#30_家族会議(1)
夜、辻本家リビング。
その日の夕食後。
浩介、葉月、そして両親がテーブルについている。浩介が話があると言ったからだ。
ここまでの間に、ついに葉月と話すことは出来なかった。
部屋のドアをノックするも、梨の礫だった。
仕方なく、自室で伍代から渡された書類に目を通す。
中身は自治体に提出する書類、各種保険の加入申込書、給与や年金に関する書類、異世界での行動規律、遺言書の書き方。
その他の細々とした説明書があったが、その中でも目を惹いたのは、現在の就業先への手配。
浩介が国の協力要請に従った場合、職場の人材に欠員が出てしまう。それを政府が可能な限り補うと書いてある。職場の心配をしなくてもよさそうだ。
そういった様々な書類を確認しているうちに両親が帰宅し、話があると持ち掛けた。
そして今、浩介は隣で後頭部を見せてテレビの方を向いている葉月を気にしつつも、両親に今日の富士での出来事を話した。
「……っていう事が起きてる」
「へぇ、知らなかったな、そんな事。テレビで言ってたか?」
六十歳も終わりに近い父親が、隣に座る母親に聞いた。
頬に手を当てて考え込む素振りを見せるが、父親同様、返事は曖昧なものだった。
「さぁ?アタシあんまりニュース見ないから。いっつも朝やってる芸能関係とかゴシップしか見ないからねぇ」
「葉月はどう思う?」
「別に」
普段通りに娘に話しかけるが、いつもの明るい返事は返ってこない。
父親はそのことが気にかかった。
「別にって。それは良いが、葉月。お前、何かあったか?」
「……」
父親の心配を余所に、本人は不貞腐れたように頬杖を突いてテレビを凝視している。
浩介は、自分が何か言える立場ではない事を歯痒く思った。
何も言わない浩介の態度も気になり、無視されたにも関わらず話しかける。
「浩介とケンカでもしたか?」
「……」
「どうなんだ?」
「何か言ってくれないと分からないじゃないか」
意地でも理由を話させようとする父親に、葉月は怒りを露わにした。
「別に関係ないでしょ!うるさいなぁ、ほっといてよ!」
「お前、そんな言い方っ」
売り言葉に買い言葉になりそうだったところで、母親が割って入る。
「まぁまぁ、お父さんもそれくらいにしておいて。葉月にだって言いたくない事あるわよ。それより、今は浩介の話でしょ?」
「……そうだな」
にこやかに場を収めた母親を、流石と思いながら浩介は伍代から受け取った封筒を二人に見せる。
「これ、今日会った自衛隊の幕僚長の伍代さんって人から渡されたものなんだけど、見てもらえれば少しは分かるかも」
父親が封筒を受け取り、中身を全て取り出してテーブルの上に並べる。
両親はそれぞれ無造作に手に取り、A4用紙に綴られている規律や規約を読んでいく。
それからしばらく、書類を確かめるための無言の時間が続いた。
緊張を孕んだ室内では、音量を抑え気味にしたテレビから聞こえるバラエティ番組の音声よりも、二人が紙をめくる際に発する紙ずれの音の方が大きく聞こえる。
やがて父親が一足早く内容を確認し終えると、両腕を組んで静かに尋ねた。
「まだ信じきれないが……お前、どうするつもりなんだ?」
父親は僅かに睨みを利かせて訊く。
淀みなく自分の考えを伝えられるほど、まだ考えは上手くまとめられていない。
言い方を少しでも間違えれば怒鳴り声を上げそうな父親の顔も相まって、組み上げようとしていた言葉が散らばりそうになる。
どう言ったものか、ただそれだけが強く頭の中を支配しそうになった時、書類を手にしたままの母親の声がした。
「遠慮なんかしなくてもいいから、言ってみなさい。どうするつもり、じゃなくて、浩介はどうしたいの?」
温厚な声が身に沁みる。
父親は無意識に威圧して相手を屈服させようとしてくる時があり、そういう時、いつも子供たちの意見を聞いてから冷静に話を進めようとしてくれる母親は、浩介と葉月にとって非常に有難い存在である。
強力な味方を付けたような気になり、素直な気持ちを言葉にした。
「実は、葉月にも一緒に来てもらったんだけど、その時に異世界に行くって言った。そしたら葉月にキレられて……それから少ししか時間は経ってないけど、その間にまた色々考えた」
「そう」
両親は共にテレビから顔を背けない葉月を見る。
大方の理由を察したようで、両親は特に口を挟むことはせずに浩介の話の続きを聞く。
「多分、俺は人の感情を第一に考えるのが苦手なんだと思う。アニメやゲームの中の話だと思ってたものが、急に目の前に現れて浮かれて。
死ぬかもしれないって言われたけど、死ぬとか現実味が全然沸いてこないから真剣に考えてなくて、だから俺は死なないって根拠のない自信を持って」
話しながら、葉月を激昂させてしまった場面が脳裏に浮かんできた。
伝えたいことがまとまらず、思ったことを一つずつ話しているので、聞いている方は要領を得るのが難しいはず。
だが、逐一それはどういう意味か?など説明を求めもせずに、二人とも浩介の顔をじっと見つめながら聞き続けている。
「それで、軽く考えてしまったんだと思う。死なないから異世界に言っても大丈夫だって」
救世主の猫のように口下手でも必死に自分の言葉を繋ぐ。
自分の決断は後ろ暗いものかもしれないと思っているから、浩介は喋っている間は誰の顔も見れなかった。
もしかしたら、この決断を下した自分は普通の感覚の持ち主ではないのかもしれない。
考え方が子供なのかもしれない。
人でなしと軽蔑されるかもしれない。
しかし、ここで嘘やごまかしを重ねて、家族と正面から向きあうの避けてはいけないのも理解していた。
「帰ってきてから、じいちゃんとばあちゃんが死んだ時の事を思い出した。寿命って言うのもあったけど長生きもして、それなりにみんな覚悟してたから傷はそこまで大きくならなかったけど……。
でも、今度は俺が祖父ちゃんたちの立場になるかもしれないって思った。俺はまだ五十年も六十年も生きてないし、親よりも先に死ぬっていうのは、どれだけ親不幸なんだろうって」
両親の空気が、浩介が気持ちに整理を付けながら話している時と変化した。
自分たちの子供が、己の死について話している。
ざわつく心の内を出すまいとしているが、悲愴な面持ちはどうしても隠せない。
親を持つ一人の子供として、正しくない事をしようとしているのは浩介も分かっている。
それでも、話を続けなくてはならない。
「それだけを考えれば、異世界行きはやめるべきなんだろうけど、問題はそれだけじゃなくて。葉月を怒らせてしまった時にも言ったけど、何もしなければ、いつ殺されるのかって怯えて生きなきゃならない。
選べたはずの選択を選ばずに、俺一人の安全を取っても、死ぬのが先延ばしになるだけかもしれない。
その時は何も抵抗できないまま死ぬんだと思うし、それだったら抗える道があるならそれを選びたい」
浩介はテーブルに向って目を落としながら、思ったことを全て吐き出した。
両親はしばし黙ったままで、葉月も特に何も言うことはなかった。
緊張していたせいか、今更ながら浩介は自分の手と唇が震えていたのに気づいた。
口火を切ったのは父親だった。
「お前、仕事はどうするんだ?アルバイトから社員、そして副店長にしてもらった恩があるだろう。簡単に辞めれば、恩知らずと言われても仕方ないぞ。俺は反対だ」
もちろん、その事を浩介は考えなかったわけではない。
しかし、自分は何の為に仕事をしているのかと考えた時、何よりも優先すべきことが見えた。
まだ緊張が解けないままの震える唇から、今度はきちんと父親の顔を見ながら無理やり声を出す。
「仕事はもちろん大事だ。けど、それは明日も生きられるという根拠のない自信があって、明日を生きるためのお金が必要だから。
もし明日、地球に隕石が落ちて世界が終わるって聞いたら、俺は仕事なんか行かない。大切な人達と過ごしたい」
「それは極端すぎだ。そんな事にはならない」
「そうなる可能性があるから、政府は一般人でしかない俺にこんな話を持って来たんだよ」
「それは国が大袈裟に考えすぎているからだ。そんな事は起こらないから、安心してお断りしなさい」
ここでもか、と浩介は少しうんざりした。
父親は自分の理解を超えた話は受け付けない傾向にある。
これまで父親が自身で経験してきたことが全てで、それが正しくてそれ以外は間違いだと頭ごなしに決めつけて、それを相手にも強要してしまう。
その性格によって過去、まともな話し合いが出来た試しは数えるほどしかない。
浩介の思いを聞いても尚、息子の気持ちを無視して強引に従わせようとするのは今に始まった事ではないが、事の重大さを全く理解しようとしない態度に浩介は苛立ちを見せ始める。
「親父はアレを見てないから、そう言えるんだよ。俺は実際に自衛隊の輸送機で富士山中まで行って、この目で見たんだ。舞台の書割の様に見えるものを通った人間が、どこかへ消えるのを」
「例えそうだとしても、それがすぐに危険という話じゃないだろう。百年先かもしれないじゃないか」
「それは、そうかもしれないけど……」
確かに、父親の言い分にも一理ある。
人類が脅威に晒されるのは、浩介が天寿を全うしてからかもしれない。
そうなることを父親は微塵も疑わず、近い将来に脅威が訪れる可能性を完全に排除している。
この凝り固まった思考に苛立ちを感じ始めた時、これまで黙ってテレビを睨んでいた葉月が口を開いた。
「父さん、その話さ、これから続いていくかもしれない私たちの子供たちにも言えるの?」
「何?」
顔をテレビから父親に向けると、浩介に向けていた怒りよりも更に深い怒りの目と声で続ける。
「百年後に来るかもしれないって思ったから、あなたの代まで何もしませんでした、って孫たちに言えんの?それって、敵なんか来るわけないって決めつけてるから言ってるんだよね」
「別にそうは言ってないだろう」
「言ってるよ。数年前の事忘れたの?共産主義のあの国が、民主主義の国に攻め込んだのをさ。まだ平和だった頃のあの人たちに向かっても言えるの?戦争なんて起きないから安心しろって」
「それとこれとは話が別だろう」
話が通じず、語気が荒くなる。
葉月は明らかに感情的になっているが、母親は止めずに言うがままにさせている。
「同じだよ。私たちの世界とは違う世界があって、しかも行き来ができて、もう自衛隊の人が襲われて何人も死んでるんだよ!」
「でも、まだこっちには来てないという話じゃないか」
「だから!来てからじゃ間に合わないでしょ!そうやっていつも問題を軽く見てるから、父さんに相談なんてしたくないんだよ!」
「なっ!」
心外だと言わんばかりに葉月へ睨みを利かせるが、真っ向から睨み返しながら言葉をぶつける。
「自衛隊の人がどんな思いでお兄に頼み込んだか分かる?見てるこっちが居た堪れなくなるくらい酷い顔しながら、父さんよりも少しだけ若いくらいの立派な大人が、お兄に向かって土下座したんだよ!
恨みは全部、不甲斐ない自分たちに向けて欲しいって!それでもお願いしますって!」
言いながら、葉月は涙を流した。
浩介と母親はその涙に驚き、先ほどまで言い争っていた父親は言葉を失くした。
葉月は顔を背け、独り言のように呟く。
「そこまでした相手の気持ちも考えられないなら、もうどうしようもないけどね。あーあ、ムカツキ過ぎて涙が出るわ……」
葉月の言葉と涙にショックを受けた父親は、視線をテーブルに落として黙り込んだ。
その瞳には先ほどまでの頑固さは見られず、迷子のように頼りないものだった。
暫し沈黙があったあとに父親は母親に意見を聞いたが、口調から頑固さは抜けていた。
「母さんは、何かあるか?」
「そうねぇ」
またもや頬に手を当てて、明日の夕飯のリクエストを聞くかのように軽く言った。
「これって、家族みんなで行けないの?」
「……え?」
この場の全員が、毒気を抜かれた。




