#176_C国本土奪還作戦(U自治区民解放作戦・3)
憎しみや恨みは人に力を与える。
それは虐待により痩躯となった女性や老人にも等しく存在する。
だが、加減を忘れた暴力は同時に身の破滅も招き、時には心すらも狂わせる。
身をもってその可能性を知った浩介は、集めた兵士たちの周りに砕けたコンクリートの残骸の山を築いて、U自治区の人たちの目に触れないようにしていた。
久遠が瓦礫の小山を見上げて小首を傾げる。
「あれ、こんな山あったかな?」
「作った」
答えると同時に、外へ出てきたU自治区民へ視線を移す。
久遠はすぐに作った理由に思い至った。
「……なるほど、素晴らしい気遣いだね」
「やっと褒められたな」
微笑を漏らして安堵する。
「あれ、褒めた事なかったかな?」
「んー、もしかしたらあったかもしれないけど、ここ最近はずっと情けない姿ばかり晒しちゃってたから、そう思い込んでるだけかも」
苦笑しながら、自身の至らなさを受け止めて謙虚に答える。
何度も失態を繰り返す浩介と共に行動してきた久遠は、今更気にするものではなかった。
「生まれて過ごしてきた世界から、環境も生活も立場もまったく違う世界に放り込まれたんだから、混乱して今まで通りにならなくて普通だよ。
大聖堂にいた悪童二人も、元の世界ではあそこまで酷いやつらじゃなかったと思うよ。ただ、力の使い方を教えたり諫めたりする人が傍にいなかったのが、彼らの一番の不幸だったのさ」
「そう、かもな」
道を踏み外す前に引き戻してくれる人がいるといないとでは、決定的な差が生じる。
それは浩介や赤島亜戯斗・不町竜也に限らず、遍く人々も同じ。
決して、人は一人で形作られてはいない。
久遠は腰に手を当てて、山ほどいるU自治区民を見渡して話を切り替えた。
「さてと。助け出したのはいいけど、これだけの人数を帰す手段を考えないとだね。車がどうのって言ってたけど何か策はあるのかい?」
「あー、うん、そのつもりだったけど当てが外れたよ……」
溜め息を吐いて浩介の秘策だったモノへ目を向ける。
そこには、四トントラックが三台。
「もっと数があるかと思ったけど、これじゃあ一万人くらいいるここの人たちを運ぶには足りなさすぎる。何往復すればいいんだ……」
「そっか、これで移動しようと思ってたんだね」
「何かいい案はない?」
「そうだねぇ……」
二人してうんうん呻って考える。
そこへ一人の女性が訪れた。
「あの……どっちに向かえば家があるのでしょうか」
「え、ああ、少し待ってください。今調べますから」
スマートウォッチで立体地図を出したはいいが、肝心の目的地が分からなかった。
「あー……地図、分かる人ですか?」
「ええ。連れて来られる前は学校の教師をしていたので、一応知識はあります」
「よかったっ。では、どの辺りが住んでた場所ですか?」
地図が見やすいように座り込んで探してもらう。
女性が、ここがあーだからこれがここで、など独り言を言いながら探していると、三人の子供が女性に寄ってきてくっついて座った。
「せんせい、なに見てるの?」
「ねえ、これからどうするの?」
「おしっこ」
おしっこ、と言った子供には瓦礫の山の陰でするように案内すると、とてとてと可愛らしく走って用を足しに行った。
その子が戻ってくる前に、女性は目的地を見つけた。
「多分、ここです」
地図の一点を指差す。
あらかた方角を確認してそちらを向くが、人だかりで先が見えない。
「よっ、と」
高く飛び上がって女性が指し示した方向を確かめると、少し先は崖のような急斜面になっていて道はない。
左手には車道があり、そこから下って迂回するしかないようだ。
その間に用を足し終えた子供が戻る。
腕を組んで考え込みながら着地。
女性は口をあんぐりと開けていた。
「あ、え、え……えっ?」
目を白黒させていたのは女性だけではなく、たまたまそれを目撃した人たちもあんぐりと口を開けていた。
「すげー、すげーっ!どうやったらあんなに高く飛べるの?」
「だっこ、だっこ」
「うんち」
先ほど小を済ませた子供は、次はうんちらしい。
再びコンクリートの山の陰でするように案内し、ついでにお尻拭く用にポケットティッシュを渡した。
とてとてと瓦礫の山の陰に走っていった。
「ここの道って、あなた方の住んでた場所に繋がってるか分かりますか?」
「すみません、私は道に詳しくないので」
「そうですか。じゃあ、誰か詳しい人に聞くしかないか……」
人だかりに目を向けると、身体に生傷をいくつも負って栄養失調で目が虚ろな人が多く、とても真面に思考できるとは思えなかった。
その時、子供が無邪気な声を出した。
「お兄ちゃんみたいに空飛べればすぐ帰れるのにね」
「飛ぶやりかたおしえてー」
女性は子供たちの頭を撫でて優しく相手をする。
子供の無邪気な発想だったが、浩介もここの人たち全員に飛べる力があれば、と夢想しなかったわけではない。
「本当に、それができれば一番なんだけ、ど……?いや待てよ」
「どうかしたかい?」
久遠に返事をするよりも、脳裏によぎった心当たりを思い出すことを優先させる。
最近、同じくらいの人数を対象にして能力を使った事があったような、ともう一度密集しているU自治区民を見てすぐにそれを思い出した。
少し考えてから、腰を曲げて空を飛びたがっている子供たちと目線の高さを合わせると、
「空を自由に、とはいかないけど、それと同じくらいびっくりすることができるかもしれないよ」
「ほんとっ?!なになに、なにするの!」
「ふっふっふっ、もう少しお待ちなさいな」
わざと含みのある笑みをしてもったいぶると、諸問題を解決する方法を念話で久遠に伝える。
「なるほど、それは頑張らないといけないかな」
それから浩介と久遠と女性は、この大人数に一か所に纏まるようにと声を掛けて回った。
途中、女性が空腹と喉の渇きで辛そうにし始めたので、彼女へこれまでの感謝を告げて休ませるという場面もあった。
訝る目を向けつつもU自治区の人々は呼びかけに協力し、一時間もしないうちに成し遂げられた。
集合した人々を一望し、浩介は能力で空気を振動させて声を遠くまで届かせた。
「私の呼びかけに答えていただき有難うございます。なぜ集まっていただいたか説明させていただきますね。
まず、この中のとある女性と話したところ、徒歩で帰宅するのは無理だという結論になりました」
ざわめきと泣き声がそこかしこから聞こえ始めた。
その悲哀を断ち切ろうと声を割り込ませる。
「ですがそこで一つ、皆さんにお願いがあります。その場に座り、決して移動しないでください」
そこで、という接続詞と、帰れない現実がどう結びつくのかこの場の人には分からない。
何か騙そうとしているのかという疑念と、頭がおかしいのかと訝る空気が漂い始める。
百聞は一見如かず。
肌でその空気を感じ取った浩介は、短く告げる。
「つまり、こういう事です」
その身をゆっくりと宙に浮かせると、そのまま徐々に高度を上げてその場の全員が一望できる場所まで昇り詰める。
久遠も、とりあえず浩介の後を追って同じ高度まで昇って並んで滞空する。
それを見た人々は漏れなく驚嘆の声を上げたが、浩介が手で制すと一瞬で静まり返った。
「これからみなさんの足元に透明の板を張り巡らせて、それを今の私たちのように浮かせて宙を移動します。ですので、安全の為に立ち上がらない事と、動き回らない事をお願いしたいのです」
呼吸二つ分の間を置いて再びざわめき出すが、さっきとはまるで声の色が違っていた。
「おお、神よっ!」
「これが審判の日の訪れか。抗うまい。神の御心のままに」
「どうか我らの魂を御導き下さい」
浩介を神と勘違いした。
全員が跪いて額を地面に押し付けたので、上から見下ろしている浩介と久遠の目に人の背面がいっぱいに広がった。
「えー、うそぉ……」
当然、戸惑う。
「どうするの、これ」
「うーん、でも勘違いしてもらったままのほうがスムーズにいくっぽいし、訂正するのは送り届けた後でもいいか」
若干の後ろめたさはあるが、それは送り届けるまでの話だ。改めて今の場所から動かないようにと念を押してから二人は行動に移った。
クッションのように柔らかな空気の塊を集団の外に展開し、それを低い波が寄せるように端から広げると、それを受けた者たちは掬い上げられたように宙へ浮かんだ。
「お、おおおおおっ!なんという……!」
「これが神の御業っ!生きてこの身に触れられるとは、これ以上の幸福はない!」
「ありがたや、ありがたや……」
崇拝する声が大きくなり始めたが、聞こえないふりを続けて浮かせる事に集中する。
一分もしないうちに全員を浮かせ終えると、クッションのように柔らかい空気の塊を板状に変化させて硬度を強化させた。
万が一にも落下事故が起きないよう、念のために四方も空壁で囲う。
地面から三十センチほどの中空から、ゆっくりと上昇させて木々よりも高い場所まで持っていく。
浩介と久遠は顔を見合わせて、タイミングを合わせる。
「よし。じゃあ、いくよ」
「うん……せーのっ!」
掛け声と共に、両腕を突き出して気合を込めたエネルギーを巨大な透明の箱に注ぎ込む。
どのくらいの重量があるのか想像もつかないほどに重い箱は、電車が出発する時のように滑らかに動き出し、徐々に加速する。
すぐに箱の中は怯えなのか興奮なのか判別の付かない声で充満した。
「……なるべく急いだ方が良いと思う?」
「高い所が怖い人も大勢いるだろうから、障害物が無い場所は低めに飛びつつも急いだほうがいいかな」
床となる物は硬いが、その正体は空気なのでもちろん透明。
持ち上げられた人々からすれば、地上から二十メートルあたりに放り出されたようなものである。
案の定、顔から血の気が引いている人が大多数。
二人はなるべく樹林を避けて、なだらかな斜面に沿って彼らの故郷まで低空で押し進めていった。




