#231_最後の戦い(10)
浩介は戸惑った。
「(あの翼は単なる飾りなんかじゃない。この得体の知れない不気味さは何だ……)」
靄の巨人から姿を変えたヒトガタは、洞のような目で掌を見て握っては開く。
「この私自身もここまで負の念を食らったことは無かったが、まさか人間の姿を取り戻すとはな。おまけに翼まである。遊びで神を作った事への皮肉か」
翼を大きくはためかせると、黒いオーラが陽炎のように舞った。
「これは想像以上の力だな。慣れるまで少々時間が必要かもしれぬが……その前に終わるだろう」
つまらなそうに顔を上げて浩介たちを見る。
底なし沼のような瞳に見られ、怖気が走った。
殺される。
ここまでずっと命のやり取りをしていたはずなのに、ヒトガタの一瞥をもらっただけで決意や覚悟が薄皮を剥ぐように吹き飛んだ。
「……あ……」
「今度はこちらからいかせてもらおう」
戦意喪失した浩介を嘲笑うように一瞬で素通りし、気付いた時にはもうシスターの顔面に拳が叩きつけられていた。
「んぐぅ……」
撃ち出された弾丸のように殴り飛ばされたシスターだったが、吹き飛んでいる最中に壁もないのに背中を反らせて止まる。
止まったのは、ヒトガタが吹き飛ぶシスターを追い越して背中を支えていたからだった。
浩介も久遠も、尋常ならざるスピードに手も足も出なかった。
「速いっ……」
もはや瞬間移動と変わらない。
靄の巨人の時とは段違いの強さだ。
「まだ終わりではないぞ?」
シスターの背に当てていた掌に黒いオーラの塊が発生し、爆発した。
「がっ!」
まともに食らい、煙が背中から立ち上った。
被弾した箇所がノイズの奔るホログラフみたいになり、深刻なダメージを受けたのが分かる。
「シスターちゃんっ!」
「シスターっ!」
「人の心配をしている場合か?」
その声に急いでヒトガタの姿を探すも、すでにシスターの後ろから消えていて見失ってしまった。
しきりに顔と目を動かす。
浩介は嫌な気配を真後ろで感じ、即座に体を捻った。予感は正しく、振り向いた眼前にはヒトガタ。
既に浩介の鳩尾に向けて拳が放たれた直後だった。
「ほう。だが遅い」
「ぐふっ!」
指一本動かす暇もなく光速の攻撃を食らい、シスターと同じように弾き飛ばされる。
砂嵐。
高校の教室で含み笑いを浮かべる学生たち、顔を背ける周囲の生徒、見て見ぬふりをする教師、そして砂嵐。
記憶が消し飛んだ。
このまま飛ばされていては追撃されるので、瞬時にヒトガタを視界に収めて体勢を立て直す。
瞬間、離れた場所にいたはずのヒトガタが目前に立っていた。
来た、と思うまもなく裏拳が頬を襲った。
「ぶっっ!」
砂嵐。
幼少の時期、今の家に越す前のアパートの風景、テレビに映る特撮番組。
砂嵐。
まだ遅い。
もっと早く動かなければ、もっと早く反応しなければ。
必至に体勢を立て直すと、またもヒトガタが目の前にいた。
「くっ」
動きを見て備えるんじゃない、動こうとした時に反応しなければ。
体を丸めるようにして、正面から来るであろう攻撃に備える。
ほぼ同時に、正面を防御していた両腕にヒトガタの振り下ろすような蹴りが当たった。
砂嵐は……来ない。
記憶も消し飛ばなければ、攻撃の読みも当たっていた。
ヒトガタの姿を見失うと同時にガード。
だが、これでは負けるまでの時間を引き延ばしているに過ぎない。どうにかして攻勢に転じる隙を見つけなければ。
「やあああああっ!」
蹴りの後の硬直を狙ってシスターが背後からハルバードを振り降ろす。
ヒトガタは蹴り抜いた姿勢のまま、振り向くことなく片手を上げて刃を掴んだ。
「狙いは悪くない。だが、相手が悪かったな」
目だけを向けると、翼をはためかせて衝撃波を出す。
シスターは再び弾き飛ばされた。その隙に浩介は距離を取る。
「(どうすりゃいいんだ、こんなヤツっ。グラン、何か策はないのか?!)」
「(まさかこんな隠し玉を用意していたとは私も想像していなかった。勝つ目があるとすれば、あやつが戦い慣れていないという点だが……こちらの動きが完全に見切られている以上、もはやそれは弱点にはなりえぬ)」
「(瞬間移動と同じ速さで来るのを、どうやって相手にすればいいんですかぁ……)」
「(それに関してだが、私の推測通りであれば攻撃を避けるは難いが、防ぐだけなら易い。今しがた貴君がそれを証明した)」
「(……もしかして、攻撃が分かり易い。いや、単純……直線的すぎる?)」
「(あやつを封印した時の戦いではこちらも馬鹿正直に正面から対峙していた。向こうも戦いの経験はあれど、それはいわば力と力の真っ向勝負しかない。
勝機があるとすればその弱みを突くしかない。つまりは、奇抜な攻撃。トリッキーな動きだ。だがそれも、こちらの攻撃が通ればの話だがな)」
攻撃を防げたとしても、結局はグランの言った最後の言葉に尽きる。
僅かでもいい、一撃一撃がダメージを残せれば希望はある。
「(……いや、多分ダメージは通る)」
「(ぬ?)」
「(さっきシスターとグランの攻撃をわざわざ受け止めた。あらゆる攻撃が効かないなら受け止める必要はない。つまり、そうせざるを得ないってことじゃないのか?)」
「(なるほど。強固な守りを見せた卵とは違い、どういうことかは分からぬが今は状態が違うということか。ありえなくはないが、確証はないぞ。まさか、賭けに出るつもりではなかろうな)」
「(まさか。正面からやりあって、どうにかかすり傷でも負わせられるかどうか確認する。ここは一つ一つ足場を固めていかなきゃいけない)」
「(承知。シスターもそれで良いか?)」
「(がんばりますっ!)」
方針が決まったとはいえ、一瞬でも反射が遅れれば命取りとなる状況に変わりはない。
シスターは気丈に振る舞っているが、殴打されたこめかみ付近と爆破された背中はホログラフがバグったかのようになっており、控えめに言ってすでに満身創痍。
顔が消し飛ばなかっただけ僥倖か。
そこで、ふとある事を思い出した。
長らく使用する機会がなく、忘れかけていたのをシスターの傷を見て思い出した。
シスターの傷を癒したバルガントの能力、連鎖して月明りの届かない地下での戦いを。
「ヒール」
浩介がシスターへ手を向けると、見る見るうちに傷は回復した。
嬉しそうに顔を綻ばせ、緑色の瞳は力強い輝きを取り戻す。
「ありがとうございますっ!これでまた思いっ切り戦えますよー!」
「そういえば、キミにはそんな力もあったっけ。ずっと前に一回見たきりだったから忘れていたよ」
「俺もだよ。教会の地下であの二人と戦った時は頭に血が上り過ぎて正気じゃなかったからね。これで少しは状況は変わったかな」
「(でかした。これは我々にとってまさに命綱だろう。よくこの土壇場で思い出したな)」
俄かに盛り上がりを見せる浩介たち。
ヒールを目の当たりにしたヒトガタは一瞬興味を惹かれたように眦を上げたが、すぐに無表情に戻った。
「回復能力とはまた奇妙なものを」
「そうでもないさ。お前の大っ嫌いな人間にも使えるヤツはいた。まあ、それも実験用に作られたっぽい量産型聖石の恩恵らしかったけどな」
「だが無駄だ。苦痛に喘ぐ時間を引き延ばすだけというのがまだ理解できていないのか?それとも、まだ痛みが足りないか?」
ヒトガタの言う事は浩介たちも百も承知だ。
浩介、シスター、グランのいずれかの攻撃も効果が無いと判明した時点で全ては終わる。
それでも抗う意思が挫けないのはなぜだろう。
葉月が蹂躙されたからか。
生への渇望か。
ただ状況に流されているだけか。
「(違う)」
答えというのは前触れもきっかけもなく、ふとした時に突然見えてくることがある。
この時もそれだと思ったが、思い返してみれば常にきっかけは己の中にあった。
「お前の言う通り、抵抗しても無駄なのかもしれない」
「ようやく悟ったか。ならば――」
「でもな、まだ抗う力があるのに、お前に屈するのは嫌なんだよ」
「理解できんな。勝敗はすでに決している」
「お前も言ってたじゃないか。人ていうのはな、そこまでお利口さんじゃないんだよ。これはもう理屈じゃないんだよ。抗ったところで殺される未来が決まってるとしても、全力で最後まで生き抜いてやる。
死の間際にあーしておけば良かったとか、そういう後悔は嫌なんだよ」
「その諦めの悪さ、欲深さが人間同士を憎み合わせ殺し合わせ、大地を蝕んだと言ったのを忘れたか」
「そうかもしれない。俺も車に乗ったりエアコン使ったりしてたから、環境破壊について何も言う権利はない。
けど、俺は小さな嘘はついても人を騙した事なんか無いし、人は殴っても殺してはいない。…………殺しそうになったことはあるけど。
俺に余計な冤罪ふっかけてくんなクソ野郎」
久遠は目を大きく開いてあんぐりと口を開けた。
「くそやろう……」
それから声を出して笑った。
「キミの口からそんな言葉、初めて聞いたよっ」
「貴様は少し黙っていろ」
よほど不快だったのか、ヒトガタの声に苛立ちが窺えた。
だが久遠は浩介に中てられたのか、怖気づかずに言い返した。
「人類という種が犯した罪は確かに大きい。けどね、それは知恵のある者が行く先をきちんと示せば償えるだろうし、やり直せた。ヒトガタ、アンタは勇み足が過ぎたんだ」
「違うな。すでに取り返しのつかないところまで人類は踏み込んでいた。それに言ったはずだ。この問答は互いにとって不毛だと」
「そうだったね。私たちはもう、やるか、やられるか。それだけだ」
久遠は胸元に手を入れると、仄かに煌きを放つ虹色の宝石を取り出した。
「サンドラちゃん、力を貸して」




