#4_コップ半分のイチゴオ・レ
「でさ、見た見た?公式の発表」
「見たよ。二秒で応募したわ」
「もう俺らが生きてる間にフルダイブできるんじゃね?ちょっと仕事辞める準備しとかないと」
「いやいや、気ぃ早すぎだろ」
「ごめん、まだ公式チェックしてないんだけど、何かあったの?」
今日の三人は、私が目覚めてから探索もせずに話ばかりしていた。
のど飴は何がなんやらという風で話に乗り切れてないが、男どもは興奮冷めやらぬといった感じ。
まだ何も知らされていない紅一点に説明が入る。
「今日メンテだったじゃん?それで公式のアップデート内容チェックしようとホームページに飛んだら、サイトトップにとんでもねぇ事が!」
「のど飴さん、ちょっと見てみて。絶対に目を疑うよ」
「ちょっと待って、確認してみる」
男どもはのど飴の反応を黙って待った。
その沈黙には、面白いリアクションを期待する楽しそうな雰囲気が感じられる。
確認している最中は言葉少なだったが、突然のど飴の大きな声がした。
「はああぁっ!?」
「見ましたね?」
「見てしまいましたね?」
「これ、本当なの?え、やばくない?わかんないけど、え、ちょっと待って。私も応募する」
「日本語おかしくなってる」
「そうそう、その反応が見たかった」
新しく知り得た情報とはこういうものだった。
一月後に控えるゲームスペース2025という大型イベントへの参加。
公式から、そこでとある試遊を行うと発表された。
フルダイブ型への移行を見据え、システム開発の途中経過の発表と同時に、その過程で作られた研究デバイスのテストプレイヤーを一般ユーザーから公募。
公式サイトには、現在開発中のデバイスを使用したPVもあった。
その動画には、直径5センチ程の銀色の筒が直径80メートル近くの円を作り、それが等間隔に設置された支柱により腰ほどの高さで支えられていた。
筒とパソコンはケーブルで繋がっている。
装置の全容を映し終えると、次は白と青でスタイリッシュにデザインされたゴーグルが映し出される。
それを男が被り、バッジのような物を衣服に留め、剣の柄のようなものを手にして円形の筒の中へ入った。
次にゴーグルの右側面がアップに映し出されると、そこには何かの印が刻まれていて、男は印に触れた。
すると、レンズが淡い青に輝き、アークセイバーズを開発しているゲーム会社の社章が映し出された。
剣の柄を持つ手元が映し出され、柄の底面である柄頭と呼ばれる部分に作られた窪みを押す。
柄頭の窪みと反対側の切羽が青く光った。
そこから画面は左右でニ分割される。
円形の筒のフィールド全体が観測できる位置からの映像と、ゴーグルが映し出す男の視界の映像だ。
一方は無機質な空間に設置された巨大な円筒の中で動く男、もう一方は、男の目線で映し出されるどこまでも広がる荒野。
円筒の中にいる男が右腕を前に突き出すと、荒野にいる男の右腕も前に突き出した。
円筒の中にいる男が歩き出すと、荒野にいる男も歩き出した。
円筒の中にいる男がジャンプすると、荒野にいる男もジャンプしたかのように視界上下に動いた。
どうやら、ゴーグルと現実では外観が違って見えているようだ。
そして、荒野の中ではその男は鉄の小手を装備していることから、ゴーグルの映像の中では鎧のようなものを纏っていると思われる。
動作チェックのようなものを軽く済ませると、荒野の中に黒い水溜まりが地面から沁みだすように出現し、何度か相対したデーモンへ変貌した。
今度は驚いたことに、円環の中にも寸分違わずデーモンが現れた。
それを待っていたかのように、男が喋った。
「武器変更」
マジシャンがトランプを広げるように、アイテムボックスが視界の下部に展開された。
どうやら所持している武器の一覧が表示されているようだ。
一呼吸分置いてから、また男は声を出した。
「ロングソード」
すると、ボックス内からロングソードのアイコンがオレンジ色に点滅し、それ以外が視界から落ちた。
瞬時に、二つの画面の中でただの柄だったものはロングソードに変化した。
円筒の中で男がデーモンへ向かって駆け出し、剣を振り下ろす寸前で映像は終わっている。
「これ、学校の体育館より広くないか?」
「下手するとグラウンド並みだと思うんですが」
「ともかく、試遊できる人数の制限がやば過ぎだと思うんだけど」
「応募した中から抽選で五十人だけとか、もはや宝くじ買った方がよくね?いや応募したけど」
「っていうか、気付いた?ただのVRゴーグルかと思ったけど、手使わずにUI使えてるのがやばくないか?」
「わっかる!音声認識だろうけど熱くない?」
「俺らのユートピア!」
会話は異様な盛り上がりを見せ、公開された情報はそれほどまでに彼らを歓喜させた。
「当選はほぼ無理だろうけど、面白そうだから普通に観客として見に行こうかな」
「お、行きますか?元よりゲースペの為に有給取ってたし、みんなで見ようぜぇっ!」
「二人とも行くんだ?」
「のど飴さんは今回見送る感じ?」
「行こうぜぇ、行こうぜぇ。単位落として留年してもいいから行こうぜぇ」
「いやだよ!留年とかしないよ!」
「無理にとは言わないけれど、行けそう?」
ハイネガーの控えめな誘いの言葉に、のど飴は微かにうなり声を上げる。
勉強の事ではなく他に気がかりな事もあるかの様子だが、少しだけ考えた末に答えを出した。
「うーん、実は行かないつもりだったけど、さすがにアレは気になっちゃったからなぁ」
「ということは、これはもう行くしか?」
前のめりで猫又が続きを促す。
「親に相談してみる。多分大丈夫だと思うけど」
「あら、親御さんから大事にされてる感じ?」
「もしかしたら旅費という問題かもしれない」
「え、二人ともなんで分かったの?怖いんだけど。ストーカー?」
「お気づきになられましたか」
「俺らたまに押し入れとかに入ってるから開けてみて」
「リアルに怖いわ!」
「俺もそう思う」
「そんな事する人間にはなりたくないねぇ」
この後は取り留めもない話をして解散した。
敵を討伐せずに終わる日など滅多になかったので、私は少々物足りない気持ちを抱えながら意識を絶たれた。
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辻本浩介はヘッドセットを脱いで机の横に掛けると、アークセイバーズ公式サイトを再び閲覧した。
気にかかった事があったのか、迷わずサイト内のあるページにたどり着く。
それは、応募要項の記載されたページだった。
「どうして当選者は当日、ゲームで使っているIDとパスワードが必要になるんだろう?外見は運営が用意したアバターじゃなくて、当選者のキャラを反映させるって事なのか?」
頬杖を突いて少し思案に耽るが、どんなに画面とにらめっこをしてもこれ以上の情報は出てこない。
考えても仕方がない、とあっさり思考を切り替えて席を立つ。
時計を見やると、時間は二十時に差し掛かろうとしていた。
いつもよりも早い解散で少し肩透かしを食らったような感じだが、それはそれとして。
スタイリッシュな動作で立ち上がって、廊下へ繋がるドアに手をかけた。
「漏れるッ!」
少し前から我慢していたらしく、階段を駆け降りる音がこじんまりとした一軒家に響く。
トイレに着き、ドアノブを捻るが鍵がかかっていて開かない。
「入ってまーす」
ドアの向こう側から若い女性の声が応答した。
浩介が聞き慣れたその声から、早く出ようという気配が感じられない。少し焦りを感じていた浩介はドアの向こうへ声を投げる。
「まだかかりそう?大惨事が間近に迫ってきている」
「おっけー」
その言葉を信じて、浩介は近くにあるリビングでドアが開くのを待つことにした。
付けっぱなしになっていたテレビに目を向けると、丁度コマーシャルの瞬間だった。
タイミング悪いなとは思ったが、部屋の時計を思い出すと得心がいった。番組と番組の間の、長いコマーシャルの時間である。
仕方がないので、それを見て尿意をごまかしながらトイレが空くのを待つ。
コマーシャルを見続けて一分程度が過ぎた時、水を流す音が聞こえたかと思うと音は大きく聞こえ、すぐに小さくなった。
トイレが空いた。
急ぎ足で廊下を歩くと、スリムで小柄な女性と出くわした。
目元は少し釣り目だがキツイ印象はなく、肩甲骨まで伸びている髪は黒く、毛先は緩やかなカーブを描いている。
テレビ番組を見ていて、コマーシャルの間にトイレに入っていたのだろう。
「お兄、またトイレ我慢してたの?」
「やんごとならぬ事情があったんだ。葉月もネトゲをやると分かるようになる」
「いや、やらんし」
「そうか、残念だ」
早く会話を終わらせた後、浩介は無事にトイレに間に合いミッションを完遂した。
すっきりした後、飲み物を取りにリビングと繋がっているキッチンへ向かい、冷蔵庫から1リットルのパックジュース、イチゴ・オレをコップに注いだ。
浩介は甘党である。
ソファでポテトチップスをつまみながらお笑い番組を見ていた葉月は、浩介の持つコップに目を向けた。
「お兄、また甘いの飲んでるの?」
「イチゴ・オレ、おいしいから」
「程々にしないと糖尿病になるよ。あとお腹出るよ」
「う……。そ、それは俺もわかってはいるんだけどな。でも、そういうお前だって、今ポテチ食べてるじゃん」
論点をすり替えようとした兄の言葉に若干苛立ち、口を尖らせて反論した。
「私はちゃんと自己管理してるんですー。仕事が休みの日だけって決めてるんですー。お兄みたいに毎日飲んだり食べたりしてないんだから」
「俺の妹とは思えないほど、しっかりしてるな……」
「大人は健康管理が自分で出来て当たり前。太る前に自制しないと後悔するよ?」
「ぬぅ……」
浩介はイチゴ・オレの入ったコップを眺めた。
妹にいいように言われて悔しくあったが、確かに浩介自身も頭の片隅では気にしていたことだった。
何より、純粋に兄を心配しての忠告だった為、心に響く。
捨てるか、飲むか。
今まで食べ物は余程のことがない限り残すことはなかった。
勿体ないというのもあるが、作ってくれた人に対する誠意という気持ちが強いかもしれない。それは家庭の料理でも加工食品でも分け隔てなく。
その性格が今、彼を非常に悩ませていた。
そして閃く。
「葉月さん、これ、いる?」
「いや、もう注いじゃったなら飲みなよ」
「……半分、いかが?」
「まったく、しょうがないなー」
コップをもう一つ用意して半分移した。
ソファに座る葉月の目の前にコップを差し出す。
「ありがと」
「いや、こちらこそ」
おすそ分けされた葉月の感謝。
浩介は、自分の体を心配してくれた事に対する感謝。