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パンドラの壺~最後に残ったのはおっさんでした~  作者: 白いレンジ
終ワル世界ノ章 ~終末ノ足音~
191/234

#191_子供の成長


 言葉を発することが出来なかったアリスは、アレイクシオン城地下にあった聖石に触れてから喋れるようになった。

 ヒトガタがその身に潜んでいた影響が、失語症のような形で表れたのだろうと久遠の言。

 そして、あの日からアリスの母親は行方不明になった。


 ところが、十年後の猛暑日のこと。

 似顔絵捜索の甲斐も虚しく、発見を諦めかけていたところを最悪の形で事件は解決した。

 南門の門番の前に乗馬した蛮族たちが来て、ゴミでも投げ捨てるかのように鞍に乗せていたいくつもの人間を放り投げて去って行った。

 打ち捨てられた全てが女性であり、痩せ細った裸身のあらゆる箇所に男の欲望の痕跡があり、道具のような扱いをされていたのは見ただけで痛いほど分かる。

 そして、女性たちは既に事切れていた。

 その中に、アリスの母親の姿があった。

 なぜ、アリスの母親がそのような目に遭ったのかは最近になって判明した。


 聖アリアス国軍がアレイクシオンに侵攻を開始した時期、離反した貴族が抱えていた私兵の中に出世を目論んだ者がいた。

 ヒトガタが復活したその日、彼は少ない仲間と共にアリスの母親を攫った。

 だが、大司教の悪事が暴かれると、貴族たちは己の保身だけを考えた。私兵に手切れ金も碌に渡さないまま、夜逃げでもするように数人の従者とともに金品共々姿をくらませたのだ。

 主を失った兵士たちはアレイクシオンにも聖マリアス国にも行けず、賊に身を堕とすしかなかった。

 そんな彼らに不足していたのは食欲を満たすものと、性欲を満たすもの。

 アリスの母親は、その魔手にかかってしまったのだった。


 この事実が明らかになり始めたのは、他の大陸からの難民に備えて居住区を整備していく過程で、彼らの様々な悪行の痕跡が見つかるようになってからだった。

 不自然な場所に不自然な人骨に死体、食べかすに焚火の後。

 手の空いていた他国の軍に調査協力を請い、そして元貴族の私兵らが捕縛されると犯行の全容が明らかになった。

 門前に死者を打ち捨てたのは、貴族を上手くコントロールできなかった王族への当てつけ。

 時が経つにつれ、貴族への恨みは最終的に王国そのものへ向かってしまったらしい。




 ヒトガタ復活から、アリスは監視という名目で王城内で過ごすこととなった。

 母親失踪時、まだ幼かったアリスは母親恋しく泣き出す毎日だった。

 辛い境遇のアリスを気にかけ続けたセレスティアや葉月の他、メイドたちや警備兵、料理長などあらゆる人たちの優しさに触れると、次第に枕を濡らす夜は減って、三年ほど経った時には元の明るさを取り戻した。

 アリスは特に葉月を慕い、留学生という肩書を失ってもアレイクシオンの為に尽力する彼女の後ろをついて回ることが多かった。


 そんな時、アリスに人生の起点となる出来事が起きた。

 ついにアレイクシオン周辺にも召喚門が出現し、魔物に襲撃された。

 西門を破壊して街中を蹂躙し始めた魔物が、葉月とアリスの前にその凶悪な影を落とした。

 魔物と葉月たちの間に颯爽と割って入り、立ちはだかったその背中は葉月の兄のもの。

 腰が抜けて口を震わせているアリスたちを安心させようと、背中越しに掛けられた声は力強くて頼もしく、カッコよかった。

 それを機に、アリスは葉月の後ろを付いて回るのではなく、浩介に戦い方を教わるようになった。


 恐怖に震える誰かの力になりたい。


 それからは、この想いが彼女の原動力となった。

 母親の死の真相を知った今も、それは変わらない。



「せっかく顔出したんだから、私たちの相手してってよ」


「わかった。じゃあ、みんなはいつも通りに俺を魔物だと思って全力でかかってきなさい」



 見目麗しく成長した大人の女性の溌剌とした笑顔にお願いされては断れない。

 道場を覗こうと思った時からこうなる事はわかっていたのだが。

 アリスの呼びかけで、腕に自信のある者、自分の成長を確かめたい者、好奇心から手合わせを申し出る者が二十人近く名乗りを上げ、浩介は一人ずつ相手をすることとなった。



「一番手、俺からお願いします」


「よろしく。さあ、いつでもどうぞ」



 礼儀正しく一礼した青年は、木剣を両手持ちで構えた。

 実戦経験はないが剣の腕には自信のある彼は、感覚を研ぎ澄ませて数秒隙を探ったが、あろうことか目の前の中年オヤジは隙だらけで逆に困った。

 武器を持つ相手に対して無手というだけでなく、一切身構える様子も見せていないのだから。



「……構えないんですか?」


「ああ、気にしなくていいよ。好きな時にかかってきなさい」


「そう、ですか」



 本当に大丈夫なのか、とちらりとアリスに目を向けて問うと、大きな声で返事がきた。



「大丈夫っ!その人はこの国で一番強……い?あれ、久遠お姉ちゃんのほうが強い?とにかく、聖騎士たちより強いから心配いらないよっ」



 とアリスは言うが、彼には到底信じられなかった。

 彼はこの道場では新参者で、浩介との面識はない。

 もちろん、浩介がどれだけの強さなのかも知らないのだが、それは大半の国民同じだった。

 魔物の襲撃があったなら国民は迅速に避難し、それを討伐する者の姿を見る機会はほぼないからだ。

 浩介の強さを知るこの道場に通う者たちが周囲の人間に言ったところで、表立って活躍している聖騎士以上に強い人間がいるなど信じられず、話を盛ってるとしか思われない。

 彼も今はその「周囲の人間」の中の一人。

 この道場の門を叩いた理由の女性が親し気にする男が気に食わないという、ただの嫉妬が彼を突き動かしたのだった。



「では、本当にいきますよ?」



 青年がどんな気持ちで相対しているのか露知らぬ浩介は、両手を広げて「いつでもどうぞ」と示した。

 当人もアリスも大丈夫とは言っているが、いくら木剣といえど生身に当たれば怪我をする。

 それを考えるとやはり躊躇いが出て、駆け出した足に力は乗らず振り下ろす木剣の剣閃も鈍くなる。

 上からの攻撃を浩介は半身で避け、手を抜いている彼を奮い立たせるための言葉をかける。



「それが本気なわけないよね。もし次にこんなのろまな攻撃するようだったら、君はここにいていい人間ではないとアリスに伝える。戦いに出ても犬死にするだけだからね」


「っ!」



 ここでは新参者だが、道場に入る前から多少は剣の腕に自信があった彼のプライドは傷つき、怒りに火が付いた。

 青年は飛び退き、真一文字にきつく結んだ口から攻撃的な言葉が出た。



「俺を甘く見ない方がいいですよ。本当に本気を出していいんですね?怪我じゃ済まないですよ」


「言っただろう、俺を魔物と思えって。殺すつもりでこないとアドバイスのしようがない」


「……死んでも恨まないでくださいね!」



 そう言って跳躍した彼からは躊躇が完全に消え、肩の上から振り下ろされる木剣にも必殺の意思が乗った。

 が、その剣は浩介の肩口に当たる前に、なんなく三本の指でつままれて静止した。



「なっ!?」



 速度も威力も充分に乗っていた全力の一撃だったはずなのに、軽々という言葉が陳腐に感じられるほどに自然に受け止められた。

 驚愕に目を瞠る青年に向けて、浩介は感心の言葉をかけた。



「そうそう、本気でやらなきゃ意味がないからね。ちなみに参考までに言っておくと、真剣でこの威力が出せたら魔物にも通用するよ。

 でも、魔物は人間じゃないから読み合いなんてのはないし、実用的で安全なのは魔物の虚を突く攻撃。それを踏まえて、もう一度打ち込んできな」



 木剣から指を離して仕切り直し。

 悔しそうに口を歪めながらも距離を開け、浩介を睨みつける。

 そして、即座に再び距離を詰めにはいった。

 今度は一直線ではなく、己に狙いを定められないように右へ左へと揺さぶりをかけ、浩介の手前に来ると身を低く屈めて胴を狙った逆袈裟斬りを放った。

 それを見ていた外野は「おおっ」と沸き、多少なりとも腕に覚えのある者は感心して頷いた。

 浩介の評価も同じだった。



「お、いいね。そういう感じだよ」



 褒めながら後ろへ一歩下がって、木剣には空を斬らせた。

 今度こそ捉えたと確信していた青年は、これも届かないのかという悔しさから闘争心が滾り、己の強さを証明するために鋭く踏み込んで剣を振り下ろす。

 やはりそれも半身になって躱された。もう驚くことはなく、がむしゃらに連撃を重ねていく。

 身体を逸らして全てを無言で躱していた浩介だったが、彼の動きに思う所が見えたのか、喉元を狙った突きを半身になって躱し、頬の横を通る腕を掴んで青年の顔面に寸止めの裏拳を見せた。



「うっ!」



 反射的に目を瞑ったのを合図にするように、二人の動きがそこでピタリと止まった。

 それが終わりの合図ともなり、ゆっくりと彼の腕と裏拳を解きながら、恐る恐る目を開けた青年に忠告を入れる。



「最初の動きは良かったんだけど、どんどん雑になっていったの自分でも分かるよね。あんな威力の乗らない攻撃当てたところで魔物に傷は付かない。

 確かに手数を増やすのは効果的だけど、それは一撃一撃が確かなものになってなきゃ意味がない。

 君はまず、最初のあの一撃をどの体勢からでも打てるようにするといいんじゃないかな」


「っ!……ありがとう、ございました……」



 悔しさに満ちた目をしながらも礼を欠かさないのは大したものだと感心した。

 青年が人の輪へ戻ったのを確認すると、次の相手を呼ぶ。

 皆、今の戦いを見て闘争心を刺激されたようで、我先にと続々と手が挙がる。

 アリスが手当たり次第に指名し、一人また一人と浩介と手合わせをしていく。

 そうして、最後に残った挑戦者はというと。



「私で最後だね」



 アリスは指を組んで腕を伸ばし、身体を解して戦闘態勢に入る。

 二人はにこやかに微笑み、子猫同士がじゃれ合うようなその雰囲気は到底これから始まるものから遠くかけ離れていた。



「前にやったのはいつだったかな」


「半年くらい経つよ。全然お兄ちゃん帰ってこないんだもん」


「ごめんごめん。いろいろと忙しかったんだよ」



 頬を膨らませて不満を漏らすその顔は、年不相応に幼く見えた。

 そして浩介は己の台詞がとあるものに似ていると気付いて、くすっと笑いを漏らした。



「(まるで父親の台詞だな)」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない。さあ、始めようか」



 アリスは中腰で半身を引き、片手で木剣を持って構える。

 そのまるで侍のような構えを取ると同時に、これまでの相手に一切構えることなかった浩介が、ここに来て拳を構えた。

 たったそれだけの動作で外野は息を呑み、これからどんなものが見れるのかと否が応にも興奮せざるを得なかった。



「……ふうぅぅ……」



 ゆっくりと息を吐き、勝手に沸く外野を毛ほどにも気に留めずにアリスは集中力を高める。

 肺に残った僅かな酸素を一気に鋭く吐き出すと、凡人の目では追い付けない速度で疾駆した。






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