#33_いざ、異世界へ
出立の朝。
朝食はパックご飯と味噌汁、目玉焼き。いつ戻ってこれるか分からないので、腐る物は全て処理する必要があり、今しがたの食事のゴミもすでに出し終えている。
玄関先に用意した大きなリュックサックを見て、何度目になるか分からない持ち物チェックをしていると、浩介のスマホが震えた。
着信は伍代の副官、橋本からだった。
「おはようございます。支度は整っていますか?」
「おはようございます。はい、多分大丈夫だと思います」
「では、あと10分ほどで迎えが到着しますので、出られる準備をお願いします」
「わかりました、よろしくお願いします」
通話を切り、リビングでモーニングショーを見ている両親と葉月に声をかけて、手分けして家の戸締りや火の元の最後の確認をする。それも2、3分で終わった。
浩介はふと名残惜しさを感じ、人生の半分程を過ごしてきた自室へ入り、感慨深く見渡す。
もうここに戻ることは無い、というわけではないかもしれないが、一歩間違えば本当にもう戻ってこれない。
ホームシックに似た寂しさが胸に迫る。
隣の部屋のドアが開く音がした。葉月も同じ気持ちだったらしい。
この家にいられる時間も残りわずか。
絶対にまた帰ってくるんだと心に誓い、この風景を目に焼き付けて部屋を出る。
玄関で両親と共に待機していると、少し遅れて葉月が階段から降りてくると同時にチャイムが鳴った。
短く息を吐き、腹を括る。
玄関のドアを開けて、迎えの車に乗り込んだ。
浩介たちは数日前と同じく、木更津駐屯地から空路でブラックゲートに向かう。
先日エスコートしていた伍代や橋本は不在だ。
よくよく考えれば、二人は非常に忙しい身の上のはず。彼らが直接浩介たちに事情説明をするというのは、もしかしたら異例の事態だったのかもしれない。
輸送機内でヘルメットを被らされた時、ふと思い出した。
「あ、酔い止め……」
時、すでに遅し
両親は何のことだがさっぱりで首を傾げるが、葉月は不安そうな表情を浮かべた。
そこでオスプレイは離陸準備に入り、プロペラを垂直に立てた。
「ま、まあ大丈夫なんじゃない?多分」
不安げな葉月に向って苦笑いをするしかなかった。
離陸したオスプレイは高度を上げると、プロペラを前に倒しながら速度を上げ、富士山中のキャンプ地へ飛んだ。
お世辞にも快適とは言えない40分の空の旅を終え、辻本一家は荷物を担いでキャンプ地に降り立つ。
両親はここに来るまでに「本当に自衛隊の基地だ」とか「このテレビで見た事あるヘリコプターに乗るとか、ワクワクするわねえ」とか驚いていたが、ブラックゲートを見た時がひと際驚いていた。
「これ、ハリボテじゃないのか?」
「大きいわねぇ」
などの感想を口にしている両親を横で見ていたら、後ろから声をかけられた。
「お待ちしておりました、辻本さん」
振り向くと、浩介と同じくらいの年の自衛官が爽やかな笑顔でこちらに話しかけていた。
「異世界のキャンプ地までの案内役を務めさせていただきます、椚木です。よろしくお願いします」
真っ直ぐな気を付け姿勢から、浅く素早くお辞儀をした。
あまりの速さに目を丸くしていると、椚木は人懐っこい笑顔をした。
「自衛隊の敬礼、あ、今やったのは答礼というお辞儀なんですけど、早いから見慣れないとビックリしちゃいますよね」
「は、はぁ」
「すみません、ゆっくりやれば良かったんですけど、つい癖で」
朗らかな笑顔と馴れ馴れしさも感じる言い方に戸惑った浩介だったが、そんなのはお構いなしで話を続ける。
「そちらがご家族で間違いありませんか?」
「はい、そうですが」
「了解です。では、少々お待ちください。辻本さんとは別の方が30分後に到着予定です。あそこのテントに椅子がありますので休んでいてください。私は一旦報告に戻ります」
椚木は駆け足で浩介たちから離れた場所にあるテントの中へ入っていった。
ブラックゲートを見上げている両親と葉月に声をかけて、言われたテントへ向かって暫しの休憩を取る。
目の前では、自衛官たちがせかせかと無駄のない動きで仕事をしている。
それを見て暇を潰していると、浩介たちを乗せてきたものとは別のオスプレイが飛来した。
ゆっくりと慎重に、車輪で大地を優しく押す様に着陸させる。
貨物室のタラップが開いて、最初に下りて来た人物。
それを見た葉月が声を上げる。
「猫さん!」
弾かれたように走って救世主の猫の元へ。
目前で止まって声を弾ませた。
「猫さんも来てくれたんですね!」
「は、はい」
向けられた歓喜の声に、どこかぎこちない笑みを浮かべた。
葉月はそれを見て、少々不謹慎だったと気付いた。
「あ、こんな浮かれてすみません。そんな状況じゃないんですよね」
「あ、いえ……」
浩介も椅子から立ち上がって救世主の猫の元へ向かう。
だが、救世主の猫は葉月に向かい合うでも浩介に顔を向けるのではなく、視線をオスプレイに移す。
つられて葉月と浩介もそちらを見る。
すると、四人のスーツ姿の男性が貨物室から出てきた。
何者かと思ったが、その中の一人に見覚えがあった。
浩介と葉月は、声がハモった。
「総理?!」
総理と呼ばれた五十代の男性が、黒服のSPを伴いながら会釈して答えた。
その後、総理と浩介たちは休んでいたテントで話すこととなった。
「まずは、我々が守るべきはずのあなた方を戦地に向かわせてしまう事、誠に申し訳なく、そして深くお詫び申し上げます」
ここ一週間で何度も目にした行為を、総理もした。せざるを得なかった。
口を挟める空気ではなかったため、黙って総理の次の言葉を待つ。
顔を上げて、一同の顔を見渡してから続けた。
「民間人である貴方がたに対し、我が国の護り手である自衛隊が負うべき以上の危険な任務を託さざるを得ないこと、一国の首相としても、一人の人間としても心苦しくあります。
ですが、人類の中でも貴方がたにしか全うできない大任であります。我々は何を措いても最優先で貴方がたをサポート致します。言えた義理ではないのは承知の上ですが、五体満足で日常に戻れることを心より願っています」
総理は隣に控えていた黒服に向けて一言促すと、黒服は持っていたアタッシュケースのロックを外して中身を見せた。
「これは……」
「キレイ……」
「あらまぁ、すごく高そうねぇ」
「宝石?」
アタッシュケースの中には緩衝材代わりに黒い発泡スチロールが敷かれていて、手のひらサイズの透き通った瑠璃色の宝石と、同じサイズの透き通った洋紅色の宝石が納まっていた。
その隣には、宝石よりも少し大きいサイズのシルバーアクセサリーのロケットらしき物。
それぞれの反応を見届けてから、総理は説明する。
「この宝石には特別な能力が備わっています。適性のあるものが触れると、宝石から人のようなものが出現します。その原理は解明出来ていませんが、その保有する能力に関してはある程度解析が完了しています」
数日前に伍代がここで話した内容を思い出した。
あの時は経緯のあらましだけを説明されたようなものだったが、今から聞ける話はもっと具体的な話のようだ。
「適正者が宝石に触れると、宝石ごとに内包されている電気的生命体が開放されて、呼び出した者の意思通りに動かせます。
今現在、その電気的生命体の姿形は、はっきりと固定されてはいません。
適正者が宝石に初めて接触した時にその姿が決定されるようです。ちなみに、いま触っても何も起きません。宝石が活性化するのはブラックゲートの向こう側の世界、異世界に限定されます」
話でしか聞いていなかった宝石を実際に目にしながら、説明を頭の中で咀嚼する。
「そして、向こうの世界で適正者以外が宝石に触れた場合、ヒトの形を保てなくなり死に至ることが確認されています。しかし、お二人はその心配はなさらなくても大丈夫でしょう」
「っ!」
適正者以外が触れれば死ぬ。
両親は初めてその事実を聞き、一瞬で顔面蒼白になった。
だが、浩介たちには適正があるから大丈夫だと言う。
それでも、肉塊の前例はあっても無事で済んだ前例がない以上は総理の言う、大丈夫、は絶対ではない。
しかし、浩介はその話を聞いてなお、協力したいと願ったのだ。
父親と母親は、浩介がそこまでの覚悟で臨んでいたと知り、子の決意を穢すまいと強く唇を噛んで耐えた。
「宝石から解放された電気的生命体の呼び名を、別の人型、Extra Dollを省略してエクスドールと呼称しています。
エクスドールは、それぞれ適正者との相性で特性が異なり、それは呼び出すまで判明しません。
戦闘の前に一度呼び出して確認していただきたいと思います」
真剣に話す総理を見つつ、浩介、葉月、救世主の猫は思った。
「(この国の政治家は中二病でも患ってるのか?)」
苦笑いするわけもいかず、浩介たちも真顔で総理の話を聞くしかない。
ツッコミたい衝動を抑えて、話を進ませる。
「呼び出す時は宝石に触れ、逆に宝石の中へ戻す時はエクスドールに向かって話しかけることで実行されます」
またしてもアニメ的な設定を耳にして、真面目に聞こうという気持ちが削がれていく。
家族会議で抑え込んだ浮かれた感情が刺激される。
不謹慎な感情が漏れ出しそうになる中、総理は話を締めくくった。
「そして、この宝石はモース硬度においてはダイヤモンドど同等、更にタングステンに並ぶ割れ難さを有しているので、多少乱雑に扱っても傷一つ付きません。この世で最も硬い鉱石ですので、乱雑に扱ったところで問題はありません。以上になりますが、質問はありますか?」
両親は何が何だかさっぱりらしく、浩介と葉月を見ていた。
二人も特に気になったことは無く、首を振る。
しかし、救世主の猫は何か思う所があった。
「もし、戦闘になって、エクスドール?がダメージを受けた場合、呼び出した私たちに、何か影響はありますか?」
その言葉にはっとした。
いくら単語や設定が中二病だからといって、全てがアニメの様にご都合主義設定だけのはずはない。
両者が何かで繋がっているのであれば、それは思い至って然るべき懸念だ。
救世主の猫の問いかけに、総理は目を伏せて申し訳なさそうに答える。
「申し訳ありません、現在の技術力ではその因果関係は解析できませんでした。ですので、エクスドールの運用は極めて慎重にお願いします」
「そう、なんですね……わかりました」
さっきまで心の中で中二病だとかアニメだとか、ざわついていた感情が一気に静まり、笑えない空気が支配した。
総理は浩介に瑠璃色の宝石を、救世主の猫には洋紅色の宝石を手に取らせ、肌身離さぬようにシルバーのロケットに入れて持ち歩くようにと言った。
二人は宝石を嵌め込んで首に掛ける。
「通信についてですが、こちら側と向こう側、ブラックゲートを隔ててしまうと電波はそこで途切れてしまいます。ですが、異世界内は通信可能です。
向こう側のブラックゲート手前に通信士を常駐させていますので、何かあれば彼らに連絡してください。
日本を、そして地球をよろしくお願いします」
総理は恭しく頭を下げると、凛とした足取りでオスプレイに乗って飛び去った。
機影が見えなくなると椚木が話しかけてきた。
「それでは、これよりブラックゲートを抜けて異世界へ行きます。準備をよろしくお願いします」
それぞれが荷物を持って、再度椚木の元へ集まる。
そしてブラックゲート前まで歩いていき、立ち止まって浩介たちへ振り向く。
「ここから先、一歩踏み入れれば、広がっているのはこの山の中ではなく別の空間、石で囲まれた大きな部屋です。どうか取り乱さないよう、心構えをお願いします」
「違う部屋に繋がってるって思えばいいのかしら?」
母親はいつもの調子で頬に手を当て、さほど思いつめた様子もなく口にする。
気負っていない様子を見た椚木は、口の両端を緩めた。
「そうですね、そう考えてもらっても問題ありません。ですが、一瞬で切り替わるので気を付けてください」
一拍置いて体をブラックゲートを正面に捉えると、後ろにいる一同に聞こえる大きさの声で言った。
「では、行きます!」
椚木は足を一歩踏み出し、二歩目で体の半分が暗闇に飲まれる。三歩目では完全に視界から椚木は消えた。
本当に何事もなく通過できるのだろうか不安に思いながらも、浩介たちは覚悟を決めて暗闇へと足を踏み入れた。




