#208_閉鎖空間での生活
避難して一か月が経過した。
通信室でマリーレイアは各シェルターの代表たちと会議をしていた。
この一か月でシェルター内の様子はどこも著しく変化していた。
避難生活が始まって一、二週間は物珍しい風景と新しい生活に浮足立っていたが、二週間も経てば見慣れた風景になる。
マリーレイアは、すれ違った幾人かの瞳が翳っているのを見た。施設内を巡回する元聖騎士や兵士たちからの報告にもそれは上がっていた。
「メシが旨くない、って事じゃあないだろうな」
「行動が制限されているのも要因の一つかもしれないねぇ。この中で何が出来るかっていえば、食う寝る喋る仕事するってだけだから、精神的に参っちまうのは当然って話さね」
「これは教皇殿の言う、最短一年すらも持たんかもしれんな。もうひと月も経てば、鬱屈した人を見かけるのは珍しくなくなるだろう。こうなれば、治安悪化を前提に運営の舵を切るしかないな」
「誰か妙案はありますか?」
マリーレイアの問いかけに皆は唸るしかできなかった。
「みんなでパーって騒げりゃガス抜きにはなろうもんだが、祭りなんて開ける場所はないしなぁ。食糧も水も余裕はない。まして酒なんか尚更少ねぇ。消毒用のアルコールはあるけどな。
手軽に気分転換できないってのが一番の痛手か」
「通路で大道芸人に芸をさせるってのはどうさね?もちろん引き受けてくれたヤツには、報酬にその日の晩飯を豪華にさせるとか情婦を宛がうとかね」
「男連中はこぞって大道芸の練習に励むだろうな」
冗談としか思えない言葉に苦笑しながらクナムス大陸の代表が返すと、軽い笑い声が他からも聞こえた。
弛緩した空気のまま、マリーレイアが閉めの言葉を言い始めた。
「それぞれで試行錯誤して効果を確認し、定期連絡での情報交換が妥当でしょう。ただ、女性を宛がうのは過度な報酬だと思うので控えていただきたいですけどね」
「あら残念。善処するよ」
再び皆が笑い、それが収まりを見せた頃にマリーレイアが解散を告げる。
「今回の定例報告会はこれで終わりとしましょう。ただ、グスタフはもう少しこのまま通信を」
「おう、前回言ってた件だな」
「それじゃあ、お邪魔虫はさっさと消えようかね」
「ではまた一月後に」
一気に通信室内が静かになり、通信水晶が静かに発するチリチリというエネルギー放出音がやけに大きく聞こえた。
その中、マリーレイアが神妙に言う。
「さて、グスタフ。彼女はそこに?」
グスタフと呼ばれたゲラズニア大陸の代表は渋った声を出した。
「それがな……辞退するとさ。そっちはいるのか?」
「いいえ。こちらも同じです……。ただ、一文だけ預かりました」
「それ本当か?こっちも同じだ。貴重なエネルギーを個人的な事で消費させたくないと言ってな」
「……二人は似ていますね。とにかく、これからその文章を送ります」
「ああ。こっちも送る」
通信水晶に手をかざして、強く言葉を思う。
水晶が相手側の念じた内容を受け取ると、地面の幾何学模様の陣に光が走り、壁から天井、天井から外へと流れ出た。
グスタフ側も同じく光は通信室外へ。
そしてその光はシェルター内を巡ってウィルハルドとソルナの部屋のモニターに届けられ、互いの言葉が映し出される。
「俺たち(私たち)の魂は共に」
その日、葉月の元に神妙な顔をした一人の男性が訪ねて来た。
エストレア共和国の保守派のトップ。
その表情を見た途端、嫌な予感がした。
今は室内には葉月しかいなかったので、そのまま入ってもらい話を聞く。
「何かありましたか?」
「なあ、葉月さん。本当に魔物の大軍が来てるんですか?上から音なんかしないし、何も起きてないんじゃないですか?」
「それは……」
唯一、施設の外を確認できるのは警備兵のみ。
防衛の観点から一般人の出入口への接近は禁止されていた。
外に異常があった場合は即座にマリーレイアに連絡するよう厳命しており、彼女を経由してセレスティア、そして葉月の耳にも入るはず。
しかし、閉じ籠ってから一か月、そのような報告は聞いたことは無い。
何も起きていないのに、自分たちの手で人類の寿命だけが削られていく。
実はこの男性の言葉を受ける以前より、葉月も似たような事を考えるようになっていた。
油断をしてはいけないと分かってはいるものの、溺れている人が酸素を求めて水中から顔を出す様に、少しくらいはここの人たちを外に出してあげてもいいのではないかと。
「何もないんだったら、もう家に帰してくれないか」
返答に窮した葉月を見て、男性はここぞとばかりにはっきりと言った。
しかし、さすがにそれは困る。
葉月が思っていたのは施設近隣を散策させる程度に止めるだけで、元の生活に戻らせる考えはない。
もし、彼が求めるように皆を家に返した後で地球のようになってしまったら、もはや再度ここへの避難は不可能。
それだけは避けなければならない。
「気持ちは分かりますが……、私だけではどうにもならないので、他の者にも相談してみます」
「年寄りも若いやつらも、みんな疑心暗鬼になってる。男どもは酒があればどうにか我慢できるけど、それもない。メシだって野菜だけはこの中で栽培した新鮮なのを食えてはいても、肉が足りない。
干し肉ももう底を尽きるというのもあるが、やっぱりみんな焼いたのが食いたいんだ。特に小さい子どもがいるトコは宥めるのにかなり苦労してる。
もうみんな限界が近い。何とかしてくれないか」
「約束はできませんが、それも含めて色々と考えてみます」
「はあ……。よろしく頼んだよ」
あからさまに盛大な溜め息を吐いて出て行った。
存外早く話は終わったが、聞いた内容は思っていたよりも深刻だった。
そういった不満が出るのはまだ先だと思い込んでいた読みの甘さを悔いる。
この事態の解決策の具体的な案も、イメージも考え付いていない。
それでも思うのは、問題を解決するにしても一度に片付けようとするのではなく、一つずつ段階を踏むべきなのではないか。
「……何をするにしても、お兄と久遠さんに様子を見てきてもらって、それから……」
一息入れて少し考えをまとめると、入口の壁のマイクに手を伸ばす。
重要人物に宛がわれた部屋には施設内放送用のマイクが備え付けられていて、葉月はそれを手に取って浩介と久遠を呼び出し。外の調査に向かわせた。
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アレイクシオン王国・メリーズの街を浩介と久遠は歩いていた。
ゴーストタウンと化してひと月。
犬や猫、鹿や狐に似た異世界に生息する動物たちが街中を我が物顔で闊歩し、鼠の死骸や様々な動物の糞が表通り裏路地問わず地面に散乱していた。
露店の食べ物は食い散らかされ、腐敗した果肉と獣肉がおぞましい腐臭を周囲に放っていた。
木製の扉には、中に入ろうとした動物による無数の爪痕が刻まれている。
「なんていうか……言葉を失う光景だな」
「人間がいなくなるとこんな風になるんだね」
インターネットに「人類が滅亡した後の地球」という動画が上がっていたが、その内容よりも生々しい変貌を目の当たりにしている。
が、今の問題はそれではない。
ヒトガタのものとは違う、死んだ生物が放つ瘴気を吸い込まないように慎重に呼吸して、浩介は聞いた。
「久遠、魔物が出ると思う?」
「私、魔物センサーじゃないよ?」
「いやまあ、そうなんだけど。久遠にも分からんか」
「ただ……」
何か感じるものがあるのかと期待して言葉を待つが、出てきたのはテレビドラマでよくあるパターンの言葉だった。
「ううん、何でもない。多分思い過ごしだろうから」
こう言った相手を追及したところで、返って来るのはあやふやな言葉しかない。
そんな言葉をシェルターを管理する上層部に報告しても判断材料にもならない。
だが、浩介自身は久遠のその言葉にひっかかりを覚えた。
そして、当の本人も自分の言葉に自信が持てないまま、少しメリーズを歩く。
荒んだ街並みを歩いていると、シスターから久遠に向けて念話が届いた。
「(神さま、お時間よろしいですか?)」
「(うん、どうしたの?)」
「(実はお渡ししたいものがありまして。今、どちらにいらっしゃいます?)」
「(メリーズって街だけど。そっちで場所を指定してもらったらこっちから行くよ)」
「(そそそそそそそんな!神様にご足労願うとか滅相もないです!ここは私が)」
「(じゃあ、どれくらい待てばいいのかな?)」
「(うっ……)」
瞬間移動できない自分の提案が、逆に久遠に手間を取らせるのだと気付かされて呻く。
おずおずと機嫌を窺うようにシスターが言う。
「(で、では、大変恐縮ではありますが、ヒッテリアシェルターの入口までご足労お願いできますか?)」
「(分かったよ。でも中に入ったことないから、外でもいい?)」
「(もちろんです!では、今から来ていただけることは……)」
「(そのつもりだよ。じゃあ、これから行くね)」
「(は、はい!私も超特急で準備してすぐに参ります!では!)」
浩介に事情を話し、二人はヒッテリアシェルター前に瞬間移動した。
太陽の日差しを受けてキラキラと輝く大海原が目の前に広がる。
ザグランド大陸でも同じ光景は見られるが、相違点が一つだけ。
巨大な空母が二隻停泊しているのは、ここでしか見られない。
何故、異世界に空母が存在するのか。
それは、
「こいつが活躍する場面、ほとんどなかったな」
「海上から陸に向けて一方的に攻撃できるし、海に遊びに来てた人とか近くで漁をしていた人を収容できるんだっけ」
「そうらしいけど、召喚門がほとんど内陸で発生してたから、ほとんど活躍できなかったんだよなぁ」
「都合よく未来なんか見通せないから仕方ないよ」
「マリーレイアですら見たいものが見れるわけじゃないしな。しかし……」
二隻の空母を見上げて呟く。
「建造されたけどほとんど活躍できなかったって、まるで戦艦大和みたいだ」
言い終えてすぐにシェルターの扉が開いて、シスターが素早く浩介たちの前に跪いた。
「お、お、遅くなって申し訳ありません!」
「いや全然そんなことないから顔あげて。それで、渡したいものっていうのは?」
「は、はい。これをどうぞ」
そうしてシスターが差し出してきたのは、虹色に輝く三つの宝石だった。