載されています。明日からはそれに従って仕事を始めてください」
「はい、よろしくお願いします」
「今日はこの資料をお読みいただき、内容を把握して明日に備えておいてください。他に何かありますか?」
沈黙が流れて話は終わりかと思われた時、浩介が声を上げた。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい。何でしょう」
「私もアルス村に行ってみたいんですけど、いいですか?」
全く関係のない話に芳賀は眉を上げた。
それは家族も同じで、短く息を吸う音が聞こえる。
それに構わず浩介は続けた。
「ただの好奇心なんですが、もし都合が悪かったりこの世界の人との接触が禁止されているなら、もちろん無理にとは言いません。駄目、ですか?」
「ふむ……」
芳賀は指で顎を摘まんで、考える。
そのまま数秒が経って諦めが過った時、答えが返ってきた。
「少し待っていてください。上の者に確認を取ります」
言い終えると素早く無線を手に取り、どこかと連絡をとる。
ここに来た直後に、異世界と地球間は直接の通信が不可能であると言われたことを思い出す。
ブラックゲートにいる通信士を介する必要があり、ひと手間がかかってしまう。
ゆえに返答が返ってくるのに多少の時間を要する。
「異なる世界間での通信が可能になれば、色々と便利なのですがね……」
苦笑いをしながら、芳賀は声を零す。
じっと無線機の無骨な姿を見て待ちぼうけて、数分が経過した。
芳賀が付けているイヤホン型の受信機に通信が入り、応答した。
「こちら芳賀2佐。…………了解。おわり」
無線を切ると、芳賀は浩介に向ってニコリと笑いかけた。
「危険区域を除いた街や村へ行く許可は下りました。無論、我々と一緒というのが条件ですが」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで感謝を伝えた。
楽しみで仕方ない浩介は、焦れるように芳賀に聞いた。
「それで、いつ行けますか?」
「明日、アルス村の様子を見に数名向かわせる予定になっていますので、その時に一緒に行くと良いでしょう。それと葉月さん、貴方もそれに同行してください。早速、仕事です」
「は、はい、頑張ります」
そうして浩介たちは執務室を後にした。
それからは明日からの仕事に備えて、各々資料を読んだり現場を見学しに行った。
だが、浩介だけはそういった仕事はしなくても良い。
では何をすべきかと考えると、浩介の仕事は戦う事だ。持て余す力を一日でも早く制御できるように修練に励んだ。
明くる日。
全員が早々に朝食を済ますと、それぞれの仕事の為に出かけて行った。
浩介と葉月は数名の自衛官と共に、高機動車でアルス村へ出発した。
どんな村なのか、この世界の人はどんな姿をしているのか、どんな文化を持っているのかと話に華を咲かせた。
道中、昨日の作戦区域の横を通った。
そこには少し地面が抉れた箇所がいくつか見え、ビーストの血痕と思しき赤黒い染みが残っている。
それを見た時、二人は口を閉じて神妙な面持ちになった。
それまで黙って車を運転していた交渉役の自衛官が、わざと明るい声で二人に話しかけた。
「もうすぐアルス村に到着です。お二人を村長に紹介しますが、なにぶん文化も言葉も違いますので、今日はただどんな村なのか見るに止めます」
「やっぱり、言葉が違うんですね。長峰さん、翻訳はどのくらい進んでいますか?」
交渉役の補佐を仕事に選んだ葉月は、早速意欲的な姿勢を見せる。
それを好ましく思った長峰と呼ばれた自衛官は声を高くしながらも、苦笑いで答える。
「実はまだ半分もいってるか分からないんです。向こうの人からしたら、私たちの言葉はカタコトみたいに聞こえているでしょうね。特に発音の仕方や単語の組み合わせが独特で、研究は難航しています。
交渉役を仰せつかっている私も、お恥ずかしながらメモ帳を見ながら交流しているのが現状です」
「そうなんですね。会話をスマホに録音しても大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません。私共もそうさせてもらっていますので。後で単語帳もコピーしてお渡しします」
「助かります」
仕事モードの葉月を見ながら情報を整理していく。
まず、言葉が違う。
そして、この世界にも村長という概念が存在している。
何かあるたびに、自衛隊とアルス村の村長が会談しているらしい。
自衛隊は少なくとも悪印象を持たれていない様子。
そこまで考えて浩介は思った。
「(って、こんな事を俺が考えても何にもなりゃしないんだけどね)」
一瞬で頭を白紙に戻し、異世界の人々の風貌に思いを馳せる。
それから間もなくアルス村の入口に到着し、車を降りて徒歩に切り替える。
人の背丈よりも少し高い丸太で作られた観音開きの門は、村の内側へ向かって開かれていた。
それを眺め、嘆息した。
「うわぁ……すげぇ、アニメの世界みたいだ」
「お兄のオタクぶり、全くブレないよね」
「それでは村に入りましょう。村長の家に向かいますので、付いてきてください」
長峰は勝手知ったるアルス村といった風に、迷いない足取りで歩いていく。
後を追いながら村の中を見渡す。
道という道はなく、家々の間隔で道を浮かび上がらせている。
基本的にこの村の家は、ログハウスのように丸太を組んで建てられていた。
この村の母子が長峰の傍を通った際、子供が長峰に向って手を振ってきた。
長峰も手を振り返し、親は笑顔で会釈して通り過ぎて行った。
「こういうのって、どこの世界も変わらないもんだなぁ」
「何が?」
「いや、子供が屈託なく接してくるのってさ。コンビニでもよくあったから、それを思い出したよ」
「そっか」
その先を話すように、長峰が言葉を継ぎ足す。
「そうですね。ここは異世界ですが、私たちとどこが違うのかと問われると、言葉だけなのだと思います。話し合えば分かり合えますし、実際、これまで幾度も助け合って来れました」
「という事は、関係はかなり良好なんですね」
「ええ、そうですね」
長峰の言葉に嘘はないだろう。
とはいえ、昨日の戦いに参加したのは自衛隊と浩介のみで、この世界の住民による助力はなかった。
あんなバケモノが跋扈している世界でそれに対抗できていなければ、人間が生存できていられるわけがない。
となれば、自衛隊にバケモノ退治をさせている理由があるはず。
それは何かと考え始めた瞬間、村長の家にたどり着く。
「こちらが村長のご自宅です。お二人の出番は挨拶だけになるかと思いますが、私の判断で重要だと思った話は可能な限り通訳していきます」
「はい、よろしくお願いします」
葉月が長峰に軽く頭を下げるのを見てから、長峰は家の中へ向かって異世界のものらしき言葉で来訪を告げる。
長峰の発した言葉は、確かに葉月には聞いたことのないものなのだった。
一方、浩介の耳には、こう聞こえていた。
「村長、長峰、来た!」




