#196_地球人の駆逐が始まる日
種の絶滅という狂気じみたものと二十年近く相対しても、異世界の住人は明日を諦めず懸命に生きていた。
対して地球は……
政府や警邏の目を掻い潜り、地下に建造した秘密の大広間。
体育館ほどもあるその空間には、それこそ体育館のように最奥にステージが設えられていた。
ステージに立った白人の中年男性は、大広間を埋め尽くす人の群れに向って両手を掲げて叫んだ。
「同胞たちよ、ついに今までの辛苦が報われる時が来た!」
大歓声があがる。
人目を忍んで地下に施設が作られた理由を考えれば、ここに集まる者たちは断じて善良とは言えない。
登壇者は緩やかに両手を下げて場を静める。
「大局を見る事も出来ない新世界政府どもの目を盗んで同胞を集め、我々の手に少しずつ力が集まり、そうして十六年の時を費やして今ようやく、ここに我らの切願が果たされる」
見る者は静かに聞き入り、咳払い一つ出すまいとしている。
「十八年前、各国の指導者たちはヒトガタ様へ恭順を示すのではなく、抵抗という愚昧な選択をした。
自然を破壊し、家畜の命を無駄に奪い、大気を汚染する傲慢な人間に、今こそ我々の手で裁きの鉄槌を下そう」
しかと同胞らの耳に届くように一呼吸の間を開けてから、号令を下した。
「武器を取れ!死は正当な報酬である!殺すことも殺されることも恐れることはない!傷つけられた地球とヒトガタ様に代わり、一人でも多くの人間をこの世から消し去ろうではないか!」
一際大きな大歓声が上がる。
蜂の子を散らしたように大きな足音を立てながら大広間から出て行き、重火器や刃物の保管庫へ向かうと、持てるだけの武器を抱えて勇んで地上へ出た。
街のど真ん中のマンホールからぞろぞろとマシンガン、ロケットランチャー、ナイフを持った人間が出てきたものだから、街中は瞬時にパニックに陥った。
殺戮者たちは手当たり次第に殺し回る。
軍が使うような代物を手にした集団相手に、誰が立ち向かえようか。
街中が血で染め上げられた頃、ようやく警備隊が鎮圧の為に到着した。
が、鎮圧を目的とする者と殺戮を求める者とでは気迫や士気に雲泥の差があり、被弾しても鬼気迫る形相で人間を殺さんと警備隊を圧倒していく。
駆け付けた彼らに出来たのは、全滅させられる前に更なる援軍を呼ぶことだけだった。
その後殺戮者たちは、避難所や食糧庫、医療施設を襲撃し、衝突する警備隊をも命の限り屠り続けた。
そして、この殺戮活動が始まったのはこの一か所だけではなかった。
この組織は世界各地に存在していて、その全てが同時多発的に活動を開始していた。
世界人口は魔物襲撃により全盛期から減少したが、今度は人の手で多くの人命が失われていく。
地方統括者同士のオンライン会議。
「こちらはすでに手いっぱいだ!余所へ回せる戦力はない」
「それはどこも同じだろう!施設の優先度を考えれば、何を措いても世界最大の食糧庫があるこちらを死守すべきだ」
「では、守りが手薄となった場所の人命は切り捨てると?現時点でもどれほどの犠牲者が出ているか分かって言っているのか」
「警備隊だけでは足りぬ。特殊部隊も編成しなくては到底間に合わぬよ」
「ここまでの勢力になるまで誰一人として気付かなかったのか?特に北欧地区の管理はどうなっていたんだ?装甲車まで盗られているようではないか」
「貴方の地区は偶然にも潜伏先として選ばれなかっただけなのがマップを見て分からないのか?それに今は責任の所在を問うべき時ではない。何か案を出せないなら黙っていてもらおうか」
「なっ!貴様っ、ここに居る者全ての立場は対等なのを忘れてないだろうなっ。後の議会で問題として取り上げさせてもらうぞ!」
「誰かこいつの回線を切れないか?」
画面の外へスタッフに目配せし、会議の足を引っ張る地区代表をオンライン会議から強制退席させた。
事態の解決よりも責任追及をし始めた男が映っていたフレームがNo signalと表示されると、喧々諤々と意見を出し合った面々は深々と溜め息をついた。
静かになったのを見計らったようにアフリカ地区の代表が静かに言った。
「あの日本人たちは頼れないのか?」
その一言で全ての視線が極東地区代表に集まる。
将継の身を預かる極東地区代表となった芳賀は重く答える。
「彼らの力は人間に対して行使すべきものではない。それに、彼らは一般人でただの協力者だ。人殺しの罪業を背負わせるのは人道に反する」
「そうも言ってられないだろう。人が死ねば、それだけヒトガタの力が増すのだろう?言ってはなんだが、一人や二人の精神的犠牲と人類全体を天秤に掛ければどうするべきかは明白ではないか」
「彼らとて無敵ではない。策を弄せず正面から向かってくる魔物相手ならば、油断しない限りは勝利し続けるだろう。だが、今回は知能を持つ人間だ。囮や人質、トラップやゲリラ戦に対する知識も対処法も知らない。
ヒトガタを殺せるかもしれない剣を失ってしまう可能性はゼロではない。これだけは何が何でも避けなければならない」
「警備隊と組んで行動させてはどうか?」
「警備隊に彼らを護れる能力があると?」
「少なくとも、急襲やゲリラ戦への対処は可能だ」
「それだけの能力があるのだったら、彼らを頼らずとも鎮圧できるのではないか?」
「……揚げ足取りは上手いようだな。なら、極東地区は我関せずとの姿勢か?そんなこと許されると思ってか」
「まさか。幸い、こちらで確認されているテロリストはそう多くはない。鎮圧も時間の問題だ。こちらが片付き次第、各方面へ援護しに向かわせるための手筈はすでに整っている。不服か?」
舌戦で見事な負けを喫した代表が黙りこくると、代わりに他の地区代表が口添えした。
「どうしても彼らの派遣は無理か?」
「先ほども申したが、人間同士の下らない殺し合いで万が一にも彼らを失うわけにはいかない。しかし、彼らがいなくてもヒトガタを始末できる算段がついているのなら話は別だが」
「……分かった」
渋々引き下がった代表の一言で画面に映る代表たちが野次を飛ばす。
芳賀はこれを、いつかどこかで見た光景にそっくりだな、と内心で苦笑する。
今はもうない日本の国会中継。
あれは日本人独自の悪しき習性かと思っていたのだが、どうやらそうでもなかったらしい。
「(人と人は、結局は分かり合えないものなのかもしれないな)」
その心の中の呟きは、画面に映る口角泡飛ばして野次る者だけではなく、己自身にも向けたものだった。
ともかく、この場を上手く収めるためには効果的な提案をしなければならない。
芳賀は、異世界に駐留させている自衛隊の部隊のいくつかをテロ鎮圧に回すことを提案した。
誰もが焼け石に水だと分かっていたが、極東が今出せるであろう最大戦力を向かわせると言われては文句の言いようもない。
この約束をもって芳賀への追及は終わりを見せた。
だが、その約束が終ぞ果たされることはなかった。
「この辺りの人間はあらかた始末しただろう。次は……ん?なんだあれは」
自分たちの攻撃でマンションやビルが瓦礫と化し、荒廃した街を見て次の目的地へ移動しようとしていたテロリストの一人が空を見上げて訝った。
近くにいた同胞たちもその視線の先を追って空を見上げると、空を埋め尽くすほど大きな黒い雲が渦を巻いていた。
その直径、約一万キロメートル。
ほとんどの陸地から見ることが出来る不気味な黒雲からは、無数の黒い粒が降り注ぎ始めた。
まるで、この世の終わりの光景。
降り注ぐ粒は、まるで死の雨。
黒い粒はテロリストたちの真上からも落ちてくるようで、殺戮という使命も忘れて降ってくるものに目を奪われていた。
「黒い雨……ではないな。核が使われたという報告もないし、雨のように小さくはない。何かの物体か?」
黒い粒は、時間の経過とともに世界中で空を見上げる人々の目に、その姿をはっきりとさせていく。
やがて、黒雲から産み落とされた無数の黒い粒は地球全土の人間に正体を知らしめた。
「……ま、魔物っ!?」
「だけど、この大きさは……これまで見てきたものじゃない。新種か?」
その言葉を吐いてから魔物たちが地面に叩きつけられるまでは十秒もかからなかった。
何百機もの戦闘機が絨毯爆撃を行ったかのように絶え間なく凄まじい衝撃が大地を揺らし、いつ終わるとも知れない轟音が発生し続ける。
夥しい数の黒い粒、魔物たちを見て恍惚とした表情を浮かべるテロリスト。警備隊は通信で指示を仰ごうにも、声が轟音にかき消されてしまう。
それでも精一杯の声でマイクに向かって叫び続けるが、その彼のすぐ後ろの地面が激しく揺れて凄まじい音がした。
「あ」
背後に何がいるのか見るまでもない。
人の倍以上ある赤黒い肌の巨躯は膝を折り曲げて大地に降り立ち、理性の伴わない凶暴な目が男を捉えた。
凶暴な拳は振り抜かれて、男の上半身は肉塊と化して二本の足が宙を舞って、落ちた。
圧倒的な力を目の当たりにしたテロリストたちは歓喜の涙を浮かべ、デーモンに後を任せるかのように声を震わせて言った。
「嗚呼!我らはこの時を待っていた!この地上から人間を消し去ってくれっ!この星に再び清浄な息吹をっ!」
愛する人を迎えるように両手をデーモンに向って伸ばす。
それをデーモンは一瞥もくれずに拳で振り払って新たな肉塊を作った。
これを皮切りにして世界各地に落とされたデーモンは、テロリストだろうが警備隊だろうが一般市民だろうが平等に死を与えた。
辛うじてシェルターに避難した市民もいた。
ビーストやゴーストの攻撃にもある程度持ちこたえられるように設計された民間用シェルター。
その中は安全だと思われていたが、デーモンのたった一撃にすら耐えられなかった。
そして、際限なく黒雲からはデーモンが産み落とされ続ける。
黒雲が発生してからたった数分だというのに、あり得ない速度で犠牲者が増えていく。
およそ三万人。
この数分間で殺された命の数だ。
どんな奇跡が起きようと、地球の人類が生き残る希望はなかった。




