#35_課された使命
ベースやキャンプに着いて、全員が車から降りた。
椚木は一番近いプレハブ小屋の前に浩介たちを案内し、ドアを開ける前に中にいる人物に入室の許可を求めた。
「椚木2尉、本日到着予定の協力者一行をお連れしました!」
「入ってもらってくれ」
椚木は返事をしてドアを開けると、開いた方へ体を滑らせて浩介たちに中へ入るように促す。
浩介たちは遠慮がちにそっと足を踏み入れる。
「し、失礼します」
プレハブ小屋の中は、床には多少傷が付いているものの新築の様に綺麗な室内だった。
左側の壁際にはスチール製のキャビネットやレターケースが収まっていて、正面には事務机、右の壁にはこの世界の地図と思しき物、それに加えてどこかの陸地の見取り図がコルクボードに固定されていた。
パタン、という音にドアの閉まる音に振り返る。
椚木が外に出たようだ。
「よく来てくれました」
振り返っている時に声をかけられて、振り子のように今度は正面を向く。
四十代後半の、眼鏡をかけた精悍な顔立ちの自衛官が立って出迎えた。
「私はここの中隊を指揮している、芳賀忠彦2等陸佐です。よろしくお願いします」
「よ、よろしく言お願いします」
それぞれが挨拶を口にした後、芳賀は壁際の地図の前に移動し、説明を始めた。
「早速ですが、敵がとある村に向かって進攻中です。地図上では現在地がここ、村がここ、敵の現在地がここです」
胸ポケットに入っていたボールペンの先で、世界地図ではなく陸地の見取り図で示す。
あれはこの近辺の地図だった。
三つを直線で結んだ二等辺三角形の頂点がアルス村、底辺の二点がこのキャンプ地と敵の位置。
「進攻速度は発見当初よりも速く、このまま行くと30分ほどで村に着いてしまいます。我々もすぐに発たなければ間に合いません。
ですから準備しながら説明しましょう。私の後に付いてきてください」
そう言って建物から出て、プレハブ小屋の裏手に回る。
そこにも同じようなプレハブ小屋とテントが混在していたが整然と並んでおり、百人以上いると思われる自衛官が武器や機材を高機動車に積み込み、戦闘の準備をしていた。
芳賀は歩きながら浩介たちに説明し、同時にその途中途中でクリップボードを持っている自衛官に近づき、記載されている内容を確認していく。
「この世界と地球の脅威となっている存在を、我々はゴーストと呼んでいます。実弾兵器が全く通用せず、まるで幽霊かのような特徴からそう名付けられました。
敵は他にもビーストと呼んでいる種類もいますが、こちらは元はこの世界の野生動物がゴーストの干渉により変異し凶暴化したものと考えられ、ゴーストの支配下にあります。
ビーストはゴーストと違って実弾が有効なので、通常兵器による対処が可能です」
「私たちが必要とされたのは、ゴーストに有効な攻撃手段を持っているのがこの宝石だから、ということですか?」
「その通りです。それの生み出すエクスドールの攻撃がゴーストに有効なのです。
それとは別にもう一つ、国が開発した対ゴースト弾という物があるのですが、こちらは作製費用と時間が莫大にかかってしまうので、易々と使用できません」
唐突に足を止めて、芳賀は振り返って葉月と両親を見た。
「親御さんと妹さんは、ここに残ってください。あちらに仮設住宅を用意させてあります。その中にあるモニターから作戦の様子が見れます」
「あらまぁ!」
「お気遣い頂き、申し訳ないです」
「ありがとうございます」
だが、まだ話は続くようで芳賀は再び歩き出した。
浩介と理津だけでなく、家族も今聞ける限りの話を聞くために仮設住宅へは向かわずに芳賀の後を追う。
芳賀も減らない足音に気付いているはずだが、それについて何も言わなかった。
「対ゴースト弾を一つ作るのに二日要し、一発の作成費用は三千万円かかります」
「三千万っ?!」
驚いたものの、一般的な弾丸や砲弾がいくらするのか知らないので聞いてみた。
「ちなみに、普通の弾はおいくら位するものなんですか?」
「ライフルだと平均して一発百二十円、対物ライフルは一万円、戦車の砲弾だと七十万円程度です。ですが、対ゴースト弾が使えるのは専用に開発された兵器のみです。一丁で約二億四千万円かかります」
「におくっ?!」
あまりにも現実離れし過ぎた金額に、目と口を大きく開き、言葉が出ない。
芳賀は背中でその気配を感じ、続けて弾丸の費用を教えた理由を話し始めた。
「日本国政府が何故、民間人にこのような協力をしたか」
父親が臆しながら話に加わる。
「それは……息子や成海さんが適正者と呼ばれる存在だからでは……いや、それだけじゃないと?」
「ええ、他に頼らざるを得ない理由があります」
芳賀は首だけを振り向かせて頷き、再び前を向いて準備状況を確認しながら話し始める。
「ゴーストの総数は不明。異世界の入口を確認したのが四年前。その間も幾度となく偶発的に遭遇しては、対ゴースト弾が必要な場面は数えきれないほどありました。
普通の銃弾の様に低コストで量産できれば、このような事態になる事はなかったのですが……。
ゴーストの対処を強いられてからは、九ヶ月でその年の防衛関係費の八割が消えてしまうようになりました」
ここまで説明されれば、皆まで言われずともその先の展開は素人の浩介たちにも想像できた。
つまり、国家予算が凄まじいペースでゴースト退治に費やされ、近い将来、もしかしたら数年後には確実に国民の生活は困窮を極める。
そうなっては諸外国に借金をする事になるが、ゴーストとの戦いの終止符の目途が立たない状況では返済の目途も立つわけもなく、国の経済が悲惨なことになる。
そう父親は考えたが、正解は半分だけだった。
「国が困窮する前に、現在我が国に入り込んでいる他国の諜報員たちが、我々がひた隠しにしてきたブラックゲート、異世界の情報を手に入れるのが先でしょう。
豊富な資源がある異世界は宝の山です。それらの採掘権利を得るために、諸外国が日本に対してあの手この手を使って一方的な外交を強いてくることを総理は危惧しています。
それだけならまだマシでしょう。戦争をちらつかせて脅迫してくる国もあるはずです」
「……日本が他の国に侵略されると?」
芳賀は再び足を止めて振り返り、頷いた。
「暴力で自国の正義を押し通した凄惨な出来事は、近年でもありました」
事実、その通りの事が近年で起きていた。
事態の深刻さは予想以上で、数日前の家族会議で葉月が言った例えは大袈裟でも何でもなく、日本の政治家たちはあり得る未来として受け止めていた。
飛躍し過ぎた妄想だと切って捨てていた父親は、それでもまだ信じられなかった。
「そんな、ばかな」
「たった一人の人間が戦争を起こせるんです。そして、その人間が支配する軍隊は殺せと命じられれば、例えそれが無実無害な民間人でも躊躇わず手にかけます」
芳賀の表情は変わらないが、その瞳にはどこかやるせなさが見えた。
「辻本浩介さん、成海理津さん。貴方がたの肩には、あらゆる意味で世界の運命が圧し掛かっています。故に、我々自衛隊はいかなる助力も惜しみません」
お前たちの双肩には人類の未来が掛かっている!というシーンをアニメやゲームでよく見て、人生で一度は言われてみたいよな、と思う事もあった。
主人公たちは持ち前の優れた能力で立ちはだかる敵を払いのけ、死闘の末に世界に平和を取り戻す。
時折訪れる窮地にどきどきはらはらしながらも、結局は安心してカッコいい主人公に憧れる事ができるのは、そのストーリーには勝利が約束されているから。
その憧れは、夢想で終われるから憧れなのだ。
現実になればそれは夢想ではなくなり、人の命の重圧だけが圧し掛かる。
唯一の救いは、自衛隊が助けてくれるという事だけ。
「敵勢力はどのくらいか、そもそも有限なのか。どうやって生まれてどこから来るのか。そして、どのくらいこの戦いが続くのか。すべてが不明です」
このまま時が経てば、いずれは諸国に異世界の存在を知られて、門がある日本は略奪の危機や戦火に晒されるかもしれない。
だが、日本国政府がそれを看過するわけがない。
なるほど、浩介と理津の役目が見えてきた。
浩介たちは敵が地球へ侵攻しないようにする、ただそれだけでいい。
ひいては、それは恐ろしく高コストの対ゴースト弾の温存に繋がり、諸国が異世界の存在を突き止めるまでの時間稼ぎにもなる。
「作戦の概要を伝えます。
戦場は起伏のない平地で、身を隠せる場所はありません。
まずは遠距離からスナイパーライフルでビーストを処理し、戦力を削ぎます。襲撃に気付いた敵は、こちらに狙いを変更するでしょう。
展開した部隊に接近するまでにビーストは全て排除出来ているはずなので、残るはゴースト四体。
先ほど対ゴースト弾二発の使用許可が下りたので、その二発で二体を仕留めます。そして残った二体を、お二人にお願いします」
欲を言えば、初戦なので二人で一体だけを相手にしたかったが、現実は過酷だ。
甘い希望が言えるような雰囲気もないし、国の現状を考えれば、そんな甘えが通るはずはない。
いくら自衛隊が護ってくれると言っていても、限界はある。
彼らも命を懸けて戦っているのだ。我が儘は憚られる。
「わかり、ました。宝石を使った戦い方は全然分かりませんが、やれるだけの事はやってみます」
「が、がんばり、ます……」
浩介と理津は意思を固めた。
芳賀は頷いて、停車してある輸送防護車に乗車するように言った。
車体後部に乗降口があり、そこから中に入ろうとした時に芳賀が二人に向かって言った。
「適正者がエクスドールを呼び出したことはなく、どうなるのか研究部も分かっていない未知の領域です。何の助言も出来ず、申し訳ありません」
「いえ……それは、仕方ないです」
その後に、車外から家族の声がかけられた。
「出来るなら、俺が代わってやりたいが……」
悔しそうに奥歯を噛み締めたような顔の父親。
「他の人の言う事ちゃんと聞いて、絶対に無理しないで、無事に帰ってきなさいね」
普段見るにこやかな笑みを作ろうとするも、少し見れば分かる程に口元が振るえている母親。
「死んでも帰ってきてね、二人とも」
普段通りに振る舞おうとするも、さすがに心配と不安が葉月の声を揺らす。
どんな事になるのか予測も出来ないが、想いを受け取ってしっかりと頷いて返した。
会話を聞き届けてから、芳賀は乗降口を閉じた。
オスプレイの貨物室を縮小したような構造の内部は、車体側面にある小さな窓からしか光は届かず、薄暗かった。
一人の人間には重すぎる責任を背負わされた浩介と理津は、口も重くなって会話できる余裕はなかった。
間もなく運転手が二人に出発を告げた。
「これより、作戦開始区域に移動します!」
二人を乗せた車両が、ついに戦場へ向かって動き出した。




