#220_久遠の過去(5)
危ないと思った時にはフェルスダートの体はもう動いていた。
ネリーゼと母親の前に飛び出し、凶弾から二人を庇う。背中を貫く鉛玉はフェルスダートの挺身虚しく、母娘まで届いてしまった。
三人の体のあちこちに穴が開き、血が溢れ出す。
不意に男たちの撃ち続けている弾丸が、三人の体を穿たなくなった。
訝る男たち。
母娘とフェルスダートから漏れ出る大量の血が、床を赤く染めていく。
「……ふむ、これが話に聞いていた不可思議な現象のようですね。という事は……」
後ろを振り返ると、リビングの入口に彼女が立っていた。
「貴方が報告に上がっていた要警戒人物ですね。絡繰りは何です?」
「現時点における最優先事項。個体名フェルスダートおよびネリーゼらの救命」
言い終える寸前に男の前から掻き消えたと思ったら、庭先から声がした。
「父親の死亡を確認」
その声で男たちは素早く中庭へと振り返る。
まるで幽霊のように音もなく瞬時に移動する理解不能な存在。
頬を引き攣らせて、それでも無理やり平静を装って再度詰問する。
「もう一度聞きます。先ほどと今、何をしたのですか?」
彼女に男の声は届いていないのか、父親の傍で膝を着いていた彼女が今度は母親の側に同じ格好でそこにいた。
瞬きの間に距離が近づき、男たちは思わず半歩退く。
「なっ!消えっ……」
「母親の死亡を確認。個体名ネリーゼ……」
その場で目だけを動かし、言った。
「生存を確認。間もなく死亡と推定。個体名フェルスダート」
「おれ、は……かはっ……大丈夫、だ……」
血を吐きながらもどうにか生きている事を伝える。だが、彼女は無情にも運命を告げた。
「容体はネリーゼと酷似。間もなく死亡と推定」
「ははっ……容赦、ないな……」
「一名の救命が可能。指示を要請」
彼女は天井を見上げて呟く。
そして、二人が未だ生きていると聞いた男たちは、再度銃口を向けて止めを刺そうとする。
「そこの父親のおかげで騒ぎになる前に、仕事を終わらせて撤収しなければなりません。どういう絡繰りだか知りませんが、背後から撃たれては得意の手品も披露できませんよ」
そう言いながらハンドガンのトリガーを引き続けるが、現実は男の予想を違えてどこにも命中していない。
だが、撃ち続けていればいずれは中るはずだと仲間も引鉄を引く。
その光景を外の世界のように横目で見ながら、フェルスダートは彼女に懇願した。
「助け、られるのか?……なら、ネリーゼを……たすけて、くれ……頼む……」
謎の声から指示が下りるより先にフェルスダートがそう言った。
「理由の提示を要請」
「彼女の……両親が、かはっ!……そう願っているだろうから、ね……俺もおなじだ……一番生きていて欲しいと願われているのは、ネリーゼ、だ……」
「合理的な判断と確認。個体名フェルスダートの要請を打診」
再度天井を見上げると、すぐに例の声の反応があった。
「要請を受理。個体名ネリーゼの魂魄をEB2168と融合。警告。融合後、保有能力の低次元化が発生」
「了承。即時、救命行動に移行」
ネリーゼの傍に座ると、片手をネリーゼの額に当てた。
それを見て余計な事をされると思った襲撃者は拳銃を下ろし、今度は殴りかかろうと床を強く踏み蹴って襲い掛かる。
「何をしようというのか分かりませんが、させるとお思いですか?」
男はレインコートからメリケンサックを取って握り、彼女の後頭部目掛けて振り下ろす。
彼女は首だけで振り向くと、やはり動じた様子もなく冷たい瞳でただこう言った。
「反人類勢力と判断。転移実行」
男の拳が届く前に、その場にいた夜更けの訪問者は音も立てずに一瞬で残らず消えた。
それまでの喧騒が嘘のように、後にはフェルスダートの消えるような吐息だけが聞こえる。
三人が生み出す血だまりがどんどん面積を増やしていく。
しかし感情のない彼女は焦る事を知らず、淡々とやるべきことを為していく。
「アクセス。根源の解析開始……コピー作成……エラー除去。再構築開始」
「……はじめてあったときかから、感じてたけど……君にまかせておけば、なにもかも、うまくいくんじゃないか、って……ふしぎと……あん、しん……」
「根源の再構築87%完了。魂魄の固着に成功。パス解放」
彼女の耳に、ざらぁと砂が崩れるような音が入るが、ネリーゼから手を離さず目も離さずに続ける。
「個体名ネリーゼとの融合開始」
彼女の瞳の色が万華鏡のように目まぐるしく変化する。
しかしそれも束の間、瞳の色がネリーゼと同じダークブラウンに落ち着く。
「融合に成功。最適化開始」
彼女の全身が発光し、それも瞳の色が変化していた時と同じく様々な色に変わっては、それも二呼吸分の時間で治まった。
「融合完了。人格反、映……」
これまで一度たりとも感情を見せなかった瞳に生気が宿る。
その目で息絶えたネリーゼを見下ろす。
「……私の体、もう駄目だったんだよね……父さんも、母さんも……」
直後、弾かれたようにフェルスダートが横たわる場所に振り向く。その顔は再び色を失ったと思ったら、縋るように両手を顔に当てて戦慄いた。
「……あ、あああ……あああああ、あああああああああっ!!!!」
彼女が目にしたのはフェルスダートの死体ではなく、彼が事切れるまで着ていた父の服と、彼の代わりだと言わんばかりの、大量の塩。
大きな二つの出来事が同時に起こり、頭がショートする。
騒ぎを聞きつけた近隣住民が通報し、警邏隊が到着するまで震えて言葉にならない叫びだけが虚しく木霊した。
惨状を見た警邏隊は、家族ではない彼女を重要参考人として本部まで連行。
彼女の取り乱し様は尋常ではなかったので、落ち着いてから話を、と取調室の外に見張りだけを立てて一人にしておいた。
数時間経過した昼過ぎ、そろそろいいだろうと取調室のドアを開けると、そこはもぬけの殻だった。
彼女は瞬間移動でフェルスダートと初めて会った廃墟に行き、寝かされていたベッドをただ眺めていた。
どれくらい放心していただろうか。
廃墟をねぐらにしていた鼠が戸棚を走り回った時、衝撃で一冊のファイルが床に落ちた。
陽が射さず真っ暗な場所なのだが、運命の悪戯か、外で燦燦と降り注ぐ太陽の光が廊下の窓を通り抜けて薄っすらと暗闇を中和させた。
そして、落ちた拍子に捲れたファイルには、フェルスダートの写真が添付されていた。
「っ!」
すぐさま駆け寄って中身を検める。
彼が何処の誰なのか、ここで何が行われていたのか。
彼はもうこの世にはいないが、例えまやかしでも彼のことを知り続けている間は存在を近くに感じることが出来る。しかしページを捲るたびに、彼との時間は削られていく。
相反するものを胸に抱えながら記された文字を追い、やがて読み終えた彼女は苦々しい顔になった。
「禁忌を犯そうだなんて……。フェルはその実験台。そして彼のいた国を従順にさせるために誘拐し、利用された」
ファイルから顔を上げ、窓の彼方を見る。
荒野がどこまでも広がっている。
「これで創造主の話が繋がった。彼をあんな目に遭わせた人たちの実験によってイレギュラー体が生まれるんだ。止めなきゃ」
それは生まれた瞬間に植え付けられた使命感によるものか、それとも彼のような存在をこれ以上出さないようにするためか。
はたまた、その両方か。
だが、以降の歴史を見ればわかる通り、最終的に彼女の戦いは報われない。
彼女が研究を阻止する前にヒトはヒトガタを生みだしてしまう。
その後の歴史は彼女が語った通りだ。
そして、大地の浄化と封印の安定化を図るため、彼女もまた永い眠りについた。
そして現在、次元の狭間。
戦う理由を問うリアンに対して、久遠の答えは……。
「大切な人を、もう失いたくないからだよ」
そう、フェルスダートと瓜二つで、同じ魂の色を持った浩介を見て言い切った。




