#210_人類最後の決断
これまでマリーレイアと共に在ったサンドラ。
彼女の不在を確かめる術がマリーレイアにはなく、何度も名を呼ぶ悲痛な声が久遠と浩介の心をえぐる。
だとしても、無慈悲だがそれに構っている暇はない。
とうとう迎えてしまった運命の時。
マリーレイアにもすぐに取り掛かってもらわなければならない重要な仕事がある。
「マリー、頼みたい事がある」
「でも、サンドラが……返事がないの。寝ているのかもしれない」
「サンドラはもういない。俺たちの……人類のために……。別離の言葉を聞いただろう?」
「でも、戻って来れないなんて誰が決めたの?また会えるかもしれ―――」
「しっかりしろっ!」
現実からも誰からも目を背けようとするマリーレイアの両肩を掴んで、無理やり目を合わせる。
「いいか。俺たちがここに来る直前、ヒッテリア大陸のシェルター付近に無数の召喚門が現れて、デーモンの大群が出てきた。これは、地球の人間を殺し尽くした地獄の始まりだ。
ここまで来る途中、警備兵たちに誰も扉に近づけさせるなと呼びかけて来た。
これからが本当の勝負だ。外の様子を知った人たちをコントロールできなければ、待っているのは略奪や人殺しが横行する。
そうなれば失うのはサンドラだけじゃない。今、マリーが折れてしまえばセレスティアも理津も葉月も……デルフも死ぬぞ」
「っ!」
唯一の肉親の祖父が死ぬ。
息を呑むと同時に半分虚ろだった瞳は、弱々しくだが浩介の目を見れるようになった。
正気に戻すためにあえて祖父の死というショックを与えてみたが、どうやら効果はあったようだ。
だが、話はこれでは終わらない。
「一年……いや、地上の復興も考えれば、三か月以内にヒトガタとケリを付けなければ終わりだろう。このままタイムリミットが来るまで、ただ生きている事を選ぶか、それとも……」
久遠に顔を向けて、続きを促す。
ヒトガタへの具体的な攻撃手段を知っているのは久遠だけで、浩介は知らない。
だが、十年以上前にワシントン大学での藤田たちとの会話、それと久遠が最期に芳賀と交わした会話を聞けば、策はあるが躊躇う何かがあるのだろう。
聞かれたくなさそうだったのでこれまで追及してこなかったが、もはや遠慮していい状況ではない。
ここでそれを話してもらう。
久遠は決意を込めた息を吐く。
「ヒトガタに決戦を挑むか。だけど……その時にこの次元が無くなる可能性があるんだ。それでもやるかい?」
「なっ!」
その言葉は浩介の想像の遥か上を行っていた。
せいぜいが地上の壊滅、もしくは人類の大半の犠牲が必要なのだと思っていた。
甘く見過ぎていたようだ。
「……それじゃあ、どっちにしろ終わりってことじゃないか」
「この十数年という短期間、人にとっては長かったかもしれないけど、それだけの時間でここまでアイツの力が強くなるなんて私も想像できなかった。
あと百年ほど時間があればサンドラちゃんたちも万全の状態になってただろうから、やり方も結果も違って来てたはずなんだ。
でも、人間自身で百年の猶予を消してしまったから……」
「でも、サンドラはそんなこと一言も……」
「未来を視た時点で、私たちに打てる手はもうこれしかなかったのかもしれない。つまり、自分の身を犠牲にすると初めに伝えてしまえば、私がその未来を変えようと動くと思ったから言わなかったんだよ、きっと。
私がどうこうしたところで何も変わらないほどに、この結末は確定的だったんだろうね。
未来を知ってから今この時までの間、私に余計な重荷を背負わせたくなかった。サンドラちゃんはそういう子だったから」
これは人間が自ら手繰り寄せた悲運。
滅亡を回避するために久遠は両世界全人類に向けて警鐘を鳴らし、組織のトップもそれに尽力してきた。
異世界の国のトップたちは無駄な殺戮や戦争、迫害などをなくすために色々と働きかけていた。
それでも同族殺しはゼロにはならず、種族間での争いも度々起こり、その度に少なくない人命が奪われた。
そして、地球。
宗教の過激派による殺戮行為に領土侵略、ヒトガタを崇拝する狂信者による大規模テロのニュースがこの十八年間、途切れることはなかった。
人類を滅ぼす魔王への対抗策が世界中に明示されたというのに、相も変わらず人類同士で命の奪い合いを続けていた。
全人類が危機感を持って久遠の言葉に耳を貸し、互いに折り合いをつける努力をしていれば、終末を迎える時期をもっと先延ばしにできたかもしれない。
が、全ては後の祭り。
共通の敵が現れれば人類は一つになれる、なんてのは夢物語だった。
つまるところ人間とは、地上で最も救いようがない愚かな生物だということが証明されただけの話である。
それでも、ただ死にたくないという理由で浩介たち人間は抗う。
「……マリー、各シェルターの人たちと話し合ってどうするか決めてくれ。避難している人への説明は……俺たちがしよう」
「みんなに、死ぬ覚悟をしてと言えば暴動が起きるかもしれないよ。そうなったらもう私の言葉もティアお姉ちゃんの言葉も届かない……」
「暴動は少し待ってもらうさ。俺たちが出立して一日経過して戻ってこなかったら、戦ってるってことで。あとは俺たちがヒトガタを倒して帰ってくるのを信じて待ってて欲しいってね」
「それで制御が効けばいいけど……」
マリーレイアの言いたい事は分かる。
事の顛末を見届けられないのは不安だろう。
それに耐えきれる人もいれば、もちろんどうにかなってしまう人も必ず出てくる。
マリーレイアも何事もなければ良いとは思うが、そんな淡い希望を疑う気持ちの方が大きい。
「それで駄目なら、もうどうしようもない。やろうとしている事を秘密にして、気が付けば死んでいたというのが望みならそれもいい。
俺だったら、いつ死ぬかくらいは知りたいし家族とも最期の言葉を交わしたいけどね。
さっき言ったように、俺からみんなに伝えるのも構わないけど、本当にそれでいいのかはマリーだけじゃ決められないだろう。他のシェルターの人たちと相談するといいよ」
「わかった。だけど、二人とも同席して説明をお願い」
浩介と久遠は力強く頷いた。
一人で背負う必要は無いのだと気付かされて荷が軽くなったらしく、頼りない瞳は消え失せた。
早速マリーレイアは二人を連れて通信室へと向かう。
その途中でアリスと出くわし、久遠が宝石を渡して欲しいと頼む。
「いいよー」
普通ならその理由が気になるところだが、アリスは素直だった。
通信室へ入り、他のシェルターの指導者たちを緊急招集して事態の説明をする。
通信相手たちは静かに聞いていたが、これより先の状況は想像以上に逼迫すると伝えられると、苦悩して呻く声が漏れ聞こえた。
だが、緊急招集した理由の核心に触れるのはこれから。
マリーレイアは話し手を浩介に譲って、ヒトガタへ決戦を挑む条件を話した。
「このまま何もせずに死に絶えるか、それとも俺たちに全てを賭けるか。難しいでしょうが決断をお願いします」
「ううむ」
腕を組んで眉間に皺を寄せて俯く姿が目に映る。
それから誰も言葉を発さないまま一分、二分と過ぎていき、五分くらい経っただろうかという頃に女性が声を発した。
「私は今すぐにやっちゃってもいいと思うけどね。三か月生き延びたって、それで何かが変わるわけでもなし。逆に絶望に浸る時間が長ければ長いほど残酷だとは思わないかい?」
「一理ある。が、しかし全員がそう簡単に割り切れはしない。無駄だと本心ではわかっていても最後の一瞬で奇跡が起きるんじゃないかって、そう思ってしまう人もいるだろう」
男性が打たれ弱い者へ寄り添った姿勢を見せると、女性は食って掛かった。
「それじゃあ、その奇跡とやらを信じてじっとしてろっていうのかい?残りの人生を現実から目を背けて祈る時間に使うだけなんて、私は御免だね」
「みんながみんな、お前みたいに強いわけじゃあない。心に傷を負いやすい者の気持ちも考えて欲しい」
「それで未来が拓けるんだったら文句はないよ。で、その目の前の可能性を潰すくらいに価値のある奇跡が起きるのはいつなんだい?」
答えを持ち合わせていない男性は押し黙るしかなかった。
代わるようにもう一人の男性、グスタフと呼ばれていた者が意見を述べた。
「もうちょい言い方ってモンがあるだろう、と諫めたいが……俺もヒトガタにカチコミかけるのは賛成だ。本当は俺も参加したいんだが、歳も五十を過ぎると体がいうことを聞かなくなってな。
人任せで申し訳ないな」
「五十まで現役だったほうがおかしいんだよ。で、今のところすぐに行動を起こすが二票。教皇、あんたはどう考えてるんだね?」
「私は……」
背後の二人に救いを求めて視線を投げるが、答えは返ってこない。
これは人間が決めなくてはならない事。
人の領域からはみ出た浩介も、人以外の存在である久遠も口出しすべきではない。
浩介も本音を言えば、ヒトガタと戦うのは早い方が良いと思っている。
閉鎖空間での生活が長引けば長引くほど、想定外の事態が確実に出来する。
そんな未経験の事案に正しい対処ができるわけなどなく、未解決のまま新しい問題が次々に出来するだろう。
人類の終わりが、その混乱の渦中で迎えるのは目に見えている。
そんな中で、唯一の肉親である葉月が苦しみながら死ぬのは嫌だ。
そうは思うが、この選択に個人の感情が介在してはならないのは弁えているので、マリーレイアへ助言の一つもかけてあげられない。
一方で久遠はどう考えていたかは、その真剣な眼差しからは察することが浩介も出来なかった。
暫くして、マリーレイアは己で考え抜いて決断した答えを皆に言った。
「この事は他言無用。お二人の準備が整い次第、向かってもらうのが最善かと思います」