#215_次元の狭間の戦い(2)
鉄球のような振り下ろしが久遠に迫る。
もう避ける暇もない。
闇喰らいで頭をガードしようと動くが、間に合わない。
空壁を展開する余裕もなかった。
デーモンの膂力を鑑みれば、食らえば致命的。
襲い来る衝撃をただ見ているしかなかった。
「(久遠っ!)」
浩介の切迫した念話が響く。
瞬間、浩介は久遠の前に立っていた。
「うぐぅっ……っ!」
飛び出すように間に入った浩介の頭に、デーモンの鉄槌が叩きつけられた。
そして、あのノイズが走る。
そのノイズの中、バーカウンターの中にメイド姿の女性が見えた気がした。
次の瞬間にはもう、夢と現の間の時のように顔がぼやけて思い出せない。
「キミっ!」
浩介は次元の狭間の下へ下へと、撃ち出された大砲のような速さで流されていく。
頭が砕かれた痛みはもうない。
とはいえ、その激痛には涙を浮かべてしまう。
それを気にするよりも、早く久遠たちの元へ戻らねばならない。
かなり流されてしまったが、幸い点のように小さいが見える場所にいた。
「最初のエンカウントでこんなに早くダメージ受けるなんてな……全部終わるまで俺はあとどれくらい即死級の痛みを受けるんだろ」
そんな生き地獄、出来るなら逃げ出したい。
それができないのは分かっている。
これは戦意をどうにか持ちこたえさせるため、敢えて口にした泣き言だ。
体勢を戻しながら、久遠を助けなくてはと気合を入れ直す。
瞬時に力が漲り、虚空を蹴って彼女らの元へ向かう。
「なんでこんな必要な時に出てこないんだよ……」
ピンチが発現のトリガーだと思っていたあの大太刀。
だが、久遠の危機にも反応することもなく、何が発現条件なのか分からなくなった。
「期待させるだけさせておいて、肝心な時にだんまりってのは残酷すぎだろ。……いいよ、やってやるさ。俺たちだけの力で全部終わらせてやる」
勝手に期待して勝手に裏切られる。
思い違いをしていた己の身勝手さに腹を立てると、抱いていた期待は跡形もなく消し飛んだ。
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「キミっ!」
吹き飛ばされた浩介を助けにいきたかったが、ベルとコハクの傍を離れるわけにはいかない。
気が気でない中、目の前のデーモンの鳩尾に零距離で闇喰らいを撃ち込んで消滅させると、その判断はやはり正しかったと思わされる光景が目に入る。
もはや気持ち悪いその光景に、ベルが引き気味に言う。
「うわっ、あっちにもこっちにも、うじゃうじゃ湧いてきたっ」
「(主様、今そちらにっ!)」
「(だめだよ。それじゃあロアちゃんが孤立しちゃう。こっちはなんとかするから大丈夫だよ)」
「(し、しかしその数相手ではっ!)」
リアンがデーモンを次々と屠りながら、久遠に迫る敵の大軍を見て救援に向かわせて欲しいと懇願する。
だが、久遠は必死に何かを信じようとしている声で言う。
「(大丈夫。あれで挫けるような人じゃないから)」
「(主様、あの人間をどうしてそこまで)」
――信じきれるのですか。
そう言いかけた時、ベルとコハク目掛けてレーザーがいくつも飛んできた。
発射位置から距離はあったので、空壁を幾重にも張って防ぐ。
「(無駄口はここまでだよ。ベルちゃんとコハクちゃんがアイツを捕捉するまで気を抜いたらだめ、ううん、ずっとだめだけどね)」
「(……承知しました)」
納得はしていないが、主の命には逆らえない。
救援に向かいたいとは言ったが、本心を言えばこの状況はすでに詰みだと思った。
リアンとロアの包囲網は完成しつつあり、久遠の方にも明らかに一人で処理しきれない数の敵が向かっている。
このまま戦い続けても敗北、救援に行けば孤立したロアが撃破されて敵が雪崩れ込んで敗北。
唯一、敗北を避ける方法はベルらがすぐにでもヒトガタの居場所を探し当てる事。
一秒を争う事態に陥っていた。
「グランのやつ、いつまで引っ込んでるつもりだよ」
「あの者にはあの者の考えがあるのだろう」
戦いながらリアンの愚痴にロアが付き合う。
「考えがあるったって、負けたら意味ないだろ。あいつは昔からそうだ。大事な事は言わないしお前より堅苦しいし」
「一言余計だ。そら、下から三体来てるぞ」
「分かってるっ!」
リアンは少しの距離を逃げ回り、三体のデーモンが縦一列になったところを大剣を投擲して串刺しにした。
そしてデーモンを貫通した大剣は持ち主の元へ戻る際、おまけだと言わんばかりに近くにいたデーモンを切り刻む。
「お見事」
「本気で言ってないくせに」
リアンが三体を相手している間、ロアは群れているデーモンへ向けて無造作に大剣を投げ込み、自身は別の集団へと身を投じた。
大剣は自立稼働かのか自由に動き回って敵を薙ぎ払い、ロア自身は格闘でデーモンを屠っていく。
怒涛のように押し寄せるデーモンたちの攻撃を涼しげな顔でいなし、拳撃蹴撃を打ち込んでいくと敵の数がみるみるうちに減っていく。
「そんな芸当やってるヤツに言われても嬉しくもなんともないんだが?」
「まあ、どんなに減らしてもその間に倍近く補充されてるんだがな」
「あのゴミは早々にリタイアしたし、やっぱり人間というのは使えないな」
軽口を叩き合いながらも戦闘の質は落ちていない。
もとから並列思考は可能だったかもしれないが、久遠が言っていた次元の狭間の特性も作用していたのは確かだろう。
だがその直後、ロアは凄まじい速度で遠くから迫るものを見た。
「なんだあれは……。なるほど、そうか。やはり我が主は見る目がおありだった」
「なに?」
ちらりとリアンも目を向けると、その正体を知って苦い顔をした。
「クソ虫みたいにしぶといヤツだな」
「貴重な戦力が戻って来たのだ。素直に喜ぶべきだろう?」
「……ちっ」
ロアが諭そうとしても、やはり苦虫を噛み潰したような顔は変わらなかった。
絶えずレーザーが撃ち出され、久遠は空壁で凌ぐという防戦一方の戦いを強いられていた。
レーザーを防いでいる間にも、他のデーモンたちは距離を詰めてくる。
そしてついに格闘戦の間合いに詰め寄られ、レーザーの援護を受けた数体のデーモンが突撃して来た。
最初の一体の繰り出した拳が空壁一枚を砕き、続く二体目の拳がレーザーと共に二枚目の空壁を割った。
「くっ」
空壁はあと三枚。
ここまで接近されては、もはや新たに張りなおせる距離ではない。
であれば、空壁をその場に残して自身がデーモンの横っ腹を叩けばいい。
そう考えたが、それを実行するには遅すぎた。
回り込んだ時点で空壁は全て破壊されて、ベルたちは殺されてしまうだろう。
判断の遅さを悔やみ、デーモンの拳が最後の空壁を破壊するために大きく振りかぶった。
接近戦に備えて、久遠は闇喰らいではなく槍を構える。
「諦めるわけにはっ……」
デーモンが拳を叩きつけようとしたその瞬間、下方から銀色の閃光が巨躯を貫いた。
「っ?!これはっ」
閃光は果てしなく広がる次元の狭間を縦横無尽に飛び回り、デーモンたちを消滅させていく。
流石に全てのデーモンを倒しきれはしないが、周囲の魔物を消し去ってから閃光は久遠の元へ。
「まるでヒーローみたいなタイミングだったな」
「……無事でよかったよ。ごめん。それと、庇ってくれてありがとう。助かったよ」
それにしても、と久遠は続けた。
「いきなりのパワーアップだね」
「どうだろ。気持ちの問題じゃないかな」
「そうなの、かな?」
短く言葉を交わすと、周囲を警戒しつつリアンとロアの状況を見る。
「これは……まずいな」
「キミのおかげでこっちは大丈夫そうだから、援護に行ってあげて」
「でも、また急に背後に出てくるかもしれない」
「だけど、このままじゃ二人が」
そう言った時、ベルとコハク、シスターの声が同時に聞こえた。
「「見つけました!」」
全員が振り返る。
リアンとロアは少しずつ後退し、問うた。
「どこだっ!」
「上っ!神様気取りで俯瞰してるよっ!」
「よくやったっ!」
久遠は進退窮まらずにほっと胸を撫でおろし、浩介と皆を見た。
「それじゃあ、行くよっ!」
その掛け声で一斉にデーモンに背を向けて上へ上へと昇る。
次元の狭間はガラス片のようなものしかないので、移動しているのは浩介たちではなくガラス片が落ちてきているのではないかと錯覚してしまう。
「あともう少しのはずです……」
シスターの言葉に誰も異論を唱えない事が、きちんと近づいていると教えてくれる。
このままヒトガタの元までたどり着けるかと思ったが、やはりそう甘くはなかった。
虚空に漆黒の渦が無数に穿たれる。
「まだ出てくるのかっ」
「クソがっ、往生際の悪いっ!」
何百体ものデーモンが姿を現し、行く手を阻む。
すかさず久遠が叫ぶ。
「作戦通り、これとは戦わずに駆け抜けるよっ!」
「しかし、なかなかに難易度がエクストラハードだな……」
数百体だったデーモンはこの数秒で数千にも膨れ上がり、万に届くのも時間の問題だった。
このままデーモンの壁に突入するのは、さすがに無謀としか思えない。
そこで久遠には考えがあった。
「みんな、私の近くに固まって!空壁で強引に突破するよ!」
念話で伝えられた案は、時たま見せていたアニメに影響されたかと思わずにはいられないものだった。
とはいえ浩介も異論はなく、空壁の展開に協力する。
形は盾のような平らなものではなく、もちろん円錐形。
二人は空壁を千枚近く重ねて多重構造にし、最終的に空壁は大型旅客機程の大きさになった。
さしずめ、空壁シャトルか。
「あ、主様、こんな力の使い方……いったいどこで……」
「人間の知恵を引用されたのだろう」
「ふえぇぇ~」
「やっぱり主さまは凄いな~」
口々に感嘆を漏らすが、構っている暇はない。
「みんな、遅れないように付いてきてっ!」
千を超える空壁の層で構成された超巨大な弾丸が、視界を埋め尽くすデーモンたちへ猛スピードで突撃していった。




