#28_実在した異世界
木更津を飛び立ち、東京湾、横浜の市街地上空を通過し、神奈川県へ入って山々を下に見ながらゴルフ場や陸上自衛隊の富士駐屯地の広大な敷地を抜けると、富士山の麓が見えた。
そのまま、富士山の火口を跨いで反対側へ進む。
上空から見下ろすと、木々が生い茂る中に一か所、輸送機の離着陸用に木々を伐採した跡があった。
輸送機の離着陸スペース付近にはテントやコンテナ、何かの機材が整然と置かれている。
そこからさほど離れていない場所に垂直に立った巨大な黒い板が見え、その周辺には調査のための拠点が築かれていた。
現地では十人近い自衛官たちがテキパキと動いている。
「さ、着きましたよ」
橋本がニコリと微笑む。
浩介たちを乗せたオスプレイは着陸スペースへゆっくりと垂直下降した。
「もう、ですか?県をいくつか越えてるはずなのに……」
「こんなに早く着くの?自衛隊の飛行機って凄いのね」
「自衛隊で使用しているオスプレイは米国から買ったものなので、正確に言えば日本の技術ではないんですよ。ちなみに、この子の最大速度は、毎時565キロです」
得意げな表情を浮かべて饒舌になった橋本に対して、さすが自衛官、と感心して頷く浩介とは正反対に、ミリタリーに全く興味のない葉月は苦い愛想笑いをした。救世主の猫は観光ガイドの話を聞いているかのように、ただ黙って嬉々として話す橋本を見つめていた。
「もちろん、日本でも戦闘機や空母なども開発されています。戦闘機ではFー35、護衛艦では『いづも』が広く知られていますね。それと……」
「副官。その辺でいいだろう」
これは長くなるな、と察した伍代が瞬時に止めていなかったら、どのくらい話を続けていたかは分からない。
多少の興味を覚えた浩介だったが、事細かに説明されては流石にお腹いっぱいになる。
窘められ顔を赤面させた橋本は、一つ咳払いをした。
「し、失礼しました。既に着陸していますが、物資の荷下ろしが終わってからご案内します。もう少しだけお待ちください」
橋本はベルトを外しながら浩介たちに体の具合を聞き、伍代はパイロットと話していた。
程なくして貨物室内の荷物の最後の一つが持ち上げられると、橋本は浩介らに言った。
「それでは、降りましょう」
それぞれがお互いの顔を一瞥してから、橋本と伍代に続いてタラップを下って地に足を付けた。
先頭を歩く橋本と伍代はぐるりと回って機体正面へ移動し、浩介たちも後を付いて行く。
前方には左右に分かれて仮設テントがいくつも張られていた。
テントに囲まれて出来た道の先に、巨大な長方形の漆黒が堂々と聳え立っていた。
「これは……なんだ?いや、話には聞いていたけど……」
目的の実物を目の当たりにした浩介は、その存在感に圧倒された。
見た事もない程の黒。
想像を超えた大きさ。
有無を言わさず、これは作り物ではないと認めさせる圧倒的な存在感。
動画を見て疑った己を愚かに思う。
この人たちは、最初から本当の事しか言ってなかった。
そして、思い出した。
「何がおかしいかっていうとな、一部開発費の出どころなんだよ」
「つまり、スポンサーですか?」
「わからん。公にスポンサーですって公表されてるわけじゃあないし、どういう理由で出資しているのか聞いたこともない」
「出資元って、軍関係ですか?近年ではデンマークがゲーマーを軍事採用して成果を上げたらしいですし、アメリカもゲーマーの能力を軍事利用できないか試しているってネットニュースになってましたから」
「軍じゃなくて、正確には防衛省なんだけどな。まさか当てられるとは思ってもみなかったなぁ」
珍しく葉月と出かけた店に、たまたま居合わせたゲーム会社の社員、そして防衛省の関与。
話を聞いた時は、防衛省が何か活かせるものは無いか調査している程度だろうとしか考えていなかった。
今になってようやく、あの話がこの件の一端だったと知った。
上手く思考をまとめることが出来ず、目の前の漆黒をただ見上げる。それは、他の二人も同じだった。
茫然見上げるその時間は数分だったのか、それとも数秒だったのか。
少し離れた場所から、覇気のある大きな声がした。
「これより交代要員六名、補給物資を内部へ運搬後、調査の引継ぎをします!」
「了解した。くれぐれも慎重に頼む」
反射的に声のしたテントを見ると、数人の自衛官が伍代の前に整列していた。
敬礼を受けた伍代は、自衛官らが我先へと荷物を担いだり台車を押したりし始めたのを確認してから、真剣な顔をして浩介らの方へ歩いてきた。
「これからあの者たちがブラックゲートを通って内部へ入り、今その中にいる者たちと作業を交代するところです。このブラックゲートが本当に異世界へ通じているか、それを確かめていただく良い機会です」
伍代は浩介らに後ろを付いて来るように言い、ブラックゲートの真横へ移動した。
「この位置からならば、ここを通過するものがどこから来てどこへ行くのか、はっきりと見えます」
二つの世界の境界面に視線が釘付けられたまま、伍代の話を聞いた。
ブラックゲートは厚さはないので、少し斜めの位置から見届ける。
「本当に、薄っぺらなんですね……」
救世主の猫の呟きを受けて、橋本が答える。
「まだはっきりとした事は分かってはいませんが、これは二次元の物体ではないかという仮説が立てられています」
「二次元……物理や数学で言うところの、平面、ってことですか?」
「はい、その二次元です。学校で履修されたかと思いますが、計算式の中でしか存在しなかったはずの、あの二次元です」
知識としてはあったが、現実に存在する場合はどういう形になるのか深く考えたことは無かった。
多分、紙を極限まで薄くしたものだろうという、ぼんやりとしたイメージしかなかった。そして、それ以上の説明はなかった。
伍代に向って敬礼をした自衛官たちは班長の指揮の元、物資のコンテナやバッグを持ってブラックゲートへ向かって歩き出した。
目の前の黒い物体は通り抜けられて当たり前という、迷いのない足取り。
その成り行きを、息を止めて見続ける。
ついに、先頭の一人がブラックゲートと接触した。
直後、僅かに抱いていた疑心に答えが示された。
「っ」
まるで黒い水面へ入っていくかのようにブラックゲートへ沈んでいくが、その身は反対側へは抜けていない。
どこかへ消えていた。
続く人間も同じく黒い水面に沈み、浩介たちの目の前から消え失せた。
驚愕したが、伍代や橋本の事前説明があったおかげで、起こった現象を受け入れるのにそう時間はかからなかった。
その中でも一番早く思考を巡らせた救世主の猫が伍代へ質問をした。
「それで、私たちにこの事を教えた理由って、何ですか?」
伍代は一瞬思いつめた顔をした後に、改まって浩介らの目を真っ直ぐ見て言った。
「単刀直入に申します。私たちを、いえ、人類を護っていただきたいのです」
「どういう事、ですか?」
「ブラックゲートの向こう側には、動画で見ていただいた建物の内部へ繋がっています。
その広い建物を抜けると外に出ます」
「外……」
「建物は丘に埋まるようにして建てられていて、正面には草原が広がっていています。その先には川の流れる森があり、森を抜けると平原に出て、そこからは一番近い村が見えます」
「村っていうと、じゃあ人がいる?」
「ええ。村は問題ないのですが、その道中に敵意を向けてくる存在と遭遇し、その戦闘で五名の死者が出てしまいました」
死者が出る。
薄っすらと勝手に異世界ファンタジーの目で見ていた三人は動揺した。
「敵に対して我々は銃火器で応戦しましたが、一切の効果は与えられず撤退を余儀なくされました」
「効果がないって……つまり効かないってことですか?」
伍代が沈痛な面持ちで頷く。
人類の武器が通用しない。
そんなのがいる世界で、浩介たちに何をさせようというのか。
不安に駆られながらも、黙って伍代の話に耳を傾ける。
「前線の部隊が撤退を開始した直後、ブラックゲートがある建物を調査していた班から地球の本部に、俄かに信じがたい報告が入りました」
ここまでの話も俄かに信じがたい事のオンパレードだったが、ここにきて伍代が初めてその単語を用いた。
今まで以上のものがあったのだろうか。
「ブラックゲートのあるホールを出た先にもう一つ大きな部屋があるのですが、その壁際には異世界の文字らしきものが彫られた台座のようなものがあり、壁にはいくつかの宝石がはめ込まれていました。
その通信では、突然台座が淡く光った途端、どこからか声が聞こえた、と」
まるでアニメの第一話で起こりそうな話だ、と浩介たちは一様に同じ感想を抱いた。
ここに来てアニメ的展開か、と。
セオリーでは、その後に何者かが主人公に特別な能力や武器を与えるのだが、果たして。
「壁の石を持て。適性のない者が持てば食われるだろうが、もしかしたら窮地の仲間を救えるかもしれんぞ?」
なるほど、そういうパターンか。
持ち主を選ぶ武器が出てくるアニメやライトノベルは人気があり、オタクに通じていない葉月でもこういった展開は聞き覚えがあった。
ここまで話が進めば、ここに浩介たちが連れてこられた理由も分かろうというものだ。
だが、まだ話は途中であるため、茶々を入れずに聞く。
「早まった隊員の一人が勝手に宝石に触りました。その瞬間、宝石は光り輝いて隊員を包み込み、その光が消えた時には隊員もその場から消えていました。
直後に前線から通信があり、どこからともなく一人の自衛官が敵の目の前に現れた、と。聞く分ではまさに、アニメの王道展開でしょう」
聞いている表情から、考えていたことを読まれたようだ。
「ですが、現実は甘くありません」
低い声で釘を刺され、浩介たちはその眼光に背筋が寒くなった。
「報告では、現れた隊員の体がすぐに光り輝いて敵勢力を消滅させたとありました。そして彼は、宝石に触れた自衛官はまるで肉塊のように変貌した姿で戦場で見つかりました」
「っ!」
誰かの息を呑む音が聞こえた。
強力な武器に選ばれて敵を倒していくアニメ的展開だと思っていた。
ところが、武器を使えば使用者は死ぬ。
間違いなくこれもアニメ的展開だったが、まさか多くの人々にトラウマを植え付けたロボットアニメのようなものだとは思いもしなかった。
「部屋に響いた声は、事態の収束を見ていたかのようなタイミングで再び語りました。それが、これです」
伍代は迷彩服の胸ポットからレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。
スピーカーから聞こえたのは透き通った男性の声。
耳障りは良いが、明らかに嘲笑を含んでいた。
「これは中々に興味深い造りの道具たちだな。どうやら偶然にもそちらとの技術的相性は悪くないらしい。このまま退くのが最も賢明だとは思うが、貴様ら人間に欲を抑えろと言っても無駄だろう。
ならばここにある石を持ち帰って、適正者を見つけるが良い。
そして自分たちの欲望と向き合い、罪深さを知れ」
そこで終りらしく、伍代は停止ボタンを押してレコーダーを仕舞う。
「私たちは持てる全ての技術で宝石のデータを収集しました。
すると、どうやら宝石には何かの意志が宿っているらしいことを突き止めました。
が、安易に部下たちに宝石に触らせては、またあのような事故が起こる危険があります。
そこで我々は、宝石に宿る意志をコンピューターと繋いで反応を見る事にしました。
まずは全ての自衛官に適性を調べさせましたが、誰一人として能う者はいませんでした。
その結果、国民にも協力を願い出る以外に道はなく、大多数の民間人が触れることが出来るオンラインゲームにシステムを組み込んだのです。
「なるほど……。辻褄は合ってる」
「ですが、我々が欲しているのは自衛隊と共に戦地へ赴く人間。国が民間人を戦地へ送り込む事はできません。
そのために法整備がされました」
「法整備?そんなのあったかしら……?」
葉月が記憶にないものを引っ張り出そうとし始めた所で、橋本が答えた。
「災害派遣特別人事法。災害において救助隊や自衛隊が対処不可能な場合、日本国政府は国民へ協力を要請することが出来るというものです。三か月前に国会で可決され、先日施行されました」
初めて聞く新しい法律。
内容を聞けば、ピンポイントでこの件の為に布かれたものだというのは明らかだった。
伍代が話を引き継ぐ。
「これは国からの要請であり、命令ではありません。命を落とす危険があります。ですから拒否する事も可能です。
ただ、異世界に関する情報は国家機密案件です。この件が解決するまでは、軽くですがあなた方には監視の目が付いてしまいます。それにつきましても事後報告となって申し訳ありません」
「監視?」
ここに連れてこられた時点で、監視される生活か、命を懸けて自衛隊に協力するかの選択肢しか選べないという。
気になるのは、どの程度監視されるかという事だった。
「軽い監視という事ですが、具体的には?」
「情報が漏洩されないよう、所有端末から発信される音声情報とインターネットでの発言が監視対象となります」
「かなり、プライバシーが無くなりますね」
「大変申し訳なく存じます。しかし、あの未知の敵がこちら側に侵攻することになれば、我々人類は半年とかからずに全滅します。人類にも後がないこと、どうかご理解ください」
伍代と橋本が、揃って頭を下げた。
もし協力要請を浩介が拒否しても、別の適正者が見つかって解決してくれる可能性もある。
見つからなかった場合は、黙って破滅を待つ事になる。
重すぎる話。
だが、オタクの業というべきか、性というべきか。不謹慎と分かっていても、アニメのような話が現実に起こっていたと知っては心が浮かれないわけはない。
いい歳した男だが、人類の存亡がかかっていると言われても、一度湧き上がってしまった異世界に対する好奇心は簡単には拭いされない。
幼い頃から、夢物語だと思っていた異世界。
その興奮は、自衛官が命を落とした事実を羽のように軽くし、更に自分が死ぬ可能性を根拠なく極限まで排除していた。
アニメのような体験ができる。
とはいえ、思考の全てがその不謹慎な好奇心に染まっているわけではなく、放っておけば家族も危険だという事も分かっていた。
まさかそのような幼稚な考えを、半分とはいえ持っているとは思っていない葉月は、今にも泣き出しそうな目を浩介に向ける。
妹の胸中を知らない浩介は、言ってしまう。
「ここで何もしなかったら、後悔するかもしれない」
「お兄っ、まさか!?」
信じられないものを見たように目を見開いて批難の声を上げたが、浩介は言い切った。
「葉月。俺、異世界に行こうと思う」




